ヴォルテールやルソーら啓蒙思想家を生んだフランスが革命に至った原因とは/365日でわかる世界史⑧

文芸・カルチャー

公開日:2020/11/6

学校の授業や受験勉強で頭に詰め込んだ知識ではつかみきれなかった、世界史の全体像が見えてきます。1日1ページずつ読めば教養としての世界史が身につく1冊から、10ページでわかる世界史の大きな流れをご紹介します。

365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」
『365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」』(八幡和郎/清談社Publico)

365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」

通史 10ページでわかる世界史の流れ⑧
フランス革命をめぐる賛否両論

 フランス革命の意義について疑義を挟む人がいる。理念の暴走による弊害があったとか、その思想や成果の多くが絶対王政のもとで萌芽が見られるものだったとか。しかし、日本の一部の保守主義者がいうように全体をネガティブに捉えるのは世界の常識から大きく外れる。

 自由、平等、博愛というのは民主主義の基本思想だし、憲政という思想も普遍的な人権思想もフランス革命を抜いて語れるものでない。

 英国の思想政治家エドマンド・バーグが書いた『フランス革命に関する考察』を保守主義の原点だという人もいるし、当時もそこそこ売れた本だが、アメリカのアンチ・リベラル派の間で近年、流行している以上のものではない。

 フランス革命を生んだのはいうまでもなく啓蒙思想である。キリスト教的世界観や封建的思想を否定し、理性に基づく思考を重視し、人間性の解放を目指す思想である。

 それでは、ヴォルテールやジャン=ジャック・ルソー、百科全書派の思想家たちを生みながらフランスが啓蒙主義的な思考を生かして革命を経ないで政治改革を実現できなかったのはなぜかというのは、難しい問いである。

 フリードリヒ大王やエカチェリーナ2世のように啓蒙君主として振る舞うことも、マリア・テレジアのように保守的だが仁政で切り抜けることも可能だったはずだ。

 ルイ15世の寵姫ポンパドゥール夫人のような理解者もいたしルイ16世は妥協的だったのだが、私は改革を拒み外国と内通するように夫に強要したマリー・アントワネットが原因だったと思う。

 革命は多くの犠牲を伴いながらも大きな成果も上げたが、それが世界に近代国家としての模範になったのは、ナポレオン・ボナパルトが真似られる形を与えたからだ。世界はフランスの支配を受け入れることは拒否したが、ナポレオンの思想は受け入れ、のちのドイツ統一もナポレオンの模倣だ。

 英国は海軍力のおかげでナポレオンの野望を打ち砕き、産業革命で得た圧倒的な産業競争力の優位で世界の経済秩序を変えて、軍事と経済と両方でパックス・ブリタニカへ向かって走り出し、フランス革命に先立ち、アメリカはフランスの援助で英国から独立。ナポレオン戦争でスペインとポルトガルが混乱した状況のなかで中南米諸国がそれにならった。

 ロシアは近代化は不十分だったがナポレオン戦争の勝利への貢献でヨーロッパ主要国としての認知を得た。それに対して、オスマン帝国はフランスに支援されたエジプトの自立で帝国の枠組みが崩れ始めた。

 

教養への扉 中国は18世紀の後半は、乾隆帝の長い治世のもとで、新疆ウイグル地区や中央アジア、チベットなどへ拡大し、経済も好調だった。しかし、準鎖国体制のもとで世界の変化に鈍感だったことの代償を払うことになる。日本は眠ったままだったが、異国船来航で海外への関心が芽生えてきた。

<第9回に続く>