「子育ても介護もエコもフェミニズムもつながっている」“母”から考えるケアの話【読書日記39冊目】

文芸・カルチャー

公開日:2021/3/22

 母というものが怖かった。
 実母ではなく、母なるものが怖かった。

 私は母に、あるいは母なるものになりたくはない。
 言葉を選ばずに言えば、嫌悪感すらある。

 母なるものを語るとき、「母なる大地」や「聖母のように」と神秘性や包容力が強調される。そうしたニュアンスからは、母なるものに面倒ごとを押し付けて社会の周縁に追いやるような意図を感じる。

佐々木ののかの読書日記

 女性は子どもを産むべきだ、などと言われたとしたら、お前は周縁の存在だと言われる気がして嫌だった。他方、そうした考えを内在化させている自分が咎める気持ちがする。

 産まない選択をすることで、産む選択をした女性たちに対する後ろめたさもある。皆が子どもを産み育てている間に、私は何ができているだろうか。あるいは、妊娠と出産を経て祝福のただ中にある人への羨望も。

「母」の話は、私にとって地雷のようなものだ。
 どこに触れても痛くてたまらない。

 けれど、目を背けたくはない。
 母なるものの話は、フェミニズム、男性性、資本主義、福祉、環境問題ほか、あらゆる問題と同根にあると漠然と感じているからだ。

マザリング 現代の母なる場所
『マザリング 現代の母なる場所』(中村佑子/集英社)

『マザリング 現代の母なる場所』(集英社)は、妊娠・出産を経験した映画監督の中村佑子さんが「手垢にまみれた『母』という言葉を解体」し、さまざまな人に話を聞きながら、ケアをめぐる普遍的思考を紡ぐ本である。

 その道程は、一本道ではない。妊娠・出産の経験だけではなく、少女時代に遡ったときに感じる母子の分離不安や内なる性への怯えの記憶、性被害について、出産後に感じる社会への違和感、フェミニズムとエコロジー思想の関係など、「母」のまわりを大きくめぐるトピックが登場する。

 こうして大回りをしなければいけないのは、「母」がそもそも周縁化された「濡れたぬるぬる」だからだ。「濡れたぬるぬる」とは、妊娠出産期で言えば、体液や血、お乳やよだれといったもので、これらは快楽の場や介護にも表れる。

「濡れたぬるぬる」は現代都市には似つかわしくない。言い換えれば、こうした「生や死のリアリティ」を排除することで現代都市が成り立ってきたのだと、中村さんは指摘する。そして、そうした現代都市を下支えしているのは、境界を引いて異なるものを排除する「男性性」や、目的に向かう連続的かつ直線的な時間が流れる「資本主義」ではなかったか、とも。

 つまり、本書の主題は「母」ではあるものの、ケアをはじめとしたあらゆるものを男性性や資本主義が周縁化してきたことへのアンチテーゼであり、オルタナティブの提示を試みる本と言ってもいい。

「母」の周囲を大きくまわらなければいけないために、登場する人たちのパーソナリティや背景も実に多様だ。

「『母親』という属性を得て、はじめて『落ちこぼれ』であるという自意識から抜け出すことができた」と話した、女性のキャリア支援の会社役員の岡本真梨子さん。切迫早産で一生治らない障害を持って生まれた子どもを産んだ経験を持つ、エディトリアルデザイナーの岩渕めぐみさん。

 子どもを産んだことで「書かなければ、生きてることがないことにされてしまう」焦燥感がなくなったという歌人の今橋愛さん。子どもを抱えながら復職して心身のバランスを崩した研究者の宮原優さん。フェミニズムに出会って、自分が性暴力を受けたことやセックスが好きではないことがわかったと話したイ・ランさん。「『母』という体験のもつ個別的、特権的な覆いをとりたい」という想いから、実感レベルの話を「体験談」ではなく普遍性のある話として昇華したいと考えるアートプロデューサー・相馬千秋さん、など。

 文字数が限られているから致し方ないものの、こうした一面的な紹介の仕方をするのがためらわれるほど、中村さんは彼女のフィルターを通して見えた彼女たちを細やかに“スケッチ”している。登場する人同士、あるいは中村さんとの間に異なる意見もあったかもしれない。それでも、自身の問題意識の先を照らすために人に会い、その人を尊重する。

 相手に向き合う姿勢から、“取り扱い注意”な「母」という概念を丁重に扱おうとする覚悟のようなものを感じた。そして、細かく描かれた“彼女たち”の断片は、読み手の過去や現在を照らし、刺してくる。

 私が女だから、こんなにも痛いのだろうか。ガラスを飲みこんだかのような痛みに喉が熱くなる。誰に向けられているかわからない、宙吊りの怒りが炸裂する。熱い、痛い、痛すぎる。それでも、ページを手繰り続けざるを得ない。

 そうして、世界を大きく旅した物語は、中村さんの母や祖母の話へと帰着する。中村さんの母は、身体または精神から自分が切り離されたような感覚が続く離人症を経て、その後うつ病と診断されていた。

 そもそも、中村さんが本書を書き始めた理由は、子育てをする中で自己同一性を失ったり、自分の身体が他者化される感覚や“失語症”のように適切な言葉で表せなくなったりといったことに端を発していた。そのことが、離人症の症状と、すなわち母と深いところで手を結んでいることをどこかで感じながら、長い旅を続けてきたのかと思うと、それこそ言葉を失ってしまう。

 しかし、読み終えた後には、一見して関係のないように思える痛みが手を取り合えるのだという、小さな希望も転がっている。その意味で、本書は周縁化された“社会的に弱き者たち”を縫い合わせる「マザリングフッド」の物語でもあるのだ。

文=佐々木ののか バナー写真=Atsutomo Hino  写真=Yukihiro Nakamura

【筆者プロフィール】
ささき・ののか
文筆家。「家族と性愛」をテーマとした、取材・エッセイなどの執筆をメインに映像の構成・ディレクションなどジャンルを越境した活動をしている。6/25に初の著書『愛と家族を探して』(亜紀書房)を上梓した。
Twitter:@sasakinonoka