大航海時代は、レコンキスタ(国土回復運動)におけるポルトガルのアフリカ進出から始まった/365日でわかる世界史⑥

文芸・カルチャー

公開日:2020/11/4

学校の授業や受験勉強で頭に詰め込んだ知識ではつかみきれなかった、世界史の全体像が見えてきます。1日1ページずつ読めば教養としての世界史が身につく1冊から、10ページでわかる世界史の大きな流れをご紹介します。

365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」
『365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」』(八幡和郎/清談社Publico)

365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」

通史 10ページでわかる世界史の流れ⑥
大航海時代の契機となった出来事とは

 大航海時代がなぜ始まったかは、いろいろな誤解がある。そもそもの動機は何かというと、イベリア半島をイスラム勢力から取り戻そうというレコンキスタ(国土回復運動)の一環として、ポルトガルがアフリカに進出したことだ。ポルトガルは1488年に喜望峰、1498年にはインドに達して貿易を独占した。

 スペインは、アフリカで後れを取ったので、西回りでインドを目指そうとしたところ、コロンブスがたまたまアメリカ大陸を発見した。しかも、多くの銀山を開発してヨーロッパ経済への支配を強めた。スペイン人は、新大陸の資源を手に入れただけでなく、新大陸の各地とほかのヨーロッパ諸国の貿易を禁止して交易も独占しようとした。

 シルクロードをトルコ人に押さえられたから、代わりのオリエントへの道を求めたというのも、事実ではない。イタリアの商人たちにとってオスマン帝国がとくに面倒な支配者であったことはない。シルクロードが廃れたのは大航海時代の結果である。

 そのころ十字軍の活動を経済的に支え、ヨーロッパの金融を支え、毛織物など新しい産業も起きたイタリアでは、ルネサンスが興って宗教の束縛から逃れた精神活動も活発になった。

 13世紀にモンゴルがヨーロッパの一部までを征服したが、これが原因でアジア起源のペストが西欧に広まり、1億の人口のうち2000万~3000万人が死んだ。これで農民が不足し、自作農が増えたことが、イタリアなどの経済を活性化した(新大陸の発見は、旧大陸に梅毒、新大陸にインフルエンザや天然痘をもたらした)。

 サン・ピエトロ大聖堂の豪華な再建計画のための資金集めをきっかけに、神聖ローマ皇帝とそれを支持するローマ教皇への反感が高まり宗教改革が起きた。これが貿易をめぐる反スペイン・ポルトガル連合に結びつき、英国、フランス、それにスペインから独立したオランダが世界貿易と植民地獲得競争に参入することになっていく。日本にはじめにやってきたのはポルトガルであり、それに取って代わって日本との貿易を独占したのはオランダであるが、それにはこんな背景があったのだ。

 中国では、モンゴル人が建てた元に代わった明が当初は、日本も含めた各地に朝貢貿易を勧誘したり、鄭和の艦隊をアフリカまで派遣したりしたが、やがて意欲を失い、また、倭寇に荒らされることを嫌って海禁政策を取り、世界貿易の拡大の流れに逆行した。これが、やがて西洋諸国の差となって表れる。

 

教養への扉 日本はポルトガル人が到来して鉄砲やキリスト教を伝えたことに刺激されて積極的に対応し、国家の分裂状態を克服し、絶対主義王政を先取りする改革を進めた。明に代わって東アジアの盟主としての地位も狙ったが、守旧派政権の成立で反動的な政策を進め、鎖国して世界史の舞台から退場してしまった。

<第7回に続く>