“鬼化”する! 迫る妖魔を蹴散らし決着をつけるが…/板倉俊之『鬼の御伽』②
公開日:2021/2/7
お笑い芸人・板倉俊之(インパルス)が、新解釈で新たな御伽噺を紡ぐ最新作『鬼の御伽』(ドワンゴ:発行、KADOKAWA:発売)。本連載では、有名な童話「泣いた赤鬼」を、オリジナル要素をふんだんに盛り込んで新たなエンタメに昇華させた「新訳 泣いた赤鬼」の冒頭を5回に分けて試し読み。
雷閃は柄から放した片手で、小さな巾着袋を手渡してきた。半郎はそれを受け取り、頷いた。
暗雲を切り裂くように、雷閃は剣を振りながら妖魔の群れの中へ突入していく。
半郎は巾着袋を開け、中身を掌に出した。赤玉と呼ばれている、赤い丸薬だった。それを口に放り込むと、半郎は腰に提げていた瓢箪を取り、栓を抜く。
凶暴な声を上げ、妖魔たちが半郎に襲いかかる。
ごくりと赤玉を呑み込んだ。
その瞬間、全身の骨が軋み、筋肉が灼熱する。ついで半郎の身体は膨張と変色を始め、さらに爪が伸び、二本の角が生え、それを追うように髪も伸びていく。
赤鬼と化した半郎の周囲には、至近距離にいた妖魔たちの手足が散らばっていた。
《喰いてえ》
《人間を喰わせろ》
妖魔たちの声が聞こえてくる。どうやら鬼化しているあいだは、奴らの言葉が理解できるようになるらしかった。
「誰が喰わせてなんてやるもんか!」
そう言っているつもりなのだが、じっさいに口から発せられたのは、獰猛そうな叫び声だった。
飛びかかってくる妖魔に向けて、半郎は右腕を伸ばす。鋭い爪は相手の腹を貫き、そこから黒い体液が噴き出した。
半郎は爪を振り、そして突き出し、目についた妖魔につぎつぎと攻撃を加えていく。
後ろから跳びつかれたのだろう、右肩に一体の妖魔が嚙みついていた。皮膚は破れたようだが、肉を抉るには至っていない。赤鬼となった身体は、そう簡単に深手を負わせられるものではなかった。
半郎は左手で妖魔の頭を摑み、肩から引き剝がす。そのまま高く掲げ、一気に振り下ろした。地面に叩きつけられた妖魔は、びしゃ、と音を立てて破裂した。
きりがないな─半郎はあたりを見回す。妖魔はまだ何十体も残っている。遠くに見える塊は、雷閃に殺到する妖魔たちだろう。とにかく鬼化が解けてしまう前に、決着をつけなければならない。
後方に岩持丸の姿が見えた。
半郎は泥水を跳ね上げ、そちらに向かって走っていく。妖魔たちがついてきているようだが構わず進む。
岩持丸の前で歩を止めた。右手に持った石に妖魔の体液が認められる。何体か倒したようだ。
人のときは見上げていた顔を見下ろしながら、半郎は右手を差し出す。
ほらよ、とばかりに、岩持丸はこちらに背中を向ける。
半郎はそこにある金棒を摑み、細長い籠から引き抜いた。貴重な鉄でつくられた、赤鬼化した半郎専用の武器だ。
振り返りざま、金棒を横一文字に振り抜く。
鋼鉄の六角柱は、追ってきていた四体の妖魔を一撃で吹き飛ばした。
「俺に当てないでくれよ」
言ったあと、岩持丸は欠伸をした。
金棒で妖魔たちを蹴散らしながら、雷閃のほうに向かって進攻する。戦うのが面倒なのだろう、岩持丸は絶妙な距離を保ってついてきた。
雷閃を取り囲む妖魔の群れまでたどり着いた。最も近いところにいる妖魔に、金棒を振り下ろす。相手は縦に圧縮されたみたいに潰れた。
妖魔たちが一斉に半郎を振り向く。その中心で、雷閃は剣を中段に構えながら、息を切らせていた。
《退けよ、お前ら!》
金棒を振り上げ、半郎は叫んだ。音の波動が、びりびりと髪を振動させる。妖魔たちは蜘蛛の子を散らすように雷閃から離れると、こちらに背を向け、山のほうへと退却していく。
だがおそらく、半郎の咆哮に恐怖したわけではない。空が白み始め、雨が弱まってきたからだろう。
雷閃は呼吸を整えながら、鞘に刀を納めると、背後を振り返った。
「一本角……」
北東に聳える山のほうへと視線を伸ばし、雷閃は呟いた。それをなぞるようにして同じ方向に目をやると、遠くにだが、確かに〝一本角〟がいた。
数多いる妖魔の統率者とみられる、頭から一本の角を伸ばした紫色の鬼だ。今回の襲撃も、やはり指揮を執っていたらしい。こちらを見ていた一本角は、ゆっくりと背を向けると、山のほうへと歩き出した。
全身から、湯気が立ち昇り始めた。それに伴い、半郎は徐々に萎んでいく。やがて少年の姿に戻ったが、伸びた髪はそのままだった。
半郎はその場に倒れ込んだ。身体には疲労感が充満しており、どこにも力が入らない。
「こいつめ、また甚平を脱がなかったな?」
雷閃は半郎の上体を抱き起こし、冗談を言うように笑った。鬼化する前に着物を脱ぐように言われているのだが、つい忘れてしまうのだった。そのせいで上は消し飛び、下はぼろぼろになってしまっていた。
雷閃は羽織を脱いで、半郎にかけてくれた。
「あ……りがとう……ござ……」
半郎はやっとの思いで声を絞り出す。
「無理をするな」
雷閃は微笑んで、半郎の言葉を遮った。その向こうで、橙色の太陽が、山間から顔を出すのが見えた。雷の紋章が刻まれた鉢金が、きらりと光った。
「─では帰るぞ」
雷閃の言葉を受け、岩持丸が半郎を持ち上げる。
その両手に抱きかかえられながら、また欠伸をする声を聞きながら、半郎は確かな安堵感をおぼえていた。
雨で水浸しになった草原は、すっかり湿原となっていた。水面が太陽の光を反射して、まるで大地そのものが輝いているようだった。
岩持丸の歩調に合わせて揺れる視界に、村の柵がぼんやりと映った。