人生初の「推し」/『運動音痴は卒業しない』郡司りか⑰

小説・エッセイ

公開日:2021/2/15

郡司りか

 人生初の「推し」ができました。「呪術廻戦」というアニメの五条先生を好きになりました。

 

 今までこんなことはなかった。身近な人や物以外を特別好きになることはありませんでした。

 小学2年のとき、気がついたら周りの友達がミニモニやKinKi Kidsなどのいわゆる「芸能人」に興味を持ち始めていて、ひとり取り残されたことに焦った記憶があります。いつのまに流行ったのかと驚きました。

 それでも、学年が一つ上がる頃には自分はみんなと同じ種類の「好き」の気持ちは抱かないんだと割り切ることに成功していました。友達が駄菓子屋さんでジャニーズカードを集めているのを横目に、私は擦ったら煙が出る妖怪カードを集めていました。

 

 高校生になり、1年間だけ通った女子校ではとんでもなくジャニーズが流行っていました。周りに男子がいないことが影響しているのかもしれないけど、クラスの誰もが推しの芸能人やアニメのキャラクターへの愛を持っていました。彼女たちの持ち物はどれも、その推しに関してのグッズや写真や情報で埋め尽くされていました。

 

「りかは誰がすき?」と聞かれ、咄嗟に答えた福山雅治。ギリ、ジャニーズ的な感じかと思って名前を挙げました。その次の日から私は彼の写真を集めることになったのです。

 女子高生というのは凄いんですよ。好きなものに関しては常にアンテナを張っています。例えば、駅の自販機に小さく貼ってあるポスターでさえ、向かいのホームからでも気がつくのです。私は福山雅治担であると友達はみんな認知していたので、缶コーヒーの宣伝をしている彼の写真を友達が指差し、それをズームして写真に納める日々は転校するまで続きました。

 高校を卒業して以降も、特別に何かを好きだと思いませんでした。芸能人で会いたい人いる?と聞かれたときは、とりあえず「さかなクン」と言っておきました。さかなクンの博識なところは私の父に似ているからそれなりに好きだし、自販機のポスターでは見かけないと思ったからです。

 

 どうして、みんな手の届かない人を好きになるのだろう。手の届かないということは、ほとんど架空の存在でしょう。それを好きだと思える気持ちが全く理解できませんでした。

 だからなのか、私のことをSNSを通して応援してくれたり好きでいてくれる人が、なぜ好きでいてくれるのか理解できませんでした。「私なんかを好きでいるなんて勿体ない。何か辛いことがあったときにその人のところまで飛んでいけないのに。どうか、身近な人で好きな人を作ってほしい。」と思っていました。自分の活動が誰かの時間を邪魔している気がして仕方がなかったのです。

 

 そんな私に推しができました。

 

 ようやくわかった! 全くの別物だ!!

 推しというのは、心の拠り所なんですね。裏切らないし遠ざからない、その代わりに近づかない。自分にとって1番良い距離でずっと心の支えになってくれる、ちょうど良いものなんです。

 反対に、身近な人というのは、好きだったり嫌いだったり、相手との距離感をコントロールできないからこそ大切にしなきゃいけないし大切にしたいものなんです。

 このふたつは交わらないからこそ、各々の存在バランスが保てます。よし! それなら安心して、わたしは自分の活動ができる! やっと大声で自分のPRができそうです。

 28年間全く抱かなかった感情を今更になって新しく手に入れたのは、たった今、心の支えが欲しいと思ったからなのかもしれません。(アニメでも芸能人でもなんでもよかったのかもしれない。)

 私も誰かの心の拠り所になれるといいなと思いながら、今日もコンビニで推しのシール付きウエハースを探すのです。(全く見つからない。涙)

<第18回に続く>

プロフィール
1992年、大阪府生まれ。高校在学中に神奈川県立横浜立野高校に転校し、「運動音痴のための体育祭を作る」というスローガンを掲げて生徒会長選に立候補し、当選。特別支援学校教諭、メガネ店員を経て、自主映画を企画・上映するNPO法人「ハートオブミラクル」の広報・理事を務める。
写真:三浦奈々