偶然見えてしまったiPhoneの画面には、なぜか裏切った親友の写真が…/アスク・ミー・ホワイ⑨

文芸・カルチャー

公開日:2020/11/2

アスク・ミー・ホワイ

著:
出版社:
マガジンハウス
発売日:

写真週刊誌のスキャンダル報道によって芸能界から姿を消した元俳優・港颯真。冴えない毎日を送る一般人・ヤマト。アムステルダムの地で偶然出会った二人の関係は、交流を重ねるうちに変化していく――。辛口社会学者・古市憲寿氏が描く、ロマンチックBLストーリーをお送りします。

アスク・ミー・ホワイ
『アスク・ミー・ホワイ』(古市憲寿/マガジンハウス)

3月20日

「ヤマトくん、今日って何してる?」

 起き抜けに出た電話からは、久しぶりに聞く港くんの声がした。

 彼のホテルで料理を作った日から三週間ほどが経っている。あれから一切連絡が来ないものだから、自分が何かまずいことをしたのではないかと不安になっていた。スキャンダルのことを聞いてしまったのがいけなかったのか、それともビザ申請や生活に必要なことは一通り理解してしまい、僕がもう用済みになったのか。

 電話番号は知っているのだから、ショートメールで僕から連絡してもよかったのだが、何となく気後れしていた。一度会っただけの人間からしつこくメッセージが来ても気味悪がられるのではないか。しかも相手は芸能人だ。何を勘違いされているのだと思われかねない。

 本当は今月末まで何も連絡がなかったら、「ビザの件は大丈夫ですか。何かお手伝いすることはありますか」というメールを送ろうと思っていた。何度も頭の中で練り直した文言なので、おこがましさはないはずだ。

 そんなことを昨日の夜も眠る前に考えていたから、突然の電話にはびっくりした。

 港くんからは、一緒にデン・ハーグまで行かないかと誘われた。彼は僕と会ってからすぐ、日本から取り寄せた書類を、デン・ハーグにある日本大使館に提出していた。今日はそれを引き取りに大使館へ行き、その足でオランダ外務省まで行って書類の認証申請をするのだという。僕が二年前にしたのと全く同じことだ。

「それだったら、早めにアムスを出たほうがいいですよ。外務省に11時半までに行けば、今日中に手続きをしてくれるんです」

 リビングに出て、掛け時計を見ると時間は9時15分だった。アムステルダムからデン・ハーグまでインターシティで四十分、そこから61番のバスで十五分。時間にはまだ余裕があった。そのことを得意げに伝えたら、港くんはすでにUberを呼んでいるところだった。確かに車なら大使館まで時間のロスなく行ける。いくらオランダとはいえ芸能人相手に公共交通機関を使うことを提案した自分が途端に気まずくなった。

「今、ちょうど車に乗ったから、ヤマトくんが空いてるならピックアップしていい? 住所、ショートメールで送ってくれたら、そこまで行くよ。って今日、平日か。普通、仕事だよね」

「いや、大丈夫です。料理屋だから曜日って関係ないんですよ。ちょうど暇してたんで嬉しいです」

 少しだけ噓をついた。本当は今日の夕方から店のシフトが入っている。繁忙期ではないから急に休むと言っても何の問題もないだろうが、自分がここまでミーハーだったのかと少し驚く。どうして港くんと近付きたいと思ってしまうのだろう。

 だけど考えてみれば、僕もビザの手続きは全てサクラ任せだった。自分の経験を使って、偶然知り合った誰かを助けるのは何らおかしなことではない。本当はそれも言い訳だと思う。だって、有名人ではない、ただの日本人が同じように困っていたとして、僕が同じような行動を取れたかはわからないから。

 港くんがまだ同じホテルに住んでいるなら、あと十分ほどでUberが到着してしまう。急いでバゲットを切り、作り置きをしておいたカリフラワーのペーストとキノコのコンフィ、スティックチキンを冷蔵庫から出す。そのままサンドウィッチにしてしまう間に、ラッセルホブスの電気ケトルに水を入れる。

 いつの間にかシンクに上ってきた黒猫のアマンダが興味深そうに食材を眺めている。彼女に構っている暇なんてないから、少しだけスティックチキンをあげてしまう。しかし匂いを嗅いだだけで口にしようとはしなかった。鶏肉は好みではなかったのか。

「アマンダにご飯、あげてくれたの? ありがとね」

 シェアメイトのオーレが歯磨きをしながらキッチンに入ってきた。シンクの上で大人しくしているアマンダの頭を優しく撫でる。

「勝手にごめんね。でもチキンは好みじゃなかったみたい」

「ううん、好きなはずだよ。でもこの子、今、調子が悪いんだ。もしかしたら入院させるかも」

 そう言いながらオーレはアマンダを抱き上げる。どこか悪いのかと聞こうとしたところに港くんから電話があった。もう家の前に着いたという。

 アマンダのことは心配だったけれど、詳しく聞いてる時間がない。沸騰したお湯を水筒に入れ、ピクウィックのティーバッグをいくつか選びながら、遠慮がちに「それはとても残念だね」とだけ伝える。

 パジャマ代わりの黒いヒートテックの上にそのままZARAで買ったスウェットを着て、シームレスダウンを羽織る。もう時間がないとわかっているけれど、鏡を見ながら寝癖がついていないかだけ確認した。時間があったら、髪型も服装ももう少し何とかしたかったけれど仕方ない。

 オーレとアマンダに見送られながら急いで階段を降り玄関の扉を開けると、Sクラスの黒いベンツが停まっていた。窓を開けながら、港くんが手を振ってくれる。

「久しぶりです」

「急なのにありがとう。この前、一人でデン・ハーグ行ったら、退屈だったからさ」

 車に乗り込むと、身なりの整った黒人運転手が丁寧にアクセルを踏み込む。いつも僕が使うUberXではなく、ハイヤーを頼んだのだろう。

 三週間ぶりに会う港くんは、少し髪が伸びて大人っぽい顔つきになっている気がした。髪の毛は少し赤みがかり、うなじあたりで軽く結んでいる。オフホワイトのロゴが大きく描かれた黒いフーディーが似合っている。

「もらったメモ、すごい役に立った。ヤマトくん、頼りになるね」

「でも調べたら、僕のときとちょっと変わってることもあるみたいなんです。たぶん、このブログが参考になると思うんですけど」

 そう言って、Safariに登録したブックマークから、「aiamsterdam」というブログを港くんに見せた。頼まれてもいないのにこんなことを調べて気持ち悪がられないか心配したが杞憂だったようだ。

「あれ、検索してもすぐに出てこないや。ちょっと俺のiPhoneで探してくれない?」

 そう言って港くんからディオールのケースに入ったiPhoneを手渡される。ホーム画面のままだったのでSafariを起動すると、どこかで見覚えのある顔が笑っている写真がアップになっていた。思わす画面を凝視してしまう。

「ごめん、俺さ、もしかしてエロ画像のページ開いたまんまだった?」

 港くんが僕の持っているiPhoneを覗き込んでくる。

「いや、大丈夫です。誰かのホームページでした」

 大げさなくらいにしまったという顔をして、港くんは溜息を吐いた。その表情を見て、確信した。画面の中で笑う彼は、きっと港くんの友だちで、あのスキャンダルを雑誌に漏らした俳優だ。

 渋谷隼。彼が出演する映画がまもなく公開されるらしく、トップページで大きく宣伝されている。

<第10回に続く>

この記事で紹介した書籍ほか

アスク・ミー・ホワイ

著:
出版社:
マガジンハウス
発売日:
ISBN:
9784838731114