「兄を追う」/他がままに生かされて②

小説・エッセイ

更新日:2021/2/12

山中拓也初著書『他がままに生かされて』の刊行を記念した特別短期連載。2月は4回にわたり、本文から抜粋したエッセイを先行配信! 3月以降は本書のスピンオフ企画「僕を生かしてくれた人たち」を配信予定なので、乞うご期待。

山中拓也

兄を追う

 僕には、5つ年上の兄がいる。子どもの頃、兄は心臓病を患っていて全速力で走ることはもちろん、身体を動かして遊ぶことも全般的に許されないような生活を送っていた。命を守るためとはいえ、実際にまわりの友だちが外で遊んでいるのを、どんな気持ちで見ていたのだろうと、今になって思う。

 外で遊べない兄ができることと言えば、ただひたすら机の前に座ってパズルや勉強をすることだった。そんな兄は、幼い頃からエリート街道まっしぐら。僕とは比べ物にならないくらいに頭が良かった。両親も勉強ができる兄のことを、誇らしく思っていたのだろう。「お兄ちゃんのように勉強しなさい」と言われ続け、いつの間にか僕も「兄のようにならなければいけない」と思い込むようになっていった。兄弟のいる家なら、比べられて「兄のようになれ」と言われることはよくある話だろう。学校に行けば「お兄さんは勉強ができるんだよな」と聞かれ、塾に行けば先生から「お前も勉強できるのか?」と期待されるのは、気持ちの良いものではない。

 常に自分の前には出来の良い兄がいて、その背中は果てしなく遠く、どんなに努力しても追いつける気がしなかった。まわりは兄を通してしか僕を見てくれない。よくあることだよ、と思えるようになるまでにはそれなりに時間が必要だった。「兄がいなければ、こんなに勉強しろと言われなかったのに…」正直、そう思うこともあった。

 

 しかし、そんな兄がいたから僕は今、音楽で生きている。僕が小学3年生のとき、兄は中学2年生。この頃、兄は友だちとバンドを組んでいて、ライブを見に行くような機会もあった。当時兄は『L’Arc-en-Ciel』にドはまりして、なにかに取り憑かれたようにライブビデオを見ていた。

 ―そんなある日。

「なぁ、拓也。この音楽で流れてるベースの音分かるか?」
「…? いや、分からんなぁ」
「後ろで低い音が鳴ってるやろ?」

 僕は歌うのが好きだったのでずっとhyde さんのモノマネをしていたが、兄はやたらとベースの話をしてきた。最初のうちはベースの基礎知識もなければ、どんな特徴があるのかも分からない。1年ほど、「この音楽で流れてるベースはどれだと思う?」なんてやりとりをしていくうちに、少しずつ聞き分けられるようになっていった。

 その成長を見計らったように、僕が小学4年生のときに兄は僕のお年玉を使い込み、ベースを買ってきた。なんで人のお金を使って勝手に買ったのか、と聞くと兄は悪びれもせず「拓也がベースカッコいいって言ったから」というめちゃくちゃな理由を出してきた。確かにカッコいいとは言ったが、お年玉を使っていいとは言っていない。

 思い返せば、ただただセッション相手欲しさにベースをすすめてきたのだろう。

 当時は、勝手にお年玉を使われたことを恨みに思っていたが、このベースとの出会いがきっかけで音楽に興味を持てたのも事実。兄からは、今でも「俺のおかげで、拓也はバンドをやれているんだ」と言われ続けている。

 

 こうして、兄とのセッション生活は始まった。最初のうちこそ、僕が上手に弾けないと、そこだけ集中的に練習させられたけど、そんな練習が楽しいわけがない。10分くらいで嫌になってはベースを放り出す僕を見て、兄は「弾けなくてもいいからとりあえず曲の練習しよ」と提案してくれた。さすがは兄。この提案は効果抜群。

 確かに、自分のできない部分を練習し続ければ技術力が上がる。だけどそれは「やる気が保てれば」という大前提が必要だ。下手でもいいし弾けないところがあってもいいから、苦手な部分が入っている曲をまず全部弾き切ってみることで、一曲弾けたという喜びが生まれる。そうすると急に一流のバンドマンになったかのように曲に合わせて何度も弾くようになった。その連鎖が起こることで苦手な部分も自然と上達していたのである。あのとき、苦手な部分の練習だけをしていたら、きっと早々にベースを嫌いになっていただろう。

 兄は知識も豊富で、インディーズのロックバンドを見つけてきては僕に「これも聴いてみろ」と勧めてくるような毎日だった。2人でレンタルショップに行き、片っ端から気になるアーティストのCDを借り、家に帰ってMDに焼きまくる。

 5歳年上の兄からもらう知識は新鮮で、知らないことばかり。のちに中学時代でドはまりするHIPHOP も兄が教えてくれた音楽だ。同じ学年の子に兄から教えてもらったおすすめのバンド、歌手を紹介すれば「センスいいじゃん」「よく知ってるなぁ!」と褒められるのが嬉しくて、さらに興味は音楽へと向いていった。

 

 大学を卒業するまで兄はバンドを続けていたが、就職をきっかけに解散。東京エレクトロンという大企業に就職し、小さい頃に外で遊べなかった人間とは思えないくらい世界を飛び回っている。大人になった今、二人で飲みに行って話すことと言えば、仕事のこと。バンドの雰囲気が悪くなってしまった、と相談すれば「引っ張っていかなきゃいけない気持ちは分かるけど、人に任せることも覚えないと」と、今でも5歳年上の考えを僕に授けてくれる。兄を追いかけ、僕は音楽という別の道へと進んだが、それでもなぜか僕の歩く道の先には兄の背中が見えている。子どもの頃見ていた背中に僕は今、少しでも近づけているだろうか。

<第3回に続く>

山中拓也●1991年、奈良県生まれ。ロックバンドTHE ORAL CIGARETTESのヴォーカル&ギターであり、楽曲の作詞作曲を担当。音楽はじめ、人間の本質を表すメッセージ性の強い言葉が多くの若者に支持されている。17年には初の武道館ライブ、18年には全国アリーナツアーを成功におさめ、19年には初主催野外イベント「PARASITE DEJAVU」を開催し、2日で約4万人を動員。20年4月に発売した最新アルバム『SUCK MY WORLD』は週間オリコンチャートで1位を獲得。