「脊髄が切れています。もうあなたは歩けません」失ったものよりも残ったものを大切に/あきらめよう、あきらめよう②

暮らし

公開日:2020/7/24

あきらめよう、あきらめよう。そうすれば、どんなときも幸せは見つかります。この困難な時代をしなやかに生きるヒントを語った、シスター鈴木秀子、渾身のメッセージです。さあ、一緒に聖なるあきらめのレッスンをしていきましょう。

『あきらめよう、あきらめよう』(鈴木秀子/アスコム)

失ったものよりも残ったものが大切

 私が親しくしている山崎泰広さんという、車いすを扱う会社の社長さんがいます。山崎さんは若いころ、留学先で事故にあい、車いすの生活を余儀なくされます。下半身不随となって、何度も床ずれに悩み、手術を繰り返しました。

 のちに「シーティング」(車いすに快適に座ること)の技術と出会い、そのときの感動がきっかけで車いすの輸入販売を手がける会社を立ち上げます。今では、行政とともにバリアフリーを推進する活動などにも取り組んでいます。

 いったい彼は、どのようにして「下半身不随になる」という不幸を乗り越えてきたのでしょうか。

 また、車いすで生活をしながら人並み外れたバイタリティで高性能な車いすの普及事業に取り組んで、多くの人を幸せにしてこられたのはなぜでしょうか。

 そこには、聖なるあきらめが働いていたと思えてなりません。山崎さんの半生を見ていきましょう。

 

 19歳の山崎さんが、留学先のアメリカのある寮で、3階の窓際に腰かけていたとき。誤ってコンクリートの地面に転落し、背骨と頭蓋骨を骨折してしまいます。彼は10日間ほど意識不明になりますが、幸い脳に障がいを負うことは免れました。意識が戻りかけたとき、山崎さんは神父さんがずっとお祈りをしてくれていたことに気づきます。

 意識が戻った3時間後。主治医がやってきて、山崎さんにこのような告知をします。

「脊髄が完全に切れています。もうあなたは歩けません。一生、車いすでの生活になります」

 普通に考えると、誰だってそこで大きな悲しみにくれるはずです。けれども山崎さんの場合は違いました。幸運にも周りにポジティブな人が多くいて、気落ちしないようなサポートをしてくれたのです。

 まず主治医は、車いすにまつわるさまざまな情報を提供してくれました。

「車いすの人のためのスポーツ雑誌」を手渡されたこともあります。その雑誌には車いすで競技をする選手たちの写真がたくさんあり、山崎さんはとても勇気づけられます。

 神父さんも祈り続けるばかりではなく、山崎さんにさまざまなことを話してくれました。山崎さんの心にとくに残ったのは次の言葉でした。

「失ったものを嘆くのではなく、残されたものに感謝をしなさい」

 けれども、失ったものがあるときにそのことにとらわれずに「感謝をする」というのは、とてもつらいことでした。そこで山崎さんは、「無理にでも感謝の祈りをしよう」と決めて祈り続けました。祈りといっても眠る前に毎日言葉を唱えるだけです。

 ただ、習慣の積み重ねとは大きなもので、イヤな気持ちはいつの間にか忘れてしまうことができるようになりました。

 リハビリの担当者は、このような助言をしてくれました。

「一つ言っておきたいのは、あなたは何も変わっていないということです。だから、今まで持っていた夢も目標も変える必要はありません。ただ障がいを負ったことで、これまでと同じ方法ではできなくなってしまいました。だから、どういう道具を使ったら実現できるのかを一緒に考えていきましょう」

 それから日本に帰国した山崎さんは、5年もの間、サラリーマンとしてある会社に勤めます。

「車いすで働いている。でも、みんなに認められたい」

 そのような思いに突き動かされて、必死に働きます。

 そのうち、車いすと体がうまく接していないことから床ずれが起こり、手術を何度も受けることになります。「退院しては再発する」ということを繰り返し、計6回もの手術を受けることになります。

 そのとき、彼にこのような思いが湧き起こりました。

「私は頑張ろうとしているのに、なぜ神様はそれをやめさせるようなことばかりするのだろう……?」

 そのころ山崎さんは、知人にアメリカのある病院を紹介されます。そこでは床ずれの手術だけではなく、「シーティング」という人の体に車いすをなじませる技術によって再発防止に努めるという方針を取り入れていました。

 山崎さんは「シーティング」のおかげで、〝車いすでの快適さ〞を初めて手に入れます。そして、「シーティングの技術をはじめ、高性能の車いすを広めることで、多くの人が幸せになるはず」という思いから、会社を設立するに至ります。日本にはまだ、「高性能の車いすの市場すらない」という時代でした。

 山崎さんは今、講演やセミナーを行ったり、テレビなどのメディアを通してさまざまな普及活動を続けています。彼の願いは「障がいのある人にとって、住みよい環境や条件が整うこと」です。バリアフリーな環境を、行政とともに進めていく活動にも携わっています。

 

 失ったものを嘆くのではなく、キッパリと諦める。

 そして、明らめることで残されたものを見つけ、その大切さに気づき徹底的に感謝をして、「あるもの」を活かしていく。つまり、できることに全力投球をしていく。

 山崎さんはそのような考え方で、道を切り開いてこられたように感じます。

 聖なるあきらめを最大限に発揮して、「失ったものには、こだわらない」。そして残された条件の中で徹底的にいい方向に築き上げていく。そのような潔さ、聡明さのおかげで、山崎さんは大きな不幸をはね飛ばしてきたのです。

<第3回に続く>