「俺のこと売ったの、そいつなんだよ」人気俳優スキャンダルの裏に隠された悲しい過去/アスク・ミー・ホワイ⑧

文芸・カルチャー

公開日:2020/11/1

写真週刊誌のスキャンダル報道によって芸能界から姿を消した元俳優・港颯真。冴えない毎日を送る一般人・ヤマト。アムステルダムの地で偶然出会った二人の関係は、交流を重ねるうちに変化していく――。辛口社会学者・古市憲寿氏が描く、ロマンチックBLストーリーをお送りします。

アスク・ミー・ホワイ
『アスク・ミー・ホワイ』(古市憲寿/マガジンハウス)

 ホテルの部屋に戻って、食材をスーパーの袋から出していく。メインディッシュを作る間にすぐ食べられるように、チーズにはクラッカーとトマトを盛り付けた。港くんはそれを一つだけつまむと、向こうで休んでいいというのに、僕がキッチンで料理する様子をずっと覗いている。動じないふりをして、オリーブオイルを入れた鍋を準備して、切った豚肉を炒めて、酒を降りかけて、水を加える。煮立ってきたら、火を弱めてアクを取り除き、蓋をして弱火にした。

 鍋を煮込んでいる間に、ニンニクとタマネギをみじん切りにして、トマトを角切りにする。オリーブオイルを入れたフライパンに、ニンニク、タマネギを混ぜ合わせた後で、羊の挽肉を加えてよく炒める。水分がなくなってきた頃にトマトを加える。港くんにコリアンダーが大丈夫かを確かめて、二株ほど入れた。

 卵を割って、ボウルで牛乳、塩、胡椒と混ぜ合わせる。それをフライパンに入れてよく熱したら、さっき作ったミンチをのせて、卵の底が焼き上がるのを待つ。その間に、鍋の蓋を開けて、洗った後に水気を切ったモヤシと、3㎝の長さに切ったニラを入れる。味噌を溶き入れたら、器に盛り付けて、さっと醬油を振る。

 そしてフライパンから大皿に卵とミンチ肉を移す。豚汁と羊肉とトマトのオムレツの完成だ。小皿に盛り付けている間に、港くんはシャンパンをグラスに注いでくれた。

「あっという間に三品も作れるなんて、さすがだね」

 そして港くんはお世辞だとしても過剰なくらい「おいしい」を繰り返しながら、僕の作った料理を食べてくれた。

「何でこんなおいしくオムレツ作れるの。西麻布によく行ってた居酒屋があるんだけど、そこでこの料理出して欲しかったな。最近食べたものの中でダントツでおいしい」

「そんなに風に言われたの、初めてです」

「本当? 君のまわり、味オンチばっかりなんじゃないの」

 職場ではいくら料理を作ったところで、褒められるなんてことはまずないから、余計に嬉しくなる。

「ヤマトくんはなんでアムスに来たの? 料理修業?」

 オムレツをナイフで切り分けながら、港くんが聞いてくる。

「そんな格好いいものじゃないです。昔、付き合ってた彼女に誘われたんです。一緒にオランダに行かないかって」

「過去形ってことは、その子とは別れちゃったの?」

「気付いたら浮気されてました。太ったオランダ人のおじさんで、どこがいいかわからないけど。僕も会ったことがあるんですが、腐った切り干し大根みたいな臭いがしました。なのに問い詰めたら、あっさり別れるって言われちゃって」

 港くんが、空いてしまったグラスに、シャンパンのおかわりをついでくれる。サクラの話を、こうして会ったばかりの人に話しているのは不思議な気分だった。

「一番ショックなやつだ。俺も経験あるよ。恋人にふられたことよりも、自分より格下だと思ってたやつに寝取られるのが、一番悔しい」

「本当にそうなんですよ。正直、今でも彼女のことを恨んでるんです。いつも寝るたびに、彼女のいるこの世界ごと滅びちゃえばいいって思ってる」

 僕がそう言い終わった瞬間に、港くんは口に含んでいたシャンパンを少し吹き出したかと思ったら、大声で笑い始めた。そんなにおかしいことを言っただろうか。

「ヤマトくん、俺の友だちに似てるね。そいつもよく恋人にふられては、同じこと言ってた。世界が終わればいいって。でもそいつは、世界平和を実現する方法って聞かれても、同じこと答えるの。とにかく世界が終われば、恋愛に悩まされることも、戦争が起こることもなくなる。だから隕石でも降ってきて、この世界が跡形もなく消えることを、ずっとずっと願ってるんだって。満面の笑みを浮かべて言うんだよ。怖いだろ」

