僕の人生を変えた1冊。経営者としての指針は、ドラッカーから教わった/鎌田實の人生図書館②

文芸・カルチャー

公開日:2020/12/10

「読書は人生の羅針盤の役割を果たしてくれた」 鎌田先生の人生を支えた名著から、コロナ禍のなかで読みたい本、子どもの心を動かす絵本まで。400を超える本や絵本、映画を鎌田流に読み解いた渾身の読書案内をご紹介します。

鎌田實の人生図書館 あなたを変える本と映画と絵本たち400
『鎌田實の人生図書館 あなたを変える本と映画と絵本たち400』(鎌田實/マガジンハウス)

経営者としての指針を示してくれたドラッカー

 もう1冊、僕の人生を変えた本があります。それが『非営利組織の経営』。P・F・ドラッカーの名著です。累積赤字4億円の諏訪中央病院に赴任して、やがて院長職になり、30億円超の流動資産を残し、若い人たちにバトンタッチして身を引くことができました。

 ドラッカーは、病院も非営利組織(NPO)だと定義しています。この本は目から鱗でした、いま「日本チェルノブイリ連帯基金」と「日本イラク・メディカルネット」の二つのNPOを運営しています。両方合わせると毎年、2億5000万円ほどの資金を集め、支援を行なってきました。「地域包括ケア研究所」をつくり、「まちだ丘の上病院」という病院の経営にも携わっています。

 赤字で廃業を決めていた病院を、職員の希望もあって再生させました。底流に流れているのは、ドラッカーのこの本の理論です。

「社会にとって存在する意味のある組織が持続していくためには、どうあればいいのか」を、いつも考えられるようになりました。

ツルゲーネフが僕の背中を押した

 僕がチェルノブイリに関わることになったとき、正直に話すと、逡巡がありました。諏訪中央病院の院長になったばかりでした。病院の大改革中でした。チェルノブイリに行ってくれるような変わり者の医者は、当時、見つけられなかったのです。

 前述もしたように、まだソ連という国があった時代で、チェルノブイリ原発は、まだソ連邦の一角だったのです。「そんなところを旅するのはとても怖いぞ」と、みんなから脅されました。

 そんな迷いとは裏腹に、青春時代に読んだドストエフスキーやトルストイ、ツルゲーネフの〝母なる大地〞を、一度この目で見てみたいと思ったのも事実です。

 青春時代にロシア文学を読み、ロシア民謡を歌い、悠久の大地に憧れを抱いていたのです。ソ連という国が、とんでもなくひどい国だということも、徐々にわかってきていました。でも、もしかしたら医療とか教育とかは、いいところがあるのではないだろうか。それを自分の目で見てみたいとも思っていました。

 でもなんと言っても、「ロシア的」なるものに、大いなる憧れを抱いていたのです。そういった「青春の残り火」のごとき思いが、僕をチェルノブイリに向かわせたのです。

鎌田實の人生図書館 あなたを変える本と映画と絵本たち400
学生時代の読書ノート

読書は「いま世界は」「そして自分は……」を考える武器になる

 文学作品が、僕の頭の中で、次々に連鎖反応を起こしていきます。東京生まれで東京育ちの僕が、東京の国立大学を卒業して長野の病院に赴任し、すぐに農村地域で健康普及運動に邁進したのは「ヴ・ナロード」(農民の中へ、人民の中へ、民衆の中へ)という言葉に啓発されたからでもあります。ツルゲーネフが一時期、「ナロードニキ運動」に加わっています。その運動を描いた『処女地』という作品もあります。

 彼の最高傑作は『父と子』ですが、僕が大好きなのは、『はつ恋』。自伝的な小説だとも言われています。自分の初恋の相手が父親と恋をしていたという、とてもやるせない物語です。16歳のときに読んだと思う。「恋をするってすごいなあ」と感じました。同じ恋をしていても、女性のほうが男性よりも濃くて、深い感じがするように、この作品を読んだときに感じました。

 ツルゲーネフを通して「ヴ・ナロード」という言葉を知り、地方の病院の医師になることを決めてくれた作品です。必ずしも「ヴ・ナロード」のために来たのではなく、「医者がいないから」と呼ばれただけに過ぎないのですが、この言葉があったから、「田舎に行くのもかっこいいなあ」と、自分の行動を肯定的に考えることができました。文学による力が大きかったように思います。

 こんなふうに僕は、読書を通しながら、「いま世界で何が起きているのか」「そしてその中で自分はどう生きたらいいのか」を、いつも考えるようにして生きてきました。読書は、僕の人生における羅針盤の役割を果たしています。

 こうした本たちのおかげで、自分の人生は変わっていきました。本は、人間の運命を変えていくほどの、大きな力を秘めているのです。

<第3回に続く>