「親の介護から逃げたいと思う。私は冷たい息子なのでしょうか」知恵を使い、今の自分にできる“最善の道”を選んで/あきらめよう、あきらめよう⑧

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公開日:2020/7/30

あきらめよう、あきらめよう。そうすれば、どんなときも幸せは見つかります。この困難な時代をしなやかに生きるヒントを語った、シスター鈴木秀子、渾身のメッセージです。さあ、一緒に聖なるあきらめのレッスンをしていきましょう。

『あきらめよう、あきらめよう』(鈴木秀子/アスコム)

ほどほどを目指すのがちょうどいい

「私は正直なところ、親の介護から逃げたいと願っています。仕事に支障が出てしまうからです。親には申し訳ないけれど、施設に入ってもらおうかと考えています。私は冷たい息子なのでしょうか?」

 このような相談をいただくことがありました。

「親の世話をしたい気持ちはあるけれども、自分の時間を削られては困る」というジレンマが透けて見えるようです。とくに男性の場合は、一家の大黒柱である上に働き盛りの年代であることが多く悩ましいものです。

 いったいどうすればいいのでしょう。

 親に介護が必要になったとき。

「親にとっても、自分自身にとっても100%の満足はない」、まずそう明らめて(認識して)ください。

 なぜなら、親子といえども利害が衝突することは必ずあり、双方に100%の「最善の道」が開けていることはめったにないからです。

 冷たく聞こえるかもしれませんが、「親にも自分にも、ある程度の負担は生じるはず」と最初から諦めて期待をしないことが大切です。

 もちろん誰だって、常に「最善の道を選びたい」と願うのが人情です。そして、その向上心は成長のために必要な欲求でもあります。

 けれども、どんなにお金や時間に余裕があったりやる気にあふれているという人でも、限界はつきまとうものです。

 たとえば、老人ホームへ親に入所してもらうというケースについて考えてみましょう。

「うちの親は、このエリアで一番いい老人ホームに入所してもらおう」

 そんな思いで資金を潤沢に用意していたとしても、希望の施設が満員で入れない可能性だってゼロではありません。ここでも諦める姿勢が必要です。だから現実的な条件の中で、自分もほかの誰かをも犠牲にしない道を選んでいくべきです。

「自分を犠牲にしない」という姿勢はとても大切です。なぜなら、どんなにいいことをしたとしても自分への負荷が大きかった場合、あとで必ず怒りがふつふつと湧いてくるものだからです。

 また、「理想の老人ホーム」の条件を挙げ始めると、山のように出てくるかもしれません。

「自宅の近くでないと困る」「個室はうんと広い施設がいい」「なるべく新しい施設がいい」「ごはんがおいしいところでないとダメ」……。

 でも、これらの理想を全部叶えることは、最初から諦めておきましょう。

 なにごとも「すべてがうまくいくわけがない」というこの世の真理を、明らめる(わきまえる)べきです。そして老人ホームの候補を絞り、入所先を決めることができたら。

「このホームは、ほかの施設に比べてスタッフが無愛想だ」などと減点法で見るのではなく、「庭に花壇があって、いい雰囲気だった」というように加点法で見ていきましょう。そして、「老人ホーム探しは、やれるだけやった」と自分の頑張りを認めて、心を満足させることが大事です。

 老人ホームへ親に入所してもらったら。

 親はその日から、一日の大部分を一人個室で過ごすことになります。

「離れたところにいる親に、温かさを伝えること」に力を注いでいきたいものです。

「いざ離れるとさみしい」「心配でならない」などと感情に流されてソワソワするのではなく、知恵を使い今の自分にできる「最善の道」を選んでいきましょう。それが聖なるあきらめです。

 私が聞いた、温かさを伝える二つの方法をお伝えしましょう。

 Xさんは、老人ホームにいる親にシニア向けの携帯電話を持ってもらおうと手続きして、その使い方をゼロから教えて毎日のようにメールを送信し続けたそうです。

「おはよう。昨晩はよく眠れた?」
「今日はいい天気で気持ちがいいね。調子はどう?」
「私たちは食事のとき、いつもお母さんのことを話しているよ」

 このように、たった一文のシンプルなメールだったそうです。

 けれども、Xさんのお母さんはメールのやりとりをとても楽しみながら、心穏やかにホームで最期まで過ごされたそうです。

 この話を聞いてよくわかるのは、離れたところにいる親に愛情を送り続ける大切さです。ホームに入所した親にとって一番怖いのは「家族から見捨てられること」なのです。どんなに物質的に恵まれた環境にいても、家族から邪険にされれば、幸せであるとはいえません。

 Yさんは、老人ホームにいるお父さんを見舞うたびに、千円札をお小遣いとして渡していたそうです。

「頻繁に1万円札を渡してあげることは、私には少し難しい。けれども千円札であれば、月に数回なら工面することができます。親父は認知症になっていました。だから『千円札をたった1枚?』と疑問に感じることもなく、『少ない!』と怒ることもなく、純粋に『ありがとう、ありがとう』とまるで子どものように大喜びしてくれたのです。父の笑顔に、私の心は何度も熱くなったものです」

 このように、老人ホームに介護をお任せするにしても、そのあとに聖なるあきらめで「最善の道」を選んでいくことができれば、自分を責めすぎることはありません。

 具体的には、「最善の道」とは次のようなことです。

 まず親を喜ばせることを徹底して考え、それを実行し続けること。

 親と実際に面会する時間は、昔の思い出話など「いいこと」を選んで話題にすること。

 家に戻って、親のことがふと心配になったら、面会時に話した「いいこと」だけを思い出すようにすること。

 施設の職員さんたちには、心を込めて丁寧に挨拶やお礼の言葉を伝えて感謝の気持ちを表しておくこと。

 自分なりの親の介護の方法を、聖なるあきらめで選び取って、幸せの青写真を無理なく描いていきましょう。

続きは本書でお楽しみください。