あの人のにおい/『運動音痴は卒業しない』郡司りか⑩

小説・エッセイ

公開日:2020/11/1

郡司りか

 今年は秋の始まりがわからなかった。

 においがしなかったからです。毎日通る道に、今年も金木犀が咲いていることに気がつきませんでした。足元に落ちてる橙色の花々にハッとしたときにはもう冷たい雨に流されていたのです。

 

 そういえば、このあいだロケで阿蘇に行ったときも「阿蘇に来たー!」という感じがしませんでした。前に一度、宮崎に住んでいたときに旅行したことがあります。そのときは、山々に囲まれた阿蘇は木の湿り気や豊かな水のにおいがしました。

 

 普段から嗅覚に頼りすぎていたのかもしれません。

 私は、においで記憶を思い出そうとする癖があります。「あのとき、あの恩師は何て言っていたかな。(確かあのにおいがしたような)」というように無意識に思い出す癖です。

 かなり昔のにおいを具体的に覚えているわけではなく、「あのにおいは、水っぽくてふにゃっとスンと最後にクラッとする」というように、記憶に残しておきたいにおいはなんとなく言語化して覚えています。今のは好きだった塾の先生のにおいです。

 

 皆さんも感じたことがあるかもしれませんが、「おばあちゃんの家に行ったときに懐かしいにおいがする」という現象は、私は建物が古いせいだと思っていました。

 家自体がにおいを発しているから、玄関を開ける前からふぅんと香って、重いドアをガシャンと引くと勢いよく空気が飛び込んできます。板張りの廊下を歩くと夏でもひんやり冷たくて、応接室は昔おばあちゃんが飼ってた猫のにおいがします。居間に行くと、おじいちゃんが淹れた3時のコーヒーとスーパーの甘ったるいチョコパンのにおいです。それ全部ひっくるめて、おばあちゃん家のにおいでした。

 昨年からおばあちゃんが上京し、私の実家に住むことになりました。私はもう家を出ているのですが、久々に会いに行ったら実家がおばあちゃんの家のにおいになっていました。

 おばあちゃん家のにおいだと思っていたものは、全くおばあちゃん本人のにおいだったのです。そうか、においというものは人間そのものからも作られているのか。

 

 どの季節のにおいも昔懐かしく感じるのは、どの季節も誰かと一緒に過ごしてこれたからだと最近気がつきました。

 春は仲間とプール掃除で塩素のにおい、夏は家族とキャンプで朝露のにおい、冬は友達との帰り道に自転車のサビのにおいです。来年の今頃は秋の空気を思いっきり吸い込みたいな。

<第11回に続く>

プロフィール
1992年、大阪府生まれ。高校在学中に神奈川県立横浜立野高校に転校し、「運動音痴のための体育祭を作る」というスローガンを掲げて生徒会長選に立候補し、当選。特別支援学校教諭、メガネ店員を経て、自主映画を企画・上映するNPO法人「ハートオブミラクル」の広報・理事を務める。
写真:三浦奈々
ロケ協力:神奈川県立横浜立野高校