 その友だちも、きっと俳優なのだろう。画面の向こうの彼らが、僕と同じように恋愛に悩んだり、哲学的な話をしているのは、少し意外だった。

「ちなみにそいつが俺のこと、一番心配してくれてるの。今でも毎日のように長いLINEをくれる。他の知り合いはすっかり疎遠になっちゃったのに。でもさ、俺、知ってるんだよね」

 そう言うと、港くんはグラスに残っていたシャンパンを飲み干す。

 何のことかを聞こうと思ったが、彼の言葉を待った。iPhoneをBluetoothでつなげたスピーカーからカルヴィン・ハリスのEDMが流れている。その音楽に合わせるように、雪が窓を叩く音がビートを刻む。

 陽気な打ち込み音が、ホテルの部屋を満たしていく。僕は彼が何を言うのか半分予測できてしまい、悲しくなった。

「週刊誌に俺のこと売ったの、そいつなんだよ」

 その写真を初めて見たときは衝撃だった。

 港くんは、タオルを巻いただけの半裸で、とろんとした目をしている。それだけではスキャンダルでも何でもない。問題はテーブルと彼の指先だった。明らかに薬物の吸引に使用するための器具と、巻きたばこが写り込んでいたのだ。実際に鼻や口からドラッグを吸うシーンではなかったものの、「人気俳優・港颯真(26) 違法薬物使用疑惑」と大きなキャプションの打たれた雑誌記事は衝撃的だった。

「ヤマトくんも見たでしょ、あの写真。あれを撮ったのはあいつなんだよ」

「仲、良かったんですよね」

「うん、二人とも芸能界に入った時期が一緒だったし、ドラマの撮影のときは毎日のように一緒にいたから、家族以上に仲良くなったんだよね。何度も一緒に海外旅行もしたし、クリスマスや年明けのカウントダウンも過ごした。家の合鍵も渡してたし。何でこんなことになっちゃったんだろうな」

 そこまで話したところで、港くんはソファに突っ伏してしまった。眠ってしまったのか、寝たふりなのかはわからない。気付けば、二人でシャンパンボトルを二瓶も開けてしまっていた。

 ベッドルームからブランケットを持ってきて、港くんに掛けてあげた。もしも自分がゲイだったら、このままキスくらいしたくなってしまうのかも知れない。それくらいきれいな顔だった。昨日、コーヘイはさぞ楽しい夜を過ごしたのだろう。食器をキッチンに備え付けられた食洗機に入れて、ホテルの部屋を後にした。

 エレベーターに乗って、四角い無機質なボタンを押す。情報量が多すぎて、この数時間で起こったことをうまく整理できない。ただ、信頼していた人から裏切られることの辛さならわかる気がした。

 その人を信じていた自分にも嫌気が差すし、幸せだったはずの時間までが疑わしく思えてくる。しかも港くんの友だちは、今でも彼を心配する素振りまでしてくるという。さっぱり没交渉になったサクラのことを恨んでいたが、港くんの友だちよりはマシなのかも知れない。

 エレベーターはグランドフロアに着いた。すっかり人気のなくなったロビーを抜けて、ホテルの外に出る。粉雪がダウンジャケットに舞い散る。

 気温は氷点下を回っているはずなのに、不思議とそれほど寒く感じなかった。iPhoneを開くと、今さらコーヘイから「ソウくんに連絡先を教えたよ」という素っ気ないメッセージが入っていた。自転車を停めた橋向こうまで、凍結した道に足を滑らせないように、ゆっくりと歩き出す。

<第9回に続く>