最後に会話を交わした記憶も曖昧なまま直面した「祖父の危篤」/『しくじり家族』④
公開日:2020/12/2
葬儀はカオス。耳が聴こえない、父と母。宗教にハマる、祖母。暴力的な、祖父。ややこしい家族との関係が愛しくなる。不器用な一家の再構築エッセイ。
Chapter 1
祖父の危篤
故郷、仙台
仙台駅に到着すると、一目散に駅前のタクシープールへと向かった。駅構内を出ると、湿度を含んだじめっとした空気がまとわりついてくる。
久しぶりの帰省。駅前の風景もだいぶ変わっていた。けれど、感傷に浸っている暇はなかった。
すぐにタクシーに乗り込み、祖父が運ばれた病院名を告げる。普段ならばもう閉まっている時間だ。運転手はなにかを察したのか、無言で車を発進させた。
一息つく余裕もなく、佐知子に電話をかけた。コールするとすぐに「大ちゃん」と佐知子の声がした。
「仙台着いたから、いまからそっちに向かうよ。あと十五分くらいだと思う」
「わかった。病院に着いたら電話ちょうだい」
最後に祖父に会ったのはいつだっただろうか。
静かな車内で懸命に記憶を手繰り寄せてみても、思い出せない。まれにふらっと帰省しても、ほとんど会話しなかった。
若い頃はテレビの前で野球中継を見ながらビールをあおっていた祖父も、自室で寝てばかりいるようになっていた。すでに残されていた時間は少なかったのかもしれない。でも、ぼくはそんな祖父のことを見ようともせず、なんとなく大丈夫だろうと思っていたのだ。
いや、無理やりそう思い込もうとしていたのかもしれない。現実を直視するのが怖くて、億劫で、知らないフリをしていたのだ。その結果、最後に会話を交わした記憶も曖昧なまま、祖父は危篤になってしまった。
けれど、驚くほど冷静だった。
後悔の念すらない。
いまぼくが置かれている状況は、一般的に「哀しい」と形容されるものだろう。それなのに、どこを探してみてもそんな感情が見当たらない。淡々と事務作業を処理するような気持ちで、ぼくは病院へと向かっていた。
病院の正門は閉まっているので、運転手にお願いして裏口につけてもらった。降りると、佐知子が煙草を吸って待っていた。
「さっちゃん」
ぼくの姿を認めると、佐知子は咥え煙草のまま手を振った。
いつもは髪の毛をひとつにまとめているのに、今日は下ろしている。傷んだ毛先が赤茶けている。
「大ちゃん、しばらくぶり」
「うん、久しぶり」
「元気にやってた?」
「うん。それより、病室は?」
「まず一服したらいいさ」
こんなときなのに、佐知子はどこか呑気な様子だった。
促されるまま、ぼくも煙草を咥える。佐知子と並んで煙を深く吸うと、なんのためにここまで来たのか忘れてしまいそうだ。佐知子はぼんやりと遠くを見つめていた。
視線の先には暗闇しかない。
「あのさ、おじいちゃんって大丈夫なの……?」
ぼくが投げかける質問に、佐知子はゆっくり間を置いてから答えた。
「もういまさら焦っても、仕方ないでしょ」
実の父親が死の淵にいる。佐知子の胸中は複雑だっただろう。それでも、ぼくがここにやって来るまでの間に、彼女はすべてを飲み込んだかのように見えた。化粧っ気のない横顔に、ほんの少しだけ疲労が浮かんでいた。
ふたりでゆっくり一服した後、ぼくは佐知子に続いて病院に足を踏み入れた。ナースステーションの前を通りかかると、看護師と目が合った。「甥っ子が帰ってきてくれたんですよ」と、佐知子が看護師に説明する。眉尻を下げて微笑む看護師に対し、ぼくはなにも言うことができず、ただ会釈するしかなかった。
夜の病院内は薄ら寒かった。虫の声が聞こえてくるほど静かで、薄暗い廊下のところどころで非常灯だけが光っている。こんな時間に病院にいることが初めてで、徐々に鼓動が速まるのを感じた。
ぼくの緊張なんて我関せず、という態度で、佐知子は暗い廊下をぐんぐん進んでいく。廊下の突き当たりにある階段を三階まで上がり、またしても廊下を進むと、明かりが漏れている個室が見えてきた。
この記事で紹介した書籍ほか

しくじり家族
- 著:
- 五十嵐 大
- 出版社:
- CCCメディアハウス
- 発売日:
- 2020/10/31
- ISBN:
- 9784484202280
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