ヴェルサイユ宮殿で建国宣言! ビスマルクの活躍により、プロイセン王が帝位に就きドイツ帝国が成立した/365日でわかる世界史⑨

文芸・カルチャー

公開日:2020/11/7

学校の授業や受験勉強で頭に詰め込んだ知識ではつかみきれなかった、世界史の全体像が見えてきます。1日1ページずつ読めば教養としての世界史が身につく1冊から、10ページでわかる世界史の大きな流れをご紹介します。

365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」
『365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」』(八幡和郎/清談社Publico)

365日でわかる世界史 世界200カ国の歴史を「読む事典」

通史 10ページでわかる世界史の流れ⑨
ヴェルサイユ宮殿で樹立されたドイツ帝国

 ヴェルサイユ宮殿の鏡の間は、第一次世界大戦を終結させたヴェルサイユ条約が1919年に締結された場所だが、「ドイツ第二帝国」の建国宣言が1871年にされた場所でもある。遠征地で王に推戴されるゲルマンの伝統に基づいてそんなことをしたのであるが、フランスにとって同じ場所での条約調印が意趣返しであるのはいうまでもない。

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 諸侯を自立させてハプスブルク家によるドイツの統一を阻止する国際秩序をつくったのが、1648年のウェストファリア体制だ(写真はフランス領となったアルザス)。その後、ハプスブルク家は中欧に領土を広げ、プロイセンがドイツ統一の主役になり、オットー・フォン・ビスマルクの手で一気に実現した。

 ビスマルクは賢明にもそれ以上の野心は捨て、国際秩序の安定を図ったが、ヴィルヘルム2世は、祖母であるヴィクトリア女王の大英帝国に対抗して世界の支配者であろうとし、オーストリアとオスマン帝国という多民族国家を味方につけた。

 その結果、起きたのが第一次世界大戦だ。ロシア、オスマン帝国、清は近代国家への脱皮に失敗していたが、それに成功したのは、明治維新と徹底した文明開化を成功させた日本で、第一次世界大戦では連合国の主要メンバーとなった。

 このころ資本主義は隆盛したが、労働者の待遇をめぐって社会不安が高まっていた。英仏米などでは穏健左派が進歩派が政治勢力として台頭することでスムーズに対応できたが、ロシアでは第一次世界大戦中に社会主義革命が起きた。

 ヴェルサイユ体制で連合国はドイツに厳しい代償を払わせたが統一国家の存続は認めた。しかし、これが大失敗だった。イタリアにはベニート・ムッソリーニが現れてファシスト国家の建設で一定の成功を収めた。これを模倣したのがドイツのアドルフ・ヒトラーで、強引にヴェルサイユ体制の秩序を書き換えさせ、英仏米もそれをある程度容認していたが、ついに我慢できなくなって起きたのが第二次世界大戦である。

 この戦いの勝者は明らかにソ連であった。日本を中国の国民政府やアメリカと戦わせ、ドイツを英仏やアメリカと戦わせ、後半ではドイツと戦い、日本との戦いにも最後に参戦した。1000万人以上の犠牲は払ったが、国家としては考えられるすべてを手に入れた。

 それはコミンテルンの陰謀の成功だけが理由ではないが、かなり重要な要素であることは間違いない。リヒャルト・ゾルゲが日本を南進政策へ向け、ソ連と戦うことはないとモスクワに知らせなければ第二次世界大戦の帰趨はわからなかったとロシア自身がいっているのであるが、日本のマスコミや歴史学者はそれを無視している。

 

教養への扉 明治日本は脱亜入欧で国際社会から認められた。しかし、辛亥革命後の中国は成果はともかく改革姿勢だけは評価され、日本はそれを邪魔していると見られ、過度の国粋主義やアジア主義も標榜して警戒された。太平洋戦争は、アメリカの軍事力に負けただけでなく、中国との外交戦に負けたという自覚が必要だ。

<第10回に続く>