おもちゃひとつ与えられず、自分抜きで出掛ける家族。あれはネグレクトだったのか?/生きてるだけで、疲労困憊。②

文芸・カルチャー

公開日:2021/7/22

rei著の書籍『生きてるだけで、疲労困憊。』から厳選して全9回連載でお届けします。今回は第2回です。大学在学中に発達障害と診断された“陰キャ・オタク・非モテ”の発達障害会社員”。しんどい社会を少しでも楽に生きる…そんな考え方が詰まった珠玉のエッセイです。

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生きてるだけで、疲労