性体験は“早い・遅い”でなく“幸せか”がカギ。性行動が不活発化している現代に危機感を抱こう/3万人の大学生が学んだ 恋愛で一番大切な“性”のはなし④

暮らし

公開日:2021/2/4

約3万人の大学生に「人間と性」をテーマに講義を行った村瀬幸浩氏。当時学生に話した中身を要約して紹介しつつ、講義を聴いた学生たちのリアルなレポートを元にまとめた1冊。複雑なからだ・性の仕組みを学び、性について語る「言葉」を持つことで、大切な人との関係性は変わる…!

3万人の大学生が学んだ 恋愛で一番大切な“性”のはなし
『3万人の大学生が学んだ 恋愛で一番大切な“性”のはなし』(村瀬幸浩/KADOKAWA)

性体験を“早い”・“遅い”でなく“幸せ”・“不幸せ”の視点で

講義を聴いた学生のレポート

 先生、僕はあとしばらくして大学を卒業するのですが、まだ童貞です。周りの仲間たちはほとんどセックスの経験があるようで、みっともない気持ちが強くなっています。どうしたらいいでしょうか

 大学3年の女子です。先生の授業を聴いていると、大学生が性交体験するのは当たり前のように聞こえるし、友達と話していると、みんな経験しているようで、未経験の私は恥ずかしく思えます。私はおかしいでしょうか

 私は少し驚きました。童貞、処女という言葉を大学生がいまも使うことに、そして未経験であることにこれほどコンプレックスを感じていることに。

 この種のレスポンスは他の学生からも時々出ていたので、翌週の講義で少し取り上げることにしました。そして、私はまず詫びました。

「私の講義を聴いて、ほとんどの学生が性交経験者のように思えてしまったことを訂正します。講義で取り上げる質問や意見はそれぞれの経験に基づき出されたものでした。それが結果的に多くなってしまった。そのため“みんな経験している”ように思ったのだと思います。私の無配慮でした。ごめんなさい」と…。そして性交体験率を示すデータ1を紹介しつつ、どう考えればよいか講義しました。

 

 かつてわが国では“童貞を捨てる”とか、“処女を失う”“傷ものになった”というように、そのこと自体、特別な意味を付加させて使われてきた歴史があります。また性交を体験することが“大人の男、女になった証”とするような風習(子どもを産む、産ませる力を持つという意味でも)がありましたが今は違います。性交体験の有無がその人の価値というか、存在の意味とはなんの関係もないのです。ですから、そのことにこだわってあれこれ悩むのは今日限りやめにしましょう。

 とはいえ、どのような初交体験を持つかはどうでもいいことではありません。早い、遅い(生涯しない人もいて)、ではなく幸せな体験だったかどうかが問題です。その相手との性交を互いに心から望んでいたかどうかということです。性交とは互いのプライバシーを明け渡し、命を預け合う行為ですからね。必ずしも理想通りにはいかず、不本意な結果だったり、明解な意思表示ができないような状況であったりと、いろいろあるでしょう。それは残念なことですが、その不十分さを悔いたり、反省したりして、よりよい関係づくりの教訓としていけば良いのであって、最初の不首尾ゆえに人生を投げ出してはいけないと考えています。

 たとえば男性の場合、最初の相手はいわゆるプロの女性という例はそう珍しいことではありませんでした。むしろ当たり前の時代があって、今でもそうした体験を吹聴するような人もいると聞きますが、残念なことです。

 初交体験は当事者の心にさまざまな刻印を残すことになります。またその経験はその人のその後のセックス観や人間観(男性観、女性観など)に響いていくことがあります。

 ぜひとも慎重に、と同時に悔いが残らないよう勇気を持ってつき合いに臨んでもらいたいと思います。

3万人の大学生が学んだ 恋愛で一番大切な“性”のはなし

3万人の大学生が学んだ 恋愛で一番大切な“性”のはなし

どうして性行動が不活発化しているのだろうか

 データ1で示したような、明らかな性行動不活発化傾向がなぜ生じたのか、さまざまに評論することが可能でしょうが、私は日本性教育協会の全国調査を使って、この問題を分析するひとつの切り口を示してみたいと思います。一緒に考えてみてください。

