孤食でも共食でもない、「縁食」が他者との心地よい関係を作っていく【読書日記34冊目】

文芸・カルチャー

公開日:2020/12/29

 2020年12月某日

 何もかもが嫌になって、焼き鳥屋ののれんをくぐった。

 猫の体調不良、引越し後に行った動物病院と反りが合わないこと、嵩む通院費と時間、急遽飛んだ数万円の仕事、不遜な取引先云々……気持ちが本当に塞ぐときは知人に会いたくないけれど、ひとりでいたくもない。猫を自宅に送り届けた足で近所の飲み屋に駆け込んだのだった。

 手際良く串を打っていく店員さん、奥の座敷で談笑する人、並びのカウンター席で見たことがないくらいのぶりっこ濃度で連れの男性にアピールする女性、茶番に白けて三角の目でまなざす私。

 仲が良いわけでないのはもちろん、話をするわけでもない。ただ、どこの誰かも、素性も知らない人間たちが同じ場所で食事している。衝立で仕切られたカウンター席であってもひとりで食べている気がしない。自分に訥々(とつとつ)と向き合えるのも、適度な喧噪あってのことだろう。2杯目の生ビールで感情がすっかり角を落とされた。私は「孤食」でも「共食」でもない、この風景が好きだ。

佐々木ののかの読書日記

 しかし、この「『孤食』でも『共食』でもない」食事のことを何と表するのが適切なのだろう。その答えをくれるのが、『縁食論 孤食と共食のあいだ』(藤原辰史/ミシマ社)だ。

縁食論 孤食と共食のあいだ
『縁食論 孤食と共食のあいだ』(藤原辰史/ミシマ社)

 本書では「孤食と共食のあいだ」の食事を「縁食」としている。縁食とは、「複数の人間がその場所にいる」一方で「共同体意識を醸し出す効能が、それほど期待されていない」場の食事を指す。本書では、子ども食堂、炊き出し、町の食堂、縁側などが紹介されている。先の居酒屋の風景も、そのひとつに数えられるだろう。私たちの周りは、思った以上に縁食の風景で満たされていることに気づかされる。

 また、農業史や食の思想史を専門とする著者は、縁食の風景を紹介するのみならず、それら周辺の問題にまで深く潜っていく。孤食の問題を「家族」に押し付け、共食に「家族愛」を期待する政府。義務教育なのに給食無料化が進まない島国。「家庭でも職場でもない、第三の居心地のいい場所」を指す「サードプレイス」という概念が、女性や人と群れるのが嫌いな人を排除しているという指摘。問題の背景となる歴史ごと掘り返して臨む著者の姿勢に、「あたらしい食のかたち」を模索する本気度が感じられ、1ページ1ページを心して読んだ。

 そのうち、縁食の概念は家庭の枠をゆうに飛び越えて、世界人口の9人に1人が飢餓で苦しむ地球規模にまで広がっていく。

 飲食店から出た「賞味期限が切れたものの、まだ食べられる食材」をゴミ箱に入れるのではなく、袋に詰めて裏口に置いておくことでホームレスの方との縁を結ぶ縁食になるのではないか。

 食べ物を商品化しなければ、無料食堂がつくれる。そこでは大量の食材が無料で振る舞われ、誰もが利用することができる。無料食堂で余った食材は家畜に食べてもらったり、土壌微生物に食べてもらったりすれば、廃棄が極限までなくなる。そうすれば、自殺や過労死、飢餓の減少、栄養たっぷりのご飯をつくれない親の罪悪感や本来抱く必要のない感情を手放せることが見込めるのではないだろうか。

 このような「究極的な食のあり方」をも、著者は「縁食」と呼んでいるのである。

 こうした「縁食」のユートピアに辿り着くのは難しいかもしれない。けれど、「縁食」の考え方は、多様性の問題に向き合ううえでも活きてくると私は思う。

 思想の違う人間同士が「分かり合う」のは大変だ。むしろ、無理に折り合いをつける必要はない。ただ、自分が“当たり前に”社会に存在するように、異なる思想を持った人と「社会という場所」を「共有」すること。普段の生活では“それだけのこと”がなかなか難しい。

 しかし、「縁食」のように個々が食を目的として一堂に会することは何とかできそうである。食すなわち生きることを同じ場所で共有できたら、社会における多様性の糸口も見えてくる気がしないだろうか。

 先のぶりっこ濃度の高い女性はまだ「やだ~、静電気~!」「ゆずサワーなんて絶対に飲んじゃう~!」と甲高い声を上げている。不快である。イライラする。友達には絶対になりたくないと思う。けれど、そうした“ノイズ”にどこか安心する私もいる。

「これも縁かな」と思えるほどには輪郭を溶かして、私はすっかり居酒屋の風景になっていた。食欲のない猫のためにちょっといいフードと缶ビールを買って帰路についた。

追記:その後、猫の体調は良くなり、動物病院を元のかかりつけに戻し、交渉したところ飛んだ仕事も戻ってきました。

文・写真=佐々木ののか バナー写真=Atsutomo Hino

【筆者プロフィール】
ささき・ののか
文筆家。「家族と性愛」をテーマとした、取材・エッセイなどの執筆をメインに映像の構成・ディレクションなどジャンルを越境した活動をしている。6/25に初の著書『愛と家族を探して』(亜紀書房)を上梓した。
Twitter:@sasakinonoka