初めて運動が怖くないと思えた日/『運動音痴は卒業しない』郡司りか⑬

小説・エッセイ

公開日:2020/12/15

郡司りか

 日々が忙しくなるほど、本を読むようにしています。

 本を読むと違う世界を味わうことができるので、今自分にかかっている重圧や責任もまた物語のひとつだと思えます。そのくらいに楽しく思っておくと気持ちが軽くなり、軽いほうが胸がワクワク弾むのです。

 高校2年から3年にかけて生徒会長をしていたときもよく本を読みました。読みたい本のジャンルはとくに決まっておらず、現代国語の授業で読んだ一節から好きになる本もありました。

 例えば、村上龍さんの「ハバナ・モード」です。私が初めてこれを読んだときは鳥肌が立ち震えが止まりませんでした。

 作中にある「キューバ人だったら、まず、心のもっともベーシックな部分で、『何とかなるだろう』と楽観するだろうと想像し、それにならおうと思った。」(P10)の部分が心に響きました。

 これは、たかを括るのではなく、あきらめるという選択肢を消してリラックスするために自分をポジティブを保つための考え方だそうです。リラックスしつつプロジェクト実行に向けて努力をすること。これが、生徒会の仕事にとても役立ちました。

 

 体育祭を開催するにあたって、まずは体育祭を味わいたい生徒が多数いることを、先生に丁寧に説明をしました。そして、学校の1年間スケジュールを変更することは難しいので、どこで体育祭を開催するか相談します。立野高校では、半日だけスポーツ大会のようなことを行う日(クラスの日)があったので、それを全日にする段取りをしました。

 そして次に、一緒に計画を立ててくれる先生を探しました。数名いる生徒会顧問の中でも、メインで活動してくれる先生は夜遅くまでミーティングに参加してくれたのですが、教師の仕事を経験した今は、私たちよりもその先生が1番大変だったとようやく気がつきました。(先生ありがとう。笑)

 

クラスの日に続けてきた種目(大縄跳びやリレー)は残すことにしました。クラスで仲良くなるための日という思いのこもった名前も残します。

 その上で新しくやりたい競技を、目安箱を設置して募ります。リレーや徒競走など様々な体育祭らしい種目が出てきたのですが、それらの種目を少し工夫して、運動音痴も気兼ねなく参加できるように工夫しました。

 例えば、スリッパリレー(後ほど説明します)や、馬跳びリレー、7人8脚、借り物競走など、単に走るだけではなく、少しユーモアを入れて笑いながら参加できるものを作りました。

 もちろん、運動音痴が楽しめることに偏りすぎずに、クラスで選手を選抜した対抗リレーも設けました。

 

 種目決めは楽しくスムーズに進んだのですが、体育祭の計画を立てる上で1番大変だったのは当日のスケジュールを組むことです。

 特に、初めて行う種目はどのくらいの時間がかかるのか未知数でした。生徒会メンバーは全員で5人だったので、手伝ってくれる生徒を募りみんなで種目の再現をします。例えば、7人8脚では実際競い合ってみてタイムを測り、学校全員分が終わるまで何分かかるかを計算しました。ひとつひとつの推定時間が出たら、午前と午後のスケジュールにバランスよくパズルのように種目をはめ込むのです。

 リハーサルのできない行事なので、万が一でも時間が押してしまうと途中で終わらざるを得なくなってしまうため、誰かの出番をなくすことだけは避けたいと思い、慎重に取り組んだことを覚えています。

 

 そうやって毎日、朝早くと放課後に居残りをして作り上げた体育祭の当日はおかげさまで晴天でした。

 初めて行う行事に学校全体が浮き足立っていることが感じ取れました。もちろん、私もスポーツにワクワクすることは初めての体験です。今日は私でも楽しめる種目が沢山あるからです。

 例えば全員参加のリレーは、先ほど名前が出た「スリッパリレー」という競技で行いました。これは、ひとり一つずつスリッパを持ち、バトン代わりとして次走者に渡していくリレーです。だんだん多くなっていくスリッパを落とさないように持ちながら走ることで、個人の足の速さよりもバランスに注目されるようになります。最後のほうで40個ものスリッパを落とさず持ってゴールした人を見たときは、ギネス的な何かに感動しているという喜び方でした。

 

 その日初めて、私は人前で運動を披露することを怖くないと思えたのです。そして、一見難しそうなことでも、まずは「やってみれば何とかなる」と思って取り組んでみるようになったきっかけでもあります。今、私が苦手なことに取り組めているブレない芯はここにあったのだと思います。

 そういえば、体育祭閉会の挨拶で私は泣いてしまったということをすっかり忘れていたのですが、友達が覚えていてくれて、先日懐かしそうに話してくれました。

 人の思い出に残る仕事ができたことに、10年経った今また感動したのでした。

<第14回に続く>

プロフィール
1992年、大阪府生まれ。高校在学中に神奈川県立横浜立野高校に転校し、「運動音痴のための体育祭を作る」というスローガンを掲げて生徒会長選に立候補し、当選。特別支援学校教諭、メガネ店員を経て、自主映画を企画・上映するNPO法人「ハートオブミラクル」の広報・理事を務める。
写真:三浦奈々