 まずデータ2は「性的なことへ関心を持った経験がある割合の推移」、いわば「性交体験率」の背景となる“意識”編というべきもので、見事に体験率の低下を裏付けるものでした。特に女子学生の関心の低下は甚だしいものがあります。

 またデータ3の「性に対する「楽しい-楽しくない」というイメージ」では、調査年が進むにつれ否定的な女性が増えていることです。結果、男女間の性へのイメージの違いが広がっていると考えられます。この意識・イメージの差異の拡大が両者のコミュニケーションの困難を招いているし、ひいては性行動の不活発化につながっているのではないでしょうか。

 

 性の意識やイメージには、育ち方や家庭、学校での学び、社会の性情報(性文化)の影響が深くかかわってきます。

 日本では明治以来、男性を中心とした家庭のあり方、社会のしくみが法律で定められてきました。女性は結婚相手を自分で選ぶこともできず、離婚の自由もなし。今でもドラマ等で「お前になど娘はやらん!」と父親が娘の結婚に反対するシーンが描かれるなど、明治の家父長制が意識として残っているのです。そうして生きてきた親たちの有言、無言の圧力が、特に若い女性の生きる意欲を萎えさせてしまうのではないでしょうか。

 また、結婚後の家庭生活においても、結婚前によほど深い話合いをして文書でも作っておかないと(作っておいても)、自然に家事、育児は女性が担当するのが当たり前になってしまう。しかも女性が働かないと家庭の経済が成り立たないとなれば、女性はもう身が持たなくなってしまう…。そうした家庭環境に育つうちに、父と母との関係を日常的に見聞きするうちに、結婚とか性が楽しいものとはとても思われなくなったとしても不思議はありませんね。

 実際、女性(娘)に交際相手ができても、それを喜ばない、厄介ごとが始まったとばかり邪魔をしたり、心配だと干渉したり、トラブルばかり強調して止めようとする。と思えば反転して結婚を急がせる、さらに結婚すればすぐ「子産み」を急かす。一方、男性(息子)には一家を支える大黒柱として期待やプレッシャーをかける。それぞれが「役割」にしばられ自由な自分を生きにくいのが多くの人たちの現状です。

 

 学校の性の学びはどうでしょうか。わが国の学校では、未成年者はセックスしないものという前提で学習が組まれていると言って良いでしょう。性行動を「問題行動」視する姿勢が残っていて、「性交」に関わる学習は極めて乏しいですし、性を「楽しい」と思える学びは皆無に等しいのです。生徒の性行動は望ましくないという前提に立っているので、避妊の学習もピルの情報も、安全な中絶手術の国際基準の現状や、女性の健康を支える取り組みなども学習の範囲外とされています。ヨーロッパでは、性の快楽性の学びなどは、重要な項目のひとつとなっていますが、わが国の教科書には、女性器にクリトリスが図示されていないという、あきれた状況が続いているのです。

 

 さて、家庭や学校での性の扱われ方のほかに、学生の性意識や価値観に大きな影響を与えているものにAV動画などのアダルト性情報があります。これは本来、アダルト(成人)を対象にして制作されているものですが、家庭や学校での性の学びが貧困ななかで、子ども、青年への影響力は極めて大きい。特に主要な視聴者である男性にとって、そしてその男性から性的な働きかけを受ける女性にとっても。

 つまり男性の性的ファンタジー(妄想)を満たすべくつくられた女性支配の画像が、ほとんどで性のコミュニケーションについてまともに学ぶことのない男性にとって、半ば教科書のような役割を果たしているのです。これは社会の性関係のあり方を方向づける、いわば「社会のポルノ化」の象徴といわなければなりません。こうして性について「楽しくない」イメージが強化されています。これに気づいた女性達は男性と日々距離をとるようになり、性行動の不活発化はますます進行していくでしょう。このまま放置すれば両者の親密な性行動は消滅してしまうかもしれない。そういう危機感を私たちは感じとらなければなりません。

<第5回に続く>