妖魔退治後目覚めた半郎。“村の守り神”とまで言われるけれど/板倉俊之『鬼の御伽』③

文芸・カルチャー

公開日:2021/2/8

お笑い芸人・板倉俊之(インパルス)が、新解釈で新たな御伽噺を紡ぐ最新作『鬼の御伽』(ドワンゴ:発行、KADOKAWA:発売)。本連載では、有名な童話「泣いた赤鬼」を、オリジナル要素をふんだんに盛り込んで新たなエンタメに昇華させた「新訳 泣いた赤鬼」の冒頭を5回に分けて試し読み。

鬼の御伽
『鬼の御伽』(板倉俊之 :著、浅田弘幸:装画/ドワンゴ:発行、KADOKAWA:発売)

第二章

 家の天井が見え、半郎は目が醒めたことを自覚した。腹だけに力を入れ、ひょいと上体を起こす。

「あら、まだ寝てないと駄目じゃない」

 部屋の隅で裁縫をしていたらしき彩音が言った。半郎にとって唯一の肉親である姉だ。

「大丈夫。もう元気みたいだ」

 身体からはもう、疲労感も倦怠感もなくなっていた。半郎は掛け布団を跳ねのけて立ち上がる。新しい甚平を着ているのは、姉が着替えさせてくれたからだろう。

「雷閃様と岩持丸様が連れ帰ってくださったのよ」

 言いながら、彩音は機織りの準備を始める。半郎を起こさないようにするために、控えてくれていたようだ。

「そうだろうね」

 応えながら、半郎は伸びをする。室内の明るさからして、いまは昼前だろうか。

「遊びに行ってくる」

「待って。髪を切ってあげる」

 そういえば、髪は畳に擦ってしまうほどに伸びている。

 土間に下りて椅子に座った。

 彩音は後ろから、半郎の髪に鋏を入れる。ぱさ、と束が土間に落ちる音が聞こえた。動きようがないので、竈にあったおにぎりを食べながら、終わるのを待つことにした。

 半郎は両親の顔を知らない。母は半郎を生むと同時に死んでしまったらしい。父はその数日後、村の外で妖魔に殺されてしまったのだそうだ。だからといって、姉と二人のこの暮らしを悲観したことも、親を想って泣いたこともない。記憶がなければ、哀しみようもないのだ。だが姉はきっと違う。半郎が生まれたとき六歳だったらしいから、親との思い出もあるはずだ。もっとも、彩音本人は半郎のほうが哀れだと考えているようだが。

「はい、終わり」

 肩をぽんと叩かれた。半郎の周囲は切られた髪で真っ黒けになっていた。なんだか頭が軽くなった気さえする。

「ありがとう」

 半郎は瓢箪の水で米粒を流し込むと、立ち上がった。

「じゃあ行ってきます」

 振り返って彩音に告げた。姉は決して背が高いわけではないが、やはり六歳の差は大きく、顔を直視しようとすると、どうしても見上げる恰好となってしまう。

「あ、これをお返しするのを忘れずに」

 彩音は畳の上から風呂敷包みを取り上げた。

「何?」

「雷閃様の羽織よ」

「ああ、そうだった」

 半郎はそれを受け取り、斜めに背負った。

 引き戸を滑らせて外に出ると、太陽は真上にあった。気温は高めだが、昨夜の雨が打ち水の役割を果たしているらしく、風が吹くと涼しく感じられる。

 半郎の家は、家屋が建ち並ぶ居住区のはずれにある。その中心には長老の屋敷が建っており、三重のつくりになっているため、ここからでも三階部分なら見える。

 半郎は西に向かって歩いていく。正面には川から引いた用水路が、村を分断するように走っていて、そこから向こう側には田畑や牧畜場、そして訓練場がある。

 用水路沿いの小道に行き当たると、北に向かって進んだ。目的地までは少し遠回りになるが、水車の音を聞いたり、小魚を眺めたりするのが好きだった。

「おう、半郎!」

 名を呼ばれ、水の流れを見ていた目を上げた。

 前方から、頭に手ぬぐいを巻いた男が歩いてきていた。

「やあ、与兵衛さん」

 与兵衛は半郎の前で荷車を停めると、そこから色鮮やかな野菜をいくつか取り、笊に移した。

「これ、持っていきな」

「いいの? こんなに立派な野菜、市場で高く売れるだろうに」

「かまわねえよ」

「え、買うよ」

「お前はこの村の守り神だ。金なんて取ったら罰が当たらあ」

 与兵衛は快活に笑った。与兵衛は自分の畑を持つ農民で、二人で暮らす半郎と彩音のことを気にかけ、収穫が多いときにはこっそり分けてくれたりするのだった。

「でも、勝手にもらうと、姉上に叱られるかも」

「だったら直接届けてやろう。彩音は家にいるのかい?」

「うん。きちんと着物を着てたから、慌てないと思うよ」

「そうか」

 満足そうに笑い、与兵衛は笊ごと荷台に載せた。

「ありがとう」

「ばっか野郎、そりゃこっちの台詞だ。─じゃあな」

 荷車を引き、与兵衛は半郎の脇を通り過ぎていく。半郎も歩き出した。

 与兵衛の笑い声が聞こえたので、背後を振り返った。

「こりゃいいや」

 と言いながら、与兵衛はこちらを見て笑っている。何が「いい」のかわからないが、半郎は笑い返し、前を向いた。

 村の真ん中にある丘まで歩き、そこを登っていく。偉い人の墓だという話だが、立ち入りが禁じられているわけでもなかった。

 広い頂上では、子どもたちが遊んでいた。半郎よりもずっと小さな子どもたちだ。みな風車を手に、楽しげな声を上げて走り回っている。

<第4回に続く>