夢という十字架/巴奎依の社会不適号㉖

アニメ

公開日:2021/4/2

巴奎依
撮影=山口宏之

小学生の頃の夢は、「芸能人になること」でした。

当時の私はというと、現在の片鱗は見えつつも、とにかく気が強くて、いつでも悪目立ちをしていたように記憶しています。

昔から視力が悪いこともあって、遠くの物を見るときは目を細めて見るため、「奎依ちゃんに睨まれた」と泣かれたり、やってもいないイジメの主犯格ではないか、と担任に呼び出されたり。
そういった類いの思い出ばかりが残っています。

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「可愛い」に目覚めるのも早く、ネイルやメイクも大好きだったし、ピアスを開けたのも小学生のときでした。

中学生になり芸能コースのある学校に通い、事務所に所属し、高校生の時にA応Pに所属しました。

学校よりも仕事で知らない経験をするほうがよっぽど楽しかったし、当時からクラス内で完結するコミュニティに息苦しさというか、狭さを感じていて、早く抜け出した方がいいに決まっていると、なぜか思い込んでいました。

学校とレッスンスタジオに撮影、目まぐるしく毎日を送る中で、突然自分が何を目指して走っていたのかが分からなくなってしまったのです。

グループ活動に生じる責任感を一身に背負うことが苦しかった頃、誰かに「今は自分のことは考えずにグループのためだけを思って生きなさい」と言われたのを覚えています。

今思うと、その言葉が私の十字架となってしまったのです。

「グループのためだけを思う」

なんの疑問も感じないし、責任感が必要となるグループ活動では、その通りで間違いないはずなのですが、十字架を背負いながら走って、走って、走っているうちに、うっかり、立ち止まってしまったんです。

そのまま休むことなく走り続けられていたら、今とは何かが違ったのかもしれませんが、うっかり立ち止まって周りを見てみたら、そこは景色も何もない場所で、何も見えないところに来てしまっていました。

たまに、この景色のない世界、退屈な自分から、抜け出せる日は来るんだろうか、と不安になる。

ですが、それって実はおかしなことではなくて、これこそが「大人になってしまった」ということではないのかなと思ったんです。

頭は大人で、心は子どもでいたいと思い続けてはいるのですが、なんだか心が大人になってしまったように思う。

夢とかそういう、眩しくあるべきものについて考えれば考えるほど、自分が自分の理想ではないことを突きつけられてしまう。

これが、私が、夢を語ることを強要されたくない理由だったりするのです。

ともえ・けい
2012年よりA応P(アニメ“勝手に”応援プロジェクト)のメンバーとして活動をスタート。2020年8月2日に、A応Pを卒業。現在、インターFMにて毎週土曜28:30〜「DJサブカルクソ女の音楽解体新書」にてDJ番組を担当、DJCD「A応P BEST DJCD PRODUCED by DJサブカルクソ女」をリリースするなど、「DJサブカルクソ女」としても活動中。社会不適合者(自称)。
公式Twitter:@kei_tomoe
公式Instagram:kei_tomoe_official