「都会の孤独」を癒やしてくれるのは、何気ない日常のご飯なのかもしれない【読書日記24冊目】

マンガ

公開日:2020/7/20

2020年6月某日

 真夜中にコンビニに向かう。

 電車にもほとんど乗らなくなり、雑踏にもまぎれられず、ファミレスも24時前には閉まってしまう現在の東京で、街が寝静まった深夜にでも迎え入れてくれるコンビニは私が都会に住む数少ない理由のひとつだ。

 カバンに財布を放り込んでサンダルを足につっかけながら、友人に電話をかける。仮眠をとって原稿を書き、仮眠をとって原稿を書き、という私と似たようなスタイルで仕事している友人は、今日も仮眠明けでこれからちょうど仕事をするところだと言った。

 リモートワークがメインになった日々は、いつにも増して昼も夜もない。小さいときに想像していた「大人」は少なくともこんな風ではなかった。家族がいて、会社に勤めていて、昼と夜は当然ある生活。

 今の生活は気に入っていて、しかし未だにどこか気が咎めるし、何といってもさみしい。友人が深夜に電話して出てくれるたびに、ありがたさが水面張力ギリギリまでせり上がって溢れ出そうになり、自分から電話をかけたくせに「用事とか別にないんだけど」と悪びれた。

「コンビニ電話」の良いところは他愛もない話をできるところだ。この間、友達が夜食を買いにコンビニに行ったときは目に入る風景を口頭で描写してくれた。おにぎり、サンドイッチ、蕎麦もいいな、最近のコンビニって花火もあるんだね、なんていう言葉を聞いていたら、家にいながらにしてまぶたの裏がコンビニになった。脳内散歩。ステイホームでどこまでも行ける。

 自分の城を守って、物理的にも精神的にも人と適度に距離を保てる今の生活は本当に気に入っている。でも、「こんなんでいいんだっけ」とか「いつまで続けられるんだろう」という不安がときどき頭をもたげる。

 そんなときに、下北沢の本屋B&Bさんで、オカヤイヅミさんの『いのまま』(芳文社)が目に入った。オカヤイヅミさんは何かのグループ展でイラストをお見かけして以来、若き純文学作家の淡々とした日々を描いた『ものするひと』(ビームコミックス)を読んだり、Twitterを通じてオカヤさん自身の日々の様子を拝見したりする中で、オカヤさんのフィルターを通した「“なんでもない”日常」に幾度となく癒されてきた。とりわけ、オカヤさんがTwitterに投稿されるご飯のツイートが大好きで、ときどきプロフまで遡って見ることもあった。

『いのまま』(オカヤイヅミ/芳文社)

 不勉強で『いのまま』を出されていたのは知らなかったのだけど、タイトルを見て、きっと「胃のまま」だろうと思った。手に取って見ると、目次には思った通り料理の名前が並んでいたので、すでに両手で抱えられるギリギリの本のてっぺんに乗せ、恐る恐るレジまで運んだのだった。

『いのまま』は、オカヤさんの日常と、その中でつくられる食事がテーマになっているコミックだ。雑誌掲載時は「オトナ食堂」というタイトルで連載されていたこともあり、幼少期のエピソードがときどき交錯し、当時の視点から大人になったオカヤさんを見つめている。

 登場する料理は全部で15種類、「あんかけ焼きそば」や「豆乳白玉ぜんざい」など、耳馴染みのあるメニューもあれば、「プチトマトのおひたし」や「かぼちゃチキンホットサンド」など、興味を惹かれる料理も登場する。

 レシピは肩ひじ張ったものが少なく、余ったもち米をひき肉にまぶして蒸す「もち米しゅうまい」や、乾いてしまったパンに市販のコーンスープを染み込ませてチーズをかけて焼く「コーンスープパングラタン」は、特に手が伸ばしやすい。

 食をめぐるエピソードの一つひとつも追体験したいと思わせてくれるものばかりで、深夜まで自宅で友人と麻雀をし、小腹が空いたときにつくる「ホットケーキ」や、友人から何か言いたげな連絡が来たときに、話を聞くのに集中するために手間いらずでつくれる「常夜鍋」など、一話読むごとに自分の中に多幸感が増していくのがわかる。

 とりわけ、私が好きなのは「イングリッシュマフィンのフルーツサンド」だ。

 オカヤさんを「料理のカスタマセンター」のように思っている友人から深夜にかかってきた電話を取るところからお話は始まる。「フルーツサンドのホイップクリームが泡立たない」という“お客様”の問い合わせを受け、フルーツサンドが食べたくなってしまったオカヤさんと友人は電話を繋ぎながら、深夜のコンビニに向かう。

 泡立てにコツがいるホイップクリームの代わりにギリシャヨーグルトを、そのほか各々好きなパンとフルーツを買って帰宅。友人は食パンにイチゴを、オカヤさんはトーストしたイングリッシュマフィンに缶詰のパインをサンドする。買い出しから食べ終えるまでずっと電話を繋いでいる光景に、いつかの自分の孤独な夜を重ねた。

 しかし、オカヤさんの描く日常は、いつもカラッとしていて軽やかだ。

さみしかったり
嫌なことがあったら
夜 遠くに住んでる友だちを
夜中に叩き起こして

夜中の2時に
同時に
甘いもの食べて
なんとなく
落ちつくことも
できるなんて

この時代の
大人は けっこう
良いものだ

 誰かと一緒に暮らすのは性に合わない気がするけれど、ずうっとひとりでいて平気なわけでもない。その「間」を縫ってくれる便利なものが現代には存在する。便利に「進化」していくことの何もかもを礼賛はできない。ただ、都会で孤独を味わいながら生きていけるだけの繋がりを持たせてもらえる時代に生きていてよかったなとは思う。

締め切りに追われたり、時には大家さんに中年で独身だと哀れまれたりもするのですが、生来マイペースなもので仕事の合間にぼんやりしたり食べたいものを思い立ったら作って食べられる暮らしはどうやら性に合っているようで、ずっとこのままならいいのにと大人の割に甘い夢を持っています。

 不安に思ったり、気が咎めたりすることもあるけれど、こんな風に楽しそうに少し先を生きているオカヤさんのフィルターを通した景色は触れるととても安心する。深夜に電話に出てくれる友人がいなくなっても、この漫画を読み返せばホッとしてよく眠れる気さえするのだ。

文=佐々木ののか バナー写真=Atsutomo Hino 写真=Yukihiro Nakamura

【筆者プロフィール】
ささき・ののか
文筆家。「家族と性愛」をテーマとした、取材・エッセイなどの執筆をメインに映像の構成・ディレクションなどジャンルを越境した活動をしている。6/25に初の著書『愛と家族を探して』(亜紀書房)を上梓した。
Twitter:@sasakinonoka