美大受験生活 /小林私「私事ですが、」

エンタメ

更新日:2021/6/30

美大在学中から音楽活動をスタートし、2020年にはEPリリース&ワンマンライブを開催するなど、活動の場を一気に広げたシンガーソングライター・小林私さん。音源やYouTubeで配信している弾き語りもぜひ聴いてほしいけど、「小林私の言葉」にぜひ触れてほしい……! というわけで、本のこと、アートのこと、そして彼自身の日常まで、小林私が「私事」をつづります。

初めまして、小林私です。
この度ダ・ヴィンチニュースさんでの連載が決定しました。
なんで?

特に賄賂を渡した覚えはないのですが、有難いことに連載のお話を頂きました。
以前「天才の愛」というくるりの新譜のレビューをさせていただいたところ、それを読んだダ・ヴィンチニュースの方から推薦いただいたそうです。

ひとまず自己紹介がてら、僕の大学受験生活の話でもしておこうと思います。

何故大学受験の話を?というところから話しますと、多摩美術大学油画専攻を卒業し3ヶ月ほど経つのですが、ちょうど今が一番寂しいんですね。寂しいし、忘れるには勿体ない予備校生活だったので書きます。

今後大学生活も書きたいかも、ね、ダ・ヴィンチニュースさん。長期連載で頼みますよ、へへ

読んでいるお前らも「小林私に連載させておくと得かも」と錯覚させるために色んなところに共有してください。俺は富と名誉が欲しい。たくさん欲しい、翼も欲しい、頼むぜ! あわよくばこの記事を読んで寂しくなった同級生から連絡来ないかな、という気持ちです。

みんなへ、俺が寂しがってます。

 

美術大学を専攻しようと思ったのは高校2年終わりがけ、それまで通っていた予備校をもう一年更新するかしまいかを迷っていた時期のことです。当時通っていた高校の成績は悪い方ではなく、天才というほどの傑物ではなくとも勉強が苦手でならないと頭を抱えるほどでもありませんでした。しかし僕は神山市の生まれではないし、そもそも高校生だったので漫然と適当な大学を受ける気持ちも、高校入学当初に比べたら薄れていました。

せっかく四年間通うのならば、と様々な大学や学部も調べても全然興味が湧かず、強いて言えば文学部心理学科か、それとも柳家喬太郎が通った日大の落研にでも入ろうか、とぼんやりと考えていました。
当時興味を惹かれていたものは主に二つで、軽音楽部に所属していたこともあって音楽の方面か、アニメやゲームが好きな人間が少なからず行う授業中の暇つぶしこと落書きか。

当時の小林亮太(本名)は後者を選びました。

 

高校三年4月、美術部に入ったこともなく、高校の芸術選択科目では「最も手が汚れない」という理由で音楽を選択していた僕は一番家から近い美術予備校の体験授業に足を運びました。人生初のデッサンです。(もしかしたら高校以前の授業でやっていたかもしれませんが)

ま~~~~~~~~~~~~~下手。確か手を描いた気がするんですが、あまりに下手。

そもそも予備校でこれから学ぶんだろうに、これ以上何を学ぶんだ!?と思うくらいにハイレベルな他の生徒の作品を見て、愕然としました。「でもこれから学ぶんだし」と考えていたので自分の下手さにショックとかは全然なかったです。高校時代の僕はかなり強靭なメンタルを持っています。

講評を終えた後、講師の先生に相談する時間がありました。何を話したのかは全然覚えてないのですが、唯一記憶にあるのはその先生が油絵科だったことです。油絵をはじめとする様々な学科の様々な作品を見せられ、油画が一番自由そうで良いな、と思いました。

あと、この予備校に入るとしたらこの先生は確定でいるしその時に油絵科じゃなかったら気まずいな~、といった不純な理由もあり、僕の中で油絵科に入ることはほぼ決定しました。

それから二ヶ月後、その予備校の油絵科に入塾しました。

間の二ヶ月は何をしていたかというと、受験とか考えるのだり~、と思って遊んでいました。

当時周囲には「もう少し考えたい」と言っていましたが、あれ、嘘です。予備校に入る気持ちは完全に出来ていたし、本当に面倒臭くて遊びたかっただけです。余談ですがその時行ったライブで観たバンドのボーカルが現在僕のレコーディングやらアレンジメントやらをしてくれています。不思議なこともありますね。

予備校ではまずデッサンや油絵の道具を揃えました。ひと口にデッサンと言っても、油画科は木炭デッサンなので、多様な濃さの鉛筆や練り消しだけでなくこれまた多様な木炭があったり、デスケールやスポークと呼ばれる道具も揃えました。僕は鉛筆ならハイユニ(ステッドラーと比べると同じ濃さの表記でも柔らかいので色の乗り方が違う)、練りゴムなら伊研が好きで、デスケールとスポークはほぼ使ってませんでした。こういう美術経験者しか分からないことを言うの、美大生の本当によくないと思う部分の一つですね。

しかしこれがま~~~~~~~~~~~~~下手。すっごい下手。
デッサン描こうが油絵描こうが恐ろしく下手。美術大学行ったとてこれ以上何を学ぶんだ!?と思うくらいにハイレベルな他の生徒の作品を観てまたもや愕然としました。
ちなみに当時僕は美術大学が何をするところなのかを全く知りませんしどんな大学があるかすら知りません。多摩美も当然知りません。

だからやはり「でもこれから学ぶんだし」と考え、ショックとかは全然なかったです。
俺は精神力で飯を食っている。

 

僕の通っていた予備校では、生徒みんなが期間内に同じ課題(例えば同じモチーフ)を描き、最後に良い作品順に並べ、数人の講師で講評をするという形式をとっていました。作品に順位もクソもあるかい、という方々に対してはあくまで「受験対策として」の作品であることを明記しておきます。だってそういうボーダーがないと予備校や大学に行く意味、あんまりないし

当然絵画の知識や経験が毛ほどもない僕のキャンバスは毎回下の方に位置していました。こういうランキングがあった時、あなたはどうやって上の順位に行こうとしますか?とにかく画力を上げる? 講師の好みに合わせる?

僕はそういう点でかなりアホなので、どうにかズルして順位を上げたくなります。

保育園でのりょうたくんはU字型のコースの徒競走でスタート地点とゴール地点を“まっすぐ”駆け抜けました。素直に頑張るのって癪に触りますよね、園児から成長していない僕は「面白い絵を書けば良いんだ!」という完全に間違った方向に進みます。これが第一停滞期です。

スイカをモチーフに出されたときは果実部分を全て平げてスイカの皮頭人間が花火をしている絵を描き、

丸めた色付き光沢紙が並んでいるモチーフに“うつるもの、うつすもの”という課題を出されたときは周囲の生徒が色紙に反射する景色や自分を描く中「戦隊ヒーローのように並んだ色紙がテレビ画面に映っていて、爆発を背負っている」絵を描いたり、

天井に吊り下げられたビニールカーテンと床に散らばったモチーフに対して周囲がビニールとモチーフの素材感を描き分ける中でカーテンを銭湯の入り口にしていました。

当然順位は上がりませんでした。
(誤解のないよう言っておくと、そういった課題から逸れた発想自体を講師の先生が認めていなかったわけではなく、そもそも画力や絵の見せ方自体を分かっていなかったので課題を抜きにしても「良い絵」ではなかったのです)

小林私「私事ですが、」

小林私「私事ですが、」

間違った思考を重ね続けるなか、転機が訪れました。
長机に水玉模様の布を敷き、その上に花瓶や果物を乗せたモチーフが出ました。
僕はそのモチーフが画面一杯にあったら面白いと考え、長机が密集する空間を描きました。

小林私「私事ですが、」

小林私「私事ですが、」

初めて順位がちゃんと上がりました。発想が面白かったわけではありません。制作中にも感じていましたが、僕は布をはじめとする可塑性を持った無機物の描写に長けていたのです。

描写そのものが楽しい!と感じ始めるのと同時に、「ちゃんと描いた方がええやん」ということにようやく気付きました。夏終わりだったはずです。いや、全然嘘かも。時期とか覚えらんないんで

それからはとにかく「描けないものは描かない、描きたいものは全面に」というモットーで構図の模索をし始めました。これが大当たりで、描きたいし描けるものを 描く以上筆は進む、構図自体のレベルも上がっていく。当時の同級生には「みんな遅くとも4月には入塾してるしそもそも美術も学んでいなかったのに6月に入っておいてなんなんだ」と言われていました。これだけ言うと天才みたいで良いですね。 本当はただゼロから始めているおかげで伸び代があったのと、一般の予備校でどうやったら自分は上手く成績を伸ばせるか、という点に関して思考回路のアドバンテージがあっただけです。

突然ですが今現在予備校で絵画を学んでいる受験生に向けてメッセージです。
「変なことせず地道に描こう! マジで」
これはマジの話ですがちゃんと見て地道に描くと「ちゃんとした絵」になります。
技術や知識や経験やセンスがない似た境遇のお前、真面目にやろう。いやマジで

・得意なモチーフの特徴、それを他のモチーフに応用する力
・そもそものデッサン力の向上
・それらをより良く見せる構図を考える力
この三つがはっきりし出した時、小林亮太はどうしたか。
「いい加減面白いのやっても良いのでは!?」
これが第二停滞期です。

なまじちゃんと描けるようになってくると、今度は「発想は面白い気がするけど描けない」ことに気付きます。画力の向上というのはそのまま観る力も同時に養われるということ。
皆さんもテストなどで「考えても分からないしやっつけた問題」が「考えれば解けそうな問題」になった経験があると思います。そう、めちゃくちゃ時間がかかるようになります。

石膏像と周辺モチーフのデッサン課題が出た時には、(デッサンというのは木炭や鉛筆でモノクロのハーフトーンをどこまで出せるかというのが一つの鍵になるんですが、)敢えて白黒をパッキリ分けた絵を描いてみたり、

自転車がモチーフで出た時には、目の前で描いていた友人がガレージで自転車の整備をしている絵を描いてみたり、

絵画的な見せ方やモチーフから想起される場面の発想でどうにか面白くしてやろうと躍起になっていました。お気付きかと思いますが、当初の“面白いこと”からはかなり逸れてしまっていました。

自分が笑えることと描けることとのギャップで、これにはかなり参っていました。

小林私「私事ですが、」

小林私「私事ですが、」

そうこうしている内に試験が迫り、こうなると本当にちゃんと描かなければいけなくなります。
完全に停滞していた僕には良いきっかけだったと思います。秋頃には流石に「ふ~ん、藝大だのムサタマだのがあるわけね」と知っていたのもあります。

ただ僕は始めたての自分に比べて上手くなってはいたものの順位は中々上がらなくなり、試験が近づくにつれて皆どんどん自分との戦いになっていき、実力のランキング的には入塾当初と結局殆ど変わらなかったので「どこでも入れれば万々歳」という思考回路でした。なので実際多摩美に入学するまでどういう大学なのかを結局把握していませんでした。何故多摩美に決めたのかは後述します。

突然ですが「あまりに長すぎる」とのことで、ここまでが前編となります。
僕も長いなと思ってました。

次回、何故受かったかの話を軸に後編です。乞うご期待
僕のことは一旦忘れてください。さようなら

こばやし・わたし
1999年1月18日、東京都あきる野市生まれ。多摩美術大学在学時より、本格的に音楽活動をスタートし、2020年6月に1st EP『生活』を発表。シンガーソングライターとして、自身のYouTubeチャンネルを中心に、オリジナル曲やカバー曲を配信し、支持を集めている。6月30日に、デジタルオンリーの新作EP『後付』(あとづけ)をリリース。表題曲の“後付”は、今秋公開予定の映画『さよならグッド・バイ』の主題歌になることも決定している。

Twitter:@koba_watashi
Instagram:https://www.instagram.com/iambeautifulface/
YouTube:小林私watashi kobayashi
YouTube:easy revenge records

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