ポータブルな情熱/『運動音痴は卒業しない』郡司りか㉑

小説・エッセイ

公開日:2021/4/15

郡司りか

 私は、過去に紙粘土を持ち歩いていたことがあります。

 それは小学5年生の頃だったはずです。図工の授業で粘土工作をしてからドハマりました。そのとき使用したグリーンの粘土は油っぽい匂いが心底嫌いだったので、紙粘土にすることにしました。

 何を作っていたかというと、ピクミンです。

 ピクミンは2004年にニンテンドーが発売したゲームソフトのキャラクターです。小学生の間ではゲームよりもCMソングのほうが話題となりました。

 なんとなく作ってみた紙粘土ピクミンを、家族から盛大に褒められ、2つ下の弟からは尊敬の眼差しで「もっと作って!」とすがられました。

 当時はスマホがなくて、調べものが簡単に出来ない世の中だったので、ピクミンの正確な大きさも分からずキャラも曖昧です。なので、とりあえず小さければ小さいほどいいと思い、小指の第一関節くらいの大きさで、独自のキャラクターを作ることにしました。

 あらかじめ紙粘土に色んな色をつけて混ぜ込み、5色くらいに分けてラップで包んで持ち運びました。外出先で「もしここにピクミンがいたら~」を想像して作ります。

 外出時に紙粘土を持って行くのは、弟が静かにじっとしていてくれるからという母が喜ぶ理由だけではありません。「今作りたい!!」という気持ちが湧き上がったときに作ることが、良い作品に繋がると思っていたからです。

 そして、頭でイメージする形を作り出すことが、自分にとってはご飯を食べたり眠ったりする欲求と同じくらい自然で、かつ胸の高鳴りを感じるようになりました。

 それからは、母と弟と妹と一緒に公園に行っても銀行に行っても市役所に行っても商店街に行っても精米店に行っても駄菓子屋に行っても、ひたすら紙粘土をこねました。挙句には習い事の少林寺に行っても、道場でピクミンを作っていたのだからもう誰も止めません。

 そうこうしているうちに2年が経ちました(弟はピクミンへの興味をとっくに無くしました)。

 母の外出時には、長女は紙粘土をこね、その弟はチョロチョロ動き、小さい妹はプリキュアを歌うという、カオスな状況が生まれました。

 それからすぐ、小学生卒業とともに紙粘土を持ち歩くことも自然と卒業することになったのですが、玄関にはしばらくのあいだ、選抜された20体のピクミンが並びました。それ以来ピクミンは作っていません。

 けれど、代わりに今は文章を書くようになりました。粘土と違って持ち運ぶのはスマホだけです。「今書きたい!」のときにメモ帳を開いて文字を打ち、自宅に帰ったらPCに送って手直しします。

 ただ、「『今書きたい!』の気持ちに逆らわない」という習慣は根強く身についてしまったようで、コンビニでもスーパーでも公園でも道端でも書き、友達と外出時にはトイレに行って書き、電気屋さんでは左手でガチャガチャしながら右手で書き、風呂の湯船では2時間浸かりながら書いてはのぼせました。

 それに、今もバスの中で書いています。降りるバス停はすでに12個ほど前に過ぎてしまいました。

 次のバス停で降りて、その辺のコーヒー店で茶しばいて帰るかな。

<第22回に続く>

プロフィール
1992年、大阪府生まれ。高校在学中に神奈川県立横浜立野高校に転校し、「運動音痴のための体育祭を作る」というスローガンを掲げて生徒会長選に立候補し、当選。特別支援学校教諭、メガネ店員を経て、自主映画を企画・上映するNPO法人「ハートオブミラクル」の広報・理事を務める。
写真:三浦奈々