病気で頭が回らず、仕事も家計も大ピンチ!? どん底の私が編み出した料理とは…/料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。④

食・料理

公開日:2021/5/22

料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』から厳選して全8回連載でお届けします。今回は第4回です。36歳のときにうつ病を患い、料理だけができなくなってしまった食文化ジャーナリストの著者。家庭料理とは何か、食べるとは何かを見つめなおした体験的ノンフィクションです。

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料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。
『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。』(阿古真理/幻冬舎)

うつのおかげで生まれた時短ミニマム料理

 わが家の家計は折半で、負担する支払いの分担が決まっている。食費は私の担当である。私が病気でほとんど仕事ができなかった時期も、分担は変わらなかった。

 その頃、年齢的にも仕事は転換期に来て行き詰まっていた。頭が回らなくなる病気だから、新しい仕事を得るために企画する能力も、ネタを集めるパワーも衰えている。それでも2人とも儲からない分野で働いているので、お互いが経済的に自立していなければ家計が回らなかった。

 もちろん、そんな私を夫は心配した。自分が仕事を変えてもっと家賃が安いところへ引っ越し、私が専業主婦になったらどうかとか、スーパーのレジなどでアルバイトをしたらどうかなどと提案してくれた。

 確かにその頃の私は失業状態だったが、自分の生活費は自分で稼ぐ人生を歩む、と若い頃に決めていたし、夫に自分を曲げて仕事を変えて欲しくもなかった。アルバイトをしなかったのは別の問題で、不特定多数の人を相手に働き、すばやく対応することを求められるサービス業が、病気の私に務まるとは思えなかったからである。日銭を稼げるようになって、本業への意欲がますます弱くなることも恐れていた。

 うつは、変化を恐れる病気である。イレギュラーなことや、一度に二つ以上のことに対応することが難しくなる。しかも、ちょっとした生活の変化も、大きな精神的負担になる。毎日をできるだけ安定した、予測の範囲内に収めることが、体調の安定につながるのだ。

 

 結局、少しずつでも仕事をすること、貯金の上澄みをちょっとばかり使うことで何とか乗り切ったように思う。夫も私の負担が少なく、できそうな仕事を回してくれた。分野は違うが、夫も出版業界で働いているのである。

 少ないお金で食費をやりくりするため、できるだけ工夫をした。いつも行く八百屋のお兄ちゃんは、私が店で働いたりもしたから察していたのだろう。ときどき、古くなった野菜を譲ってくれた。魚屋で買うのは、干物やアジ、サバなどできるだけ安い魚。良質なものを選んでいた調味料も、グレードを下げた。漬けものやジャムといった、プラスアルファの1品はなし。

 切り詰めた家計の中で、昔の農家が不作を乗り切るときコメを節約するために「大根飯」を食べた、など大根が貧しさを救う作物でもあることが、よくわかった。当時私が買っていた大根の値段は、1本150円ほど。それだけあれば、1週間は助かる。お腹がふくれるし、量が多いのである。

 それから、冬は白菜を丸ごと、それ以外の季節はキャベツを丸ごと買うと、やはり1週間は使い回せる。それらも200円前後である。ニンジン、ジャガイモ、タマネギなどの定番の野菜も割安だ。

 少し回復して料理ができるようになると、これらの定番野菜を駆使した料理をするようになる。何品も並行してつくる技量が当時なかったことや、献立を考える気力がなかったこと、家計が厳しかったことが合わさって、品数はいつも少なかった。

 そんな頃に編み出したのが、ミニマム料理である。これは、使う素材が1種類で、工程が最低限の料理だった。

 夏はカボチャを丸ごと買う。丸ごとなら長く保存できるので、使いたいと思うまで、台所の野菜ボックスに放置しておける。先ほど挙げた定番野菜はどれも、保存ができるところも助かる。買っておけば、今日明日に使い切らなくても大丈夫。「~ねばならない」というストレスをできるだけ少なくすることも、うつには必要である。

 丸ごとのカボチャを割るのは力がいるので、夫に頼んでいた。二つ割か四つ割にしてもらった後、種とワタを取り除く。本当は種だって食べられるのだが、どう料理したらいいかわからなかったので、それは捨てていた。使わない分はラップでピッチリくるんで冷蔵庫に入れておけば、1週間ぐらいは使える。長く置くと端っこが白くなるので、そこの部分は削って捨てる。もちろん早く使ったほうがいいに決まっているが、急がなくても大丈夫、と思えることが、精神的負担を少なくした。

 カボチャのかんたん料理の定番は、煮つけである。しかし、まとめてつくって2回、3回と煮返すと、皮が割れてくる。下手をすると最初に煮た時点で、煮過ぎて割れてくる。皮が外れた身はすぐに崩れて食べにくい。しかも、出汁をつくらないといけないのが手間である。

