自意識の脱毛/『運動音痴は卒業しない』郡司りか⑥

小説・エッセイ

公開日:2020/9/1

 最近面白かったこと。

 仕事のため電車で都内に出たとき、改札出てすぐのところに不自然にパーテーションで囲われた場所がありました。大きさは4畳ほど。

「3分。1000円。痛くありません」

 看板を読んでも何か分からず、恐る恐るパーテーションの隙間から覗いてみたら、目が合ってしまった!

 顔をホールドされ鼻に棒を突っ込まれてる人と突っ込んでる人が同時にこちらを見ているじゃないか。

 こ、これは、鼻毛の脱毛だー!!

(知らない人のために:粘着物を鼻に入れて凝固させてから引っ張ることで毛が抜ける仕組みだそうです。)

 ハッとして足元を見ると「順番に並んでね」の足マーク。よく見ると別の看板には「鼻毛脱毛」と書いてある。

 意図せず並ぶ場所に立ってしまったが、うら若き乙女が並ぶ場所ではありません。あ、「うら若き」は10代半ばの女性を指すので私には当てはまりません!

 そのまま目を逸らすまいとして後ろに下り、全速力で逃げました。

 誰があそこに並ぶのか!

 それは「自分は鼻毛が伸びてます!」と堂々と言う行為に値するはずでしょう! 東京はすごい。

 いつも思います。

 何事にも臆しない人になりたいです。

 学生の頃、席替えで最前列の席になってしまったらもうエンド。後ろからの視線が気になってしまって姿勢良くカチッと座ることに全集中します。

 気に入って買った髪飾りも絶妙にダサいんじゃないかと疑っては外すので、髪がぐしゃぐしゃになり結局ポニーテールです。

 流行りの曲を聴きたいけれど、もしうっかりミスで携帯スピーカーで流しちゃって「ミーハーじゃーん」と思われたら嫌なので、電車ではちょっとお洒落なマイナー曲を聴きます。

 ワイヤレスイヤホンはイマイチ信用できない。とったりつけたりとったりつけたり、延々と繰り返す音漏れ確認で継ぎ接ぎにされたJPOP。

 それほどの「気にしい」な人間なのです。

 これは関西弁で「気にしすぎる」という意味であり、全国的にも浸透しつつあると思います。

 周りはそんなにあんたを見てないぞ! と言われても、そんなことはどうだっていい、私自身が見ているのだ! と論破してきました。

 そんな私にとって1番の恥である運動音痴を晒さなければいけなくなり、「気にしい」は加速すると思ったのですが、意外や意外。

 私の最もやわくてもろくて打たれ弱い部分は「恥ですよ」と披露したら恥ではなくなるじゃないですか! 開き直りでもいい、隠しているから余計に気にしてしまっていたのかもしれない。

 そして最後の砦、恥を晒したとしても僕は死にましぇんなのです。

 そう思えれば強い。

 結局は何を恥とするかは自分で決めていいのでしょうか。となると、鼻毛を恥としなければ抜かなくてもいいのでしょうか。否、それは恥の前にエチケットでしょう。

 もし次にあのお店を見かけたら、今度こそ堂々と並びたい。

<第7回に続く>

プロフィール
1992年、大阪府生まれ。高校在学中に神奈川県立横浜立野高校に転校し、「運動音痴のための体育祭を作る」というスローガンを掲げて生徒会長選に立候補し、当選。特別支援学校教諭、メガネ店員を経て、自主映画を企画・上映するNPO法人「ハートオブミラクル」の広報・理事を務める。
写真:三浦奈々