誰か俺の気持ちごと連れ去ってくれ、こんな意味ねえ場所から。/住野よる『この気持ちもいつか忘れる』①

文芸・カルチャー

更新日:2020/9/21

平凡な日常に退屈し、周囲や家族とも適度な距離をとって生きるカヤ。16歳になった直後、深夜の人気のないバス停で、爪と目しか見えない少女と出会う。日常に訪れた「特別」に喜び、真夜中の邂逅を重ねるうち、カヤたちはあることに気づき――。
『君の膵臓をたべたい』の著者・住野よる氏の新作『この気持ちもいつか忘れる』(新潮社)は、氏が敬愛するバンド・THE BACK HORNと、構想段階から打ち合わせを重ね、創作の過程を共有し執筆したという作品。
「小説家×ミュージシャン」という史上初のコラボ作品を、全5回で試し読み配信。

この気持ちもいつか忘れる
『この気持ちもいつか忘れる』(住野よる/新潮社)

本編

 どうやらこの生涯っていうのは、くそつまんねえものだ。大人達がこぞって、十代の頃が一番楽しかったと言うのがその証拠だ。この何もない毎日のことを賛美して羨(うらや)ましがるなんて、俺が今いるこの場所から浮き上がることがもうないだなんて。

 この危機感を周りの奴らも同じように抱いているものだとばかり思っていた。でもそうじゃなかった。奴らはそれぞれに、何かしらで無理矢理自分を納得させることが出来ていた。例えば本を読み、例えば音楽を聴き、例えばスポーツに打ち込み、例えば勉強に没頭し、自分を慰めているようだった。

 ある一定のルールに従い、ある一定の能力を身につけ、極度の不幸に見舞われなかったから生きてはこれた。食事は美味いと感じるし、睡眠は心地いいと感じる。でも何をやってたって、つまんねえんだ。つまんねえんだよ。

 毎朝飯を食って、登校し、決められた教室に入り、決められた席に座る。特に誰かと意味のあるコミュニケーションをとることもない。友好も結ばないし危害も加えない。

 ただ机を見て、時が経つのを待つ。退屈は刺激すると一層色濃く姿を現す。身をよじれば痛みが響く。じっとしていればただそこにいるものとしてなんとかやり過ごせる。じっと心の奥底に座り込んだ退屈を見ている。

 目をあげて、あたりをざっと見渡す。なんでもない子どもが三十人ばかり集められたこの教室に、特別な人間なんて一人もいない。もちろん俺も含めて、全員がつまらない奴ばかりだ。

 俺とこいつらの違いは、俺が自身のつまらなさを忘れずに生きているということだ。他の奴らは、何かしらで人生を彩り、自分が特別であるかのように勘違いして生きている。俺は奴らを平等に軽蔑している。

 俺は途方にくれる。途方にくれるしかない自分にも、途方にくれることすらしない奴らにも、怒りが湧く。

 自分がつまんねえってことに怒り続けている今が、人生の最高潮らしい。

 本当に馬鹿みたいだ。

 なあ、頼むよ。

 誰か俺の気持ちごと連れ去ってくれ、こんな意味ねえ場所から。

 何もしていない時間に、以前は暇つぶしで本なんて読み漁っていたこともあった。おかげで無駄な知識を色々と蓄えたが、それ以上の収穫は特になかった。専門書やノンフィクションもそうだが、特に人の考えた物語なんてものは、全く希望になりえなかった。

「鈴木(すずき)、五行目から次の段落まで読んでくれ」

「はい」

 教師からの指示に応え、俺は国語の教科書を持って立ち上がり、指定された箇所を声に出して読み上げる。反発なんてしない。クラスの不良を気取っている奴らが、だるいだのなんだのといちゃもんを付けているのを見ると、つくづく何も理解していないと思う。だるければ指示された通りに動けばいい。流されることが最も人の時間を簡単に進ませる。休むという選択肢をとらず、何かしらの理由があり登校してきているのだったら、だるさを軽減する方法などこれしかない。もしくは本当はだるくもなんともなく、ただ誰かに構ってもらうことで自らのつまらなさを軽減出来ていると思っているのだとしたら、人として更に下だ。

 授業は受けていれば終わる。昼休み前に四つ。ただ座って人の話を聞いているだけでも腹は減るので、毎日食堂に行き食事をする。一人で空いている席に座り、その日なんとなく選んだものを口に運ぶ。いつも本当に食べたいものとはどこか違うものを漫然と食べる。

 食事を終えれば、特にだらついたりもせず教室に戻る。ざわつく教室の中で自分の席に座ると、周辺にいた奴らが少しだけ距離を取る。素直にありがたい。互いに、積極的に関わったところでいいことなんて何もない。

 あとは朝と同じようにこうしてじっと、退屈の痛みに耐える。大体いつもそれは成功する。

「鈴木ってさ」

 今日は途中で、邪魔が入った。前の席の女子生徒である田中(たなか)が、椅子に横向きに座って、つまらなそうにこっちを見ていた。口から紙パックのジュースに向かってストローが伸びている。

「何が楽しくて生きてんの?」

 ふざけんなよ、と思う。何も考えてねえくせに的を射た問いを投げかけてくることにも、まるで何か楽しいことを知っている自分が、俺よりも尊い人生を送っているとでも言いたげな様子にも。

「別に何も」

「ぶちギレるのやめてくんない? ガッコ終わったら何してるわけ?」

「走ってる」

「誰と? 部活やってないじゃんね?」

「一人で」

「んだお前、アスリートかよ」

「いや」

「分かってるよ、馬鹿かよ。もっと楽しいこと見つけたらどうなん? いっつも机睨(にら)みつけて、鈴木の顔見たらこっちまで暗くなる」

 余計なお世話だ。迷惑はかけてない。どうして他人の気分まで気にして生きてなきゃならない。こっちだって、誰にでも馴れ馴れしくすることが自分の価値だとでもいうように振る舞うつまんねえクラスメイトに話しかけられたら、退屈さに拍車がかかる。

「ねえよ、楽しいことなんて」

「くらっ」

 思い切り顔をゆがめる田中に対し漏れそうになった溜息をかみ殺した。クラス内に敵を無暗(むやみ)に作る気はない。退屈なだけじゃなく面倒になる。

「ま、退屈だってのには賛成。こんな田舎さっさと出ていきたいよねえ」

 くだらない意見だ。心の底から。

 ここが田舎だろうが都会だろうが意味ねえよ。電車や車で移動してたかだか一時間やかかっても二時間そこら。意味ねえよそんな時間に。その時間で、俺ら何か特別なことの一つでも出来るかよ。俺もお前も場所なんて関係なくつまらない人間なんだよ。

 これ以上の会話は不要だと目をそらす。しかし田中はまだ俺で暇を潰す気のようで、独り言のふりをして反応を求めてくる。

「お、うちのクラスの暗い奴、女代表が帰ってきた」

 声をひそめるつもりもない音量で、田中は教室の後ろを見てそんなことを言う。振り返らなくとも、誰が教室に戻って来たのかは分かる。

「鈴木はあの子と暗いもん同士で喋(しゃべ)ったりしねーの?」

 どうだったらこいつは満足なんだろうか。世の中には意味のない質問がはびこっている。

「喋ることねえよ別に」

「話合うかもよ、いっつも二人して机じっと見てんだから、どの机の表面が綺麗だねとか喋ったらいいじゃん」

 自分の言ったことに自分で笑う奴が、俺は嫌いだ。

 暗い者同士。俺と、今教室に入って来たのだろう斎藤(さいとう)が外側からは同じように見えるというのだけは分かるけど、それをくくったところで何の意味もない。

 前の席の田中がようやく俺に飽きていなくなり、じっと待っていると昼休みが終わった。掃除の時間、今週は教室の担当だ。適度に床と黒板を綺麗にし、適度に机を並べる。掃除は、他にやってくれる人間がいない場合、生活に必要なことだ。最初から面白みを求めていない作業は、俺にとってとても楽で昼休みよりもずっと気持ちが落ち着く。

 その後の五時間目も六時間目もやり過ごし、帰りの挨拶も終え、なんの未練も残さずに家に帰る。大抵のクラスメイトは自由になったことに気持ちを弛緩(しかん)させ、幾人かがこれから部活が始まることに緊張して、奴らはどいつも数秒教室を出ることを躊躇(ためら)う。だから結果的に、俺と、あと一人だけがタイムロスなく教室を出る。

 どちらかがどちらかの背中を見ることになるというパターンの違いはあれど、廊下で俺達の間に関わりが生まれたことは一度たりともない。

 しかし出席番号が近い俺達は、下駄箱でどちらか先に着いた方が靴を履き替えるのを、後に着いた方が待たなくてはならない。

 今日は斎藤の方が先だった。彼女が特に急ぐ様子もなく靴を履き替えるのを、俺は黙ってじっと待つ。立場が逆転することはあれ、ほとんど毎日俺達はここでの数秒を共有している。会話をしたことはない。

 一言も発さずこちらを振り返りもせずに斎藤がいなくなってから、俺も黙って靴を履き替える。

 俺と斎藤の話が合うだって? あいつの中にあるのもきっと、他の奴らとコンマ数ミリずれただけのつまらなさに過ぎない。気持ちを共有出来る奴が同じクラス内にいて救いになってくれることなんて、この世界には、少なくとも俺みたいな、なんでもない人間には起こらない。奇跡も運命も特別なこともありはしない。

<第2回に続く>