「少年野球の吉田監督」/他がままに生かされてスピンオフ企画「僕を生かしてくれた人たち」

小説・エッセイ

公開日:2021/3/5

 山中拓也初著書『他がままに生かされて』の刊行を記念した特別短期連載。2月は4回にわたり、本書から抜粋したエッセイを配信してきた。 3月からは本書のスピンオフ企画「僕を生かしてくれた人たち」を本連載限定で公開!書籍に掲載しきれなかった、山中拓也の恩人たちを紹介していく。

山中拓也

 小学生の時に所属していた少年野球チームの吉田監督からもらった言葉は、今でも僕の大切な宝物だ。「七転び九起き」。八起きではなく、九起き。この言葉が大人になった今も僕を支えてくれている。

 吉田監督はかなり厳しい監督だった。ほんの少しの失敗で激が飛び、練習内容もハード。それでも僕は吉田監督の期待に応えたくて、野球の練習に真剣に取り組んでいた。小学校からチームに入った僕は決して上手いほうではなかったけれど、厳しい練習をガッツで乗り越えるタイプだったと思う。

 吉田監督はそういう僕の姿をちゃんと見ていてくれて、最後の小学6年生の時にはキャッチャーとして抜擢してくれたこともあった。チームから卒業する送別会では、吉田監督が子どもたち1人ひとりに声をかけて送り出し、その時に僕が吉田監督からもらった餞別の言葉が「七転び九起き」だった。「君は七転び九起きみたいな人間だ」と語りかけてくれた時の吉田監督の表情を、僕は今もハッキリと思い出せる。

 吉田監督は僕に向かってこんなふうに説明してくれた。

「どんなに厳しい練習でも、君はただでは起きない精神で頑張ってくれた。だから厳しくしたし、拓也はちゃんと期待に応えてくれた。このメンタルでこれからも這い上がっていってほしい」

 僕自身、あの時の辛い練習は吉田監督だったから乗り越えられたと確信している。その後、中学校の野球部で副キャプテンやキャプテンとして頑張ることができたのも吉田監督の教えがあったからだ。

「君は七転び九起きみたいな人間だ」

 この言葉の意味がはっきりとわかるようになったのは中学3年生の時だ。部屋の片付けをしていたら、吉田監督が「七転び九起き」と書いてくれた野球ボールが出てきた。野球が上手いわけではない僕が、小学生の頃から少年野球をやってきて、中学ではキャプテンも任された。自分の居場所、自分のポジションをつかみ取れるかどうかを決めるのは、才能や運だけではない。気持ちが大事なんだ。誰かの期待に応えたい、その気持ちが自分を動かす原動力になる。僕は「七転び九起き」と書かれたボールを手の中で転がしながら、吉田監督がくれた言葉の大切さを今まで以上に実感していた。

 僕にとって「七転び九起き」という言葉は、挫けずに頑張り続ける、というだけではなく、誰かの期待に応えるために力を尽くす、という意味も込められているのだ。

山中拓也●1991年、奈良県生まれ。ロックバンドTHE ORAL CIGARETTESのヴォーカル&ギターであり、楽曲の作詞作曲を担当。音楽はじめ、人間の本質を表すメッセージ性の強い言葉が多くの若者に支持されている。17年には初の武道館ライブ、18年には全国アリーナツアーを成功におさめ、19年には初主催野外イベント「PARASITE DEJAVU」を開催し、2日で約4万人を動員。20年4月に発売した最新アルバム『SUCK MY WORLD』は週間オリコンチャートで1位を獲得。