DJサブカルクソ女と音楽メンヘラ/巴奎依の社会不適号⑩

アニメ

公開日:2020/12/4

巴奎依
撮影=山口宏之

私の思うオタクとは、純愛の象徴であり、歪な愛さえも神聖に成り代わる稀有な存在を指して、オタクと呼ぶと考えています。

今では、良くも悪くもオタクに対する理解が深まっていて、何となくオタクの定義が変わりつつあるように思います。

ですが、昭和生まれの人がオタク文化の変化を平成生まれに感じているように、平成8年生まれの私もまた、令和のオタク文化にどことなく変化を感じているわけです。

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軽率にオタクと言えちゃえば良いのですが
私はなんとなーく音楽が好きな人間で、決して、音楽に関してオタクとは名乗れない、あくまでなんとなーく音楽が好きな人です。

この前置きがめちゃくちゃ大切なの、伝わっていますかね?

音楽に対して詳しいわけではなく、ただちょっと音楽が好きで、特に好きな音楽に関しての独占欲が強いだけの人。
それを音楽メンヘラ、略して音ヘラとここでは呼ぶことにします。

私はただの音ヘラなのです。
好きになった歌に対してのこだわりが強く、出来ることならこの歌の良さは誰にも気付かれませんように、特に身近な人間には気付かれませんようにと、祈るくらいに。

何故でしょうか、遠くの人間よりも身近な人間に気付かれてしまったときの方が、奪われた感が強いのです。

権利も何もかもすべてが作者にあると分かっているのに、何故か、返してよと言いたくなる。

そんな音ヘラが、あれよあれよと気が付いたらDJをしていたり、少しだけ音楽の近くに居られるようになったわけです。

私の音楽に対する願いは、アーティストは掴めない人であってほしいというもの。
別の世界を生きているような、ファンタジーであることを求めています。

アニメや漫画で良くある技法にメタ発言というものがあります。

フィクションであるはずのキャラクター達が、自らのフィクションを自覚した行為のことを指すのですが、私はこれがめちゃくちゃ嫌いです。

多分、それに近いものをアーティストに求めているんだと思うんです。

アーティストが人間であることは理解しているし、何ならライブを観に行って、人間だとちゃんとこの目で確認しているんです。

人間であることと、人間味があること。
字面は似ていますが、意味としては全く異なるこれこそが、私にとってはとても大切なんです。

私は歌に対して人間味を感じてしまうことを避けたくて、どんなに歌詞が具体的であっても、その意味は抽象的であるから、美しいと思うんです。

だからなのか、アーティストが自身の音楽を作品と呼ぶのは好きです。
作品だから、手に取りたいと思うのです。

音ヘラ…。
なんて都合の良い言葉なのでしょう。

私、巴奎依は音ヘラではありますが、DJサブカルクソ女はまさしく、アーティストらしく、人間味を感じないファンタジーであれと思います。

ともえ・けい
2012年よりA応P(アニメ“勝手に”応援プロジェクト)のメンバーとして活動をスタート。2020年8月2日に、A応Pを卒業。現在、インターFMにて毎週土曜28:30〜「DJサブカルクソ女の音楽解体新書」にてDJ番組を担当するなど、「DJサブカルクソ女」としても活動中。社会不適合者(自称)。
公式Twitter:@kei_tomoe
公式Instagram:kei_tomoe_official