ウェッサイとイッサイ/オズワルド伊藤の『一旦書かせて頂きます』⑬

小説・エッセイ

公開日:2021/4/30

オズワルド伊藤

「なんでやねん」程便利な言葉を僕は知らない。

 これほどまでに全方位対応型言語は存在しないと思うの僕は。

 語呂の良さ長さ強弱の付けやすさ、訳の分からないことから国民が笑うベタな展開まで、ほぼ全てのシチュエーションに対応出来る使い勝手の良さ。どれをとっても超特級品。
 食べ物に例えるなら白飯。例えないならなんでやねん。

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 とにもかくにもこの「なんでやねん」さえ持っていれば、最初の村からラスボス倒すまで、他のダンジョンをスルーしてタクシーで向かってもある程度は戦えると言っても過言ではない。なんなら「なんでやねん」1本で全クリ出来る可能性だってある。結局最後の最後って自分が最初から持ってるもんで勝負しなきゃならない時とかあるし。最後は愛と勇気となんでやねんっしょ。

 ただこの国宝級の最強言語にも唯一の弱点が存在する。

 それは、我々イッサイ(イーストサイド)の人間には使用することが許されていないということ。
 これこそまさに「なんでやねん」なのである。

 いや、正確には使うこと自体は全然余裕で出来るのだが、ウェッサイ(ウエストサイド)の人間からすると、イッサイの人間が「なんでやねん」を使用することは、それ即ち、合唱コンクールで激しめのロックを歌うくらい薄ら寒い行動となる。そういうんじゃないからと。好きだから歌うとかじゃないからと。じゃあバンド組めばいいじゃんと。

 こんなにも便利な言葉を、日本の半分にも満たない人間にしか使うことが許されていないのだ。

 そしてこれによって最も頭を抱えるのが、我々イッコミ(イッサイ〈イーストサイド〉のツッコミ)である。

 正直イッパン(イッサイ〈イーストサイド〉の一般)の方が日常的にツッコミを使用することはあまりないだろうし、あったとして使わなければいいだけの話ではあるが、我々プッコミ(プロのツッコミ)はそういう訳にはいかない。
 はなっから無いものに対してではなく、ウェッサイに確実に存在するものに、イッサイに生まれ落ちたその瞬間から触れることが許されていないということはなんとも歯がゆいもので、以前あまりにも「なんでやねん」が使いたくて「それはかなりなんでやねんだよ」といったワードを産み落としたことがある程である。これに関しては、ワードの面白さと観る側聞く側の反応が全く比例しなかった為、やはり「なんでやねん」の存在の大きさを再認識するニガイデ(苦い思い出)となった。

 そのあとに産み落とした「それは話がちゃいまんがな過ぎる」というワードに関しては、今思い出しても反吐が出ちゃう。そりゃ反吐も出ちゃうの。

 では我々イッサイプッコミは、ただただウェッサイプッコミ(ウェッサイのプロのツッコミ)を羨ましがって、じーっと指くわえて見つめてるのかといったら決してそうではない。
 むしろ「なんでやねん」を使えないことを受け入れて、それに代わるなにかを日々模索する毎日なのだ。

 もちろんウェプコミ(ウェッサイプッコミ)が「なんでやねん」にあぐらをかいている訳では全くないが、イプコミ(イッサイプッコミ)はイプコミで無いものに嘆くだけではないのである。

 要するに、今与えられた環境でどう生きるか。

 月並みな言葉ではあるが、ピンチはチャンスなの。「なんでやねん」がないということは、新しい聞いたことのないイプコミの言語を産み落とす最高のシチュエーションなのだ。

「なんでやねん」ひとつとっても、世の中平等なんてないし不公平であることがニュートラル。

 我々イプコミがどれだけ頭を絞っても、いまだかつて「なんでやねん」に並ぶ程の半永久的に誰でもどの場面でも使えるツッコミを生み出せた者はいない。

 ここを吉とし、いつか死ぬまでに、なん国言(「なんでやねん」に並ぶ国民的言語)を生み出すことは、我々イプコミの切なる思いなのである。

 一旦辞めさせて頂きます。

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オズワルド 伊藤俊介(いとうしゅんすけ)
1989年生まれ。千葉県出身。2014年11月、畠中悠とオズワルドを結成。M-1グランプリ2019、2020ファイナリスト。


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