道端の小石でも、捉え方次第ではたちまち“主役”になる力を秘めている/杉田陽平の「妄想力が世界を変える」①

文芸・カルチャー

更新日:2020/11/16

杉田陽平
撮影:江森康之

 Amazon Prime Videoで配信中の『バチェロレッテ』で、“杉ちゃん”の愛称で視聴者から人気を集めた杉田陽平さん。番組最終回後のスタジオトーク特別番組『アフターファイナルローズ』では改めて告白をするなど、バチェロレッテへの愛の強さを見せつけた。

 男性陣にとっては強敵、視聴者にとっては唯一無二の癒しの存在、そんな杉田陽平さんのパーソナリティを深掘りする連載をスタート。第1回は、杉田さんの「アーティスト観」について伺いました。

バチェロレッテを通して「画家」の見られ方が変わった

 杉田陽平さんはプロのアーティストとして成功している一方で、本人も旅の中では一切言うことがなかった。

「僕にとっては萌子さんへの想いと、それが詰まった萌子さんを描いた絵そのもので勝負をしてみたかったんです」

 そんな彼の真摯な姿は、多くの視聴者にとって既存の「アーティスト像」とは違うように映ったようだ。

「よくInstagramのDMで『アーティストの見方が変わった』って言われることがあるんです。『アーティストって破天荒で自分本位で言葉のキャッチボールもできないうぬぼれ屋みたいなイメージだったけど、杉ちゃんを見てたらそれが変わりました』って。僕はそれが素直に嬉しい。

 テレビや映画もそうですけど、『画家』がプレイヤーとしてエントリーすると、必ずと言っていいほど絵の具だらけの服を着て爆発した頭で『そういう役』を押し付けられてしまう。でも、僕の周りにいるアーティストの友達でそういう風貌の人っていないし、活躍している人に限って常識人で話しやすかったりするんです。決して既存のアーティスト像が悪いというわけではないけれど。ただ、世間が感じるアーティスト像が拡張していったらいいな、というのは思っていました。……というのは後付けで、正直旅の最中は自分のことをアピールするのに必死でそこまで深く考えていなかったですけどね(笑)」

捨てられた缶コーヒーにも「物語」がある

 アーティストがどこか浮世離れしている印象を抱かれるのは、周りにそういった生業の人がいなかったり、「アート」を簡単に語ってはいけない、というような世間の風潮によるところもあるだろう。そういった空気に対して、杉田さんはこう語る。

「特に現代アーティストは意味のわからないものを作っている、というような印象を抱かれがちかもしれません。ただ、僕たちはもっと素朴な存在で、いつも新しい価値観やまなざしを探しているだけなんです。

 たとえば、公園のベンチに潰れたコーヒーの缶があるとするじゃないですか。ほかの人は、『汚いな』とか『放置されたゴミ』だと思うかもしれない。

 でも、僕たちは、その缶を見たときに、たとえば飲み口に口紅がついているのを発見したら『女性が飲んでいたのかもしれない』と思う。寒い時期にその缶からまだ湯気が出ていたら、もしかしたら缶コーヒーを飲みながら話をしていて、途中でやめて立ち去ったのかもしれない、と考える。まだ温かいコーヒーを残して去るくらいだから、きっと大切な話だったのだろう、もしかしたら恋人との別れ話だったかもしれない……そうやって単なる『ゴミ』であるはずのものを、色んな角度から見てストーリーを考えるのがアーティストの性質のようなものだと思うんです」

 その想像力や多様な視点は番組内でも活きていた。

「ただ絵を描くだけで素敵でしょ、ということじゃなくて、あなたとのストーリーの中で絵が成長していくんだ、という意味で最初は絵に色をつけていなかったんです。

 沖縄のサバイバルデート(6名ずつのチームに分かれてバチェロレッテのおもてなしプランを考えて対決)でも、正直僕は体力がないからそこで勝負することはできないけど、現地に咲いているめずらしい花を見つけるまなざしは持っている。あれはアートとはちょっと違うけど、こういう捉え方をすることもできるよね、という提示をすることはできました。わざわざそれを言葉にして言うことはないけれど、それが表現者としてのアイデンティティであって、普段そういうことをしている人たちなんだって伝わっていたら嬉しいですね。実際、YouTubeの僕の自己紹介動画のコメント欄などを見ていると、『アートをもっと気楽に見られるようになったかも』みたいなコメントも多くいただきました」

アートを盛り上げる役目を担いたい

杉田陽平

 杉田さんの旅での飾らない姿は、視聴者のもつアーティスト像を拡張し、親密さを抱くきっかけにもなった。結果としてそういう形になったと彼は言うが、しかし同時に、彼自身の中にはアートがもっと大衆に受け入れられることへの情熱もあった。

「たしかに、アートって、歴史とか見方とか作法とかいうのはあります。ただ、知らないから見ちゃダメだなんてことは全くない。実は僕、ラップがすごく好きで、今は若い日本のラッパーからアメリカのルーツのものまで、色々と幅広く聴くのですが、ラップを好きになったのはDragon Ashさんの『Grateful days feat. Aco, Zeebra』という曲です。当時はあの曲がヒットチャートの1位と2位をずっと独占していた。あの曲でZ eebraさんはラップをしているんだけれども、本格嗜好の人からすると『ラップじゃなくてポップだから』と言われてしまう。でも、たとえば僕のようにその曲でヒップホップを好きになった人間は、そこから『なんでそんなこと言われるんだろう』と不思議に思って掘り下げていくんですよね。そうやってヒップホップの周辺を知っていくことでより深く文化にふれ好きな曲やラッパーに出会えたりする。

 アートって、そのZeebraさんのような、とっかかりになるような人が不在なんですよね。超本格的なブラックコーヒーか、赤ちゃんでも飲めるようななんちゃってコーヒーの二極化みたいな状態になっている。コーヒーは奥深くて、すごく生活を豊かにするものかもしれないけど、コーヒーを飲んだことがない人が急に本格的なブラックコーヒーを飲んでも苦くておえってなってしまうかもしれない。ブラックはまだ苦い。でも、カフェオレなら飲める、みたいな段階があれば、少しずつコーヒーの奥深さにせまっていくことができるかもしれない。そうやって楽しめる人が増えることで文化も盛り上がって成熟していくことってあるはずです。

 Zeebraさんは売れ専とか色んな言われ方をした人ですけど、結果的にあの人がヒップホップを盛り上げたと思うし、今はフリースタイルダンジョンが盛り上がるなど、スーパーコンテンツになっている。僕は、アートでそういう役目をする人になりたいんです」

 そんな杉田さんに「今回のバチェロレッテの旅は、その役目の一端を担ったんですね」と聞くと、ちょっと照れ臭そうに笑いながら「なったのかなあ」と笑う。

「自然にそれがなっていたら健康的ですよね。僕は、それをしたくてやったというよりは、本当に恋愛をしたくて、結婚をテーマに真実の愛を考えてみたくて、エントリーしたんです。でもその結果、無意識に普段から自分のやっているスタンスで一生懸命でいたら、いつの間にかメッセージとして受け取ってくれている人がいた。それは素直に嬉しいことです。」

<第2回につづく>