東野圭吾や伊坂幸太郎が売れるワケとビジネス書が速く読める理由/「記憶力」と「思考力」を高める読書の技術⑧

文芸・カルチャー

公開日:2020/7/23

忙しい人でも簡単にできる、法律家のすごい読み方を伝授! 木山 泰嗣氏が仕事にも学びにも効く読書法を紹介します。読解力はもちろん、記憶力、思考力のすべてを鍛えることができる著者独自の手法が満載です。

『「記憶力」と「思考力」を高める読書の技術』(木山泰嗣/日本実業出版社)

7 速読とビジネス書

ビジネス書は小説よりも速く読める

 ビジネス書は、最近それほど売れてはいないようですが、わたしが30代前半で本を大量に読み始めた(かつ自分も本を書くようになった)2008年ごろでは、隆盛を誇っていました。茂木健一郎、勝間和代、本田直之などの手軽に読めるノウハウ本(仕事本)が流行っていました。

 わたしも弁護士とはいえ、当時は、仕事のスタイルを確立できていたわけではなく、また年齢も社会人としての経験年数も若かったので、そうした本が発売されるたびに読んでいました。どうやって、自分の価値を高め、それをビジネス(仕事)に応用していくか、という視点が、それぞれの著者ごとに明確で、とても勉強になりました。

 この手の本は意外と分厚い本もありますが、読んでいて思ったのは、慣れれば、どの本もかなりのスピードで読めるということでした。それは、小説や文学とは違い、多数の登場人物の名前や経歴を覚える必要もありません。主語は著者でしかありませんし、物語の展開を押さえておく必要もありません。端的にいえば、仕事をしている忙しい人がすき間時間に読めるようにつくられているからでした。わたしは、そのことを本のつくり手にもなりながら、また大量の読み手にもなりながら学んでいきました。

 わたしは当時、「究極シリーズ」の1冊として『弁護士が書いた究極の読書術』(法学書院)を出版していたのですが、ネット上では速読サークルみたいなコミュニティがあるようで、「この本は〇分で読めた」といった同書に関するコメントが掲載されたブログがありました。そういうブログをみると、ほかの「究極シリーズ」の本もよく取り上げられていました。わたしの本を速読して喜んでくれているようでしたが、わたし自身もその本は読者対象である忙しいビジネスパーソンが速読できるように心がけて書いていたものでした。こうして書き手としての経験を積みながらも、本を大量に(年間400冊以上)読むという読み手の読書生活を続けるうちに気がついたことがあります。

 それは、「ビジネス書は速読できるように書かれている」ということです。また、ビジネス書は大量に読み続けることによって、どの分野においても古典的バイブルが(100年以上前の外国の本が多いのですが)存在していて、その内容が繰り返し書かれているということもわかってきました。これは、マーケティングでも、広告でも、コピーライティングでも、ロジカルシンキングでも、営業でも、お金の稼ぎ方でも、心理学でも、細かくみるとさまざまな分野がありますが、それぞれに「鉄板」(定番書)があるという点では同じでした。

本文を読まなくても本の要旨が予想できる理由

 結局、1つの分野について大量に本を読むと、〇〇の法則とか、〇〇という人物の格言とかエピソードなど、そういった基本的なことが頭に入ってきます。そうすると、その手の話が別の本で出たときには、既知の情報になっているため、飛ばし読みができます。これだけでも、自然に速読はできるでしょう。また、そもそもビジネス書は、本文の要旨が目次と小見出しに表れていることが多いので、その目次と小見出しを読めば、その部分の本文を読まないでも内容を想像することができるものです。

 ただし、森博嗣などのように異質の考え方をもっている著者の本をはじめて読む場合には、そうした想像は外れるでしょう。しかし、その「外れる」という予想外が、本好きの読者に喜ばれることもあります。なぜかといえば、本好きの読者はよくある話を何度も読んで飽きているので、予想もできない話のほうが新しく面白いと感じるからです。そうした自分にはない新しい価値観を提示してくれる著者の本が売れるのは当然です。しかし、そのような著者が書いた本を何冊も読んでしまうと、やはり目次や小見出しとタイトル(書名)から、その著者が書こうとすることは想像できるようになります。そうすれば、本文を読まなくても目次や小見出しとタイトルを読んだだけで、その本の要旨を予想できるようになると思います。

 「速読術」などをうたう本は、こうしたそもそも技術ではない部分をあたかも「魔法のような技術」に仕立てた本ではないかと思います。多くの読書好きの人はそのことを言わないだけで、みな知っていると思います。読書家は本を読んだ量が普通の人よりも圧倒的に多いため、好きな分野ならば、前述したような本文を読まなくても内容が予想できた経験をしているのです。

 例えば、推理小説を好む読者層が世の中には一定数いますが、そういう人たちは驚くほど数多くの推理小説を日本のものも海外のものも含めて読んでいます。わたしの家内もそういう人間なのですが、ドラマなどをテレビでみていると、ほぼ確実に誰が犯人かも誰が次に悪役になるかも、すべていい当てます。

 読書経験が貧弱だった、かつてのわたしは、それをみて「この人は天才なのではないか?」と錯覚したこともあったのですが(家内に怒られそうです)、自分が大量に本を読むようになって、その感覚と意味がわかりました。

東野圭吾や伊坂幸太郎が売れる理由

 推理小説にも物語にも王道のパターンはすでにあって、多くの本はそれに依拠しているため、大量に読書をしている人にはほとんどの筋道がみえてしまうのです。たまにその筋道を裏切る本があると面白いわけですが、筋道を想像できない物語を紡げる人はなかなかいないでしょう。

 その意味で、最近は読んでいないのですが、わたしが30代のころに発売されていた小説を全冊読みつくした東野圭吾などは、そのタイプの作家ではないかと思います。

 だからこそ売れるのですが、まったく違うタイプで読めないストーリーと会話の妙味を展開する伊坂幸太郎も、パターンに当てはまらないという意味では同じタイプの作家かもしれません。それゆえ、お二人とも、長期間にわたり売れ続け、ドラマ化や映画化される著書も多いのでしょう。

<第9回に続く>