「人生を切り開く」力をくれた名著と、「おもしろい生き方」を教えてくれた名著/鎌田實の人生図書館①

文芸・カルチャー

公開日:2020/12/9

「読書は人生の羅針盤の役割を果たしてくれた」 鎌田先生の人生を支えた名著から、コロナ禍のなかで読みたい本、子どもの心を動かす絵本まで。400を超える本や絵本、映画を鎌田流に読み解いた渾身の読書案内をご紹介します。

鎌田實の人生図書館 あなたを変える本と映画と絵本たち400
『鎌田實の人生図書館 あなたを変える本と映画と絵本たち400』(鎌田實/マガジンハウス)

僕の人生を支えてくれた〝名著〟たち

〝道〟を選ぶ糧になったクローニン全集

「本が僕の人生を広げてくれた」と、「はじめに」で書きました。

 高校3年の春から夏にかけて、悶々としていた自分の心を支えてくれた本たちがあります。高校3年の春に「大学に行きたい」と、父に泣きながら頼んだのに、「馬鹿野郎!」と一喝されました。でも諦めきれず、悔しくて、そのときの「環境を乗り越えるためには勉強しかない」と思いながら、『クローニン全集』を読みました。

 A・J・クローニンは、イギリスのグラスゴー大学を卒業後、病院勤務をしたり船医になったり、開業医の代行をしたりしながら、次々に小説を発表していった人です。

『青春の生きかた』『孤独と純潔の歌』、『城砦』を読みながら、「父親にどんなことを言われても、自分の人生を諦めないぞ」と決意し、夏休み、もう一度父に、「国立大学の医学部に行きたい」と願い出た。そして大学に入り、医師になることができました。

 クローニンはいまから100年ほど前に作品を発表しだし、世界的なベストセラー作家になりました。文学的価値について問われると「?」がつきますが、とにかく、僕という人間が自分の生き方を変えるのに、この本たちが担ってくれたことは間違いありません。

 クローニンの本は、いまでは手に入りにくいようです。高校3年のときは図書館でした。大学に入って、アルバイトで得たお金で古本の全集をそろえました。いまでもその全集を持っています。

 この本たちのおかげで、僕は地方で、貧しい人たちのために働く医者になりたいと、本気で思いました。

〝ヤンチャなカマタ〟はマンボウ先生になりたかった

 北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』は、高校時代に読みました。抱腹絶倒、笑い転げました。僕の中には二面性があって、シリアスで真面目で、ヒューマニズムを信じている〝青臭いカマタ〞と、好奇心がバンバンと煮えたぎっていて、おもしろいことに目がなく、リスクなんて知ったことかと思っている〝ヤンチャなカマタ〞がいます。その〝ヤンチャなカマタ〞が、「こんな生き方があるのか」と目を見開かせられました。「僕も世界が見たい」と思ったのです。

 家が貧乏なので、小学校も中学校も夏休みの間、どこにも行けない子でした。本だけが自分の世界を広げてくれる唯一のものでした。高校を終えたら、世界を飛び回れる人間に、どうしてもなりたいと思いました。

 北杜夫は、『夜と霧の隅で』で芥川賞を受賞しています。『楡家の人々』もすごい。でもやっぱり『どくとるマンボウ』シリーズが好きです。北杜夫が、僕の人生を変えました。

 この時代を代表する文学者たちは、シリアスなものを書きながら、その一方で時代を明るくしてくれる作品を発表しています。遠藤周作が『沈黙』と同時に『狐狸庵』シリーズを書いたり、阿川弘之が『山本五十六』など、質の高い戦争小説を発表しながら『南蛮阿呆列車』など、飛行機や船や汽車で旅をした、抱腹絶倒の旅行記を書いています。鉄道旅行記には、北杜夫や遠藤周作も同道していて、手に取ったら最後、なかなかページを閉じられなくなります。

 この時代の、とんがっている文学者たちから、人生を考えることと同時に、おもしろく生きることの大切さを教えてもらったような気がします。

恩師・三木成夫先生に教えられたこと

 次は、『胎児の世界 人類の生命記憶』です。三木成夫先生とは、東京医科歯科大学で出会いました、この人の講義は出色。当時、大阪で万国博覧会が開かれていて、岡本太郎の「太陽の塔」が注目を集めていたとき、三木先生は「太陽の塔は一線を超えて、人間の究極を表さず、壁の向こう側に墜落している」という表現をしたものです。

 三木先生の解剖学の授業では「形をしっかり見ろ」と、「形態学=モルフォロジー」ということを大事にしていました。ゲーテの話がよく出てきました。ゲーテは文学だけでなく、植物の繊細なスケッチを残しています。それをスライドで見せながら「形をしっかりとらえることが大事、その形の向こう側に、形を超えたものを見抜く力を持つ必要がある」と話してくました。

「岡本太郎はモルフォロジーを理解していない。とても残念なことだ。君たち医師は、現実にある姿をしっかり直視しながら、その向こう側にある〝見えないもの〞が見える医師になれ」と教えられました。

 この本の中では、このように言っています。

「胎児は十月十日の間羊水に浸かり、子宮壁に響く母の血潮のざわめきを聴きながら、魚類に酷似した初期の風貌からヒトへと、劇的に姿を変えていく。その変身歴は、太古の海で誕生した命の進化を再現するものだ。38億年という進化の流れが人間の無意識の中に、生命記憶として刻み込まれている。そしてそれがふっと蘇ることがある」

 授業の中でも「生命記憶」とか「おもかげ」とかいう言葉がよく出てきました。解剖学の教室で、半年くらいかけて医学生はご遺体を解剖していくのですが、そのご遺体が置かれた横で、三木先生のとんでもなくロマンチックな授業が展開されて行きました。

 彼は、お母さんのお腹の中にいる胎児を研究していました。受胎から数えて32日目の胎児は、原始の魚類の顔をしていました。34日目、胎児はさらに苦しそうな顔をしています。水の中にいた生き物が丘に上がった、エラ呼吸から肺呼吸に変わらざるを得ない。「このご先祖様がいてくれたおかげで、人類が誕生する土台ができたんだ。我々は苦しみの中を生き抜いてきた」と、三木先生は言われました。

 36日目には爬虫類、38日目には哺乳類に変わっていきます。我々はすべて、お母さんのお腹の中で、38億年の歴史を十月十日でたどり、産道を通って、この世に生まれてくるのです。最後の先生の言葉が忘れられません。

「生まれてくる子どもには、大きい子も小さい子もいます。頭のいい子も、よくない子もいます。残念なことに、心臓に穴が開いた奇形があって生まれてくる子もいます。しかしどんな子も、38億年の命をお母さんのお腹の中で生き抜いて生まれてきます。そのかけがえのない命を、君たち医師は、診させてもらうことを忘れないように。どんな命もかけがえがないのです」

 かけがえのない命を診させてもらっているという意識は、50年経ったいまも続いています。

<第2回に続く>