 そこで思いついたのが、カボチャ蒸しだ。幸いわが家には、蒸し器がある。煮つけと同じように4分の1個や2分の1個を、3~4センチ角に切り、鍋の底に水を入れて沸騰させた蒸し器に入れ、上からパラパラと塩を振りかける。それで数分ほど中火にかけて蒸す。皮の内側に竹串を刺して、柔らかくなっていれば完成である。

 蒸したカボチャは、甘くておいしい。お腹がふくれるので、副菜にすれば2切れぐらいで十分。夏は根菜が少ないので、お腹に溜まる食材のカボチャは頼りになる。しかも栄養価が高い。β-カロテンやカリウムがたっぷり含まれ、ビタミンCやビタミンE、ビタミンK、ミネラルも含む。

 そして、この蒸しカボチャは、冷蔵庫で保存することができる。冷たいカボチャは、まるでスイーツのように甘い。そのまま食べてもいいし、一工夫する元気があるときは、ひき肉とタマネギのあんをかけたりもした。めったにそういうときはなかったけど。

 冬は、白菜蒸し。これは夫が思いついた料理だ。白菜をザクザク5センチ幅に切って蒸し器に入れ、味つけなしで3~5分程度蒸して完成。それを、醤油とお酢、ラー油を混ぜた小皿に入れながら食べると、まるでギョウザみたいな味になる。ギョウザは手間がかかる料理なので、この頃はとてもつくる気力がなかったが、白菜蒸しを食べていたらギョウザの気分で楽しめた。そうやって食べて気づいたが、白菜は見た目の割にお腹がふくれる。青菜よりずっとボリューム感があるのだ。そして体も温まる。真冬はキャベツより白菜がいい。

 もっとかんたんにできるのが、長イモの短冊切り。10センチほどに切れば2人で1回分。スーパーに売られているカットされた長イモで、2回分。八百屋で丸ごと買えば4、5回分。ちゃんとラップにくるんで冷蔵庫の野菜室に保存すれば、1週間か10日ほどもつ。切り口が変色したら、そこだけ切って捨てればいい。皮をむき、汚れた表面をちょっと洗って、4等分し、短冊に切る。器に盛って鰹節をまぶし、ポン酢をかけたら完成する。

 トウモロコシも蒸すだけ。皮をむいてひげ根を取り、二つに切って、塩をすり込み、蒸し器で数分。黄色がツヤツヤと濃くなったら完成だ。このとき、気持ちに余裕があれば底に溜まったお湯をスープに使う。よい出汁が出ているので、おいしくなる。

 これらの料理の助かるところは、どれもかんたんにつくれるうえ、お腹がふくれることだ。「恐るべき食い意地」でも書いたように、私は病気だろうが元気だろうが、いつだって毎日お腹を空かせている。しっかり食べないと満足できないので、お腹がふくれるかどうかは重要なポイントなのだ。特にこの頃は、肉や魚介をたっぷり摂るほど買えなかったし、品数もたくさんはできなかったので、お腹がふくれる食材は重要だった。

 お腹はあまりふくれないが、副菜になる1食材料理もある。

 キュウリの端っこを切り落とし、塩もみして30分以上置いておく。それを斜め切りか輪切りにして、皿に盛るだけ。肉料理などに添えておくと、箸休めになるし、梅酢でもかけておけば、サラダ扱いにもできる。梅酢がなければポン酢でもOK。

 トマトを切っただけ、というのもやる。私は子どもの頃からトマトが大好きで、これによけいなドレッシングはかけたくない。だから、トマトは本当に切っただけで済ませる。病気かどうかに関係なく、夏場のお気に入りだ。

 もっと後になって思いついたが、今は味つけしたものが「サラダチキン」として人気の蒸し鶏もシンプルな料理だ。鶏のむね肉2枚に塩・コショウをすり込んで、中火で20〜25分蒸す。それを薄くスライスしておき、3回ぐらいに分けて食べる。私は柚子コショウをつけて食べるぐらいだが、トマトソースなど好みのソースをかけるとおしゃれになる。

 これは昼につくったら夜も食べるなど、できるだけ続けて食べるが、翌日にはもう脂が回っているので、ベビーリーフなどと交ぜてサラダにする、あるいは青菜と炒めるなどして、ほかの食材に紛れ込ませる。

 蒸し器の底に溜まった肉汁は、味を調えればいかにも滋養があるスープになる。一番単純なのは、溶き卵を入れるだけ。タマネギのみじん切りやキャベツ、キノコを加えて増量してもいい。オクラやネギなど薬味を浮かべてもいい。後になってフォーに使うことも思いついた。

 フォーを別に茹でておく。味を調え、残った蒸し鶏にパクチー、モヤシ、ニラをトッピングすれば、ベトナム料理のできあがり。レモンを添えれば完璧だ。

 こうして見つけたミニマム料理の多くは、今でも活用している。そういえば、最近夫婦2人して、お腹の周りの肉をへらしたいと悩んでいるが、それはこの頃より食卓にのる品数が、ふえてしまったからかもしれない。

<第5回に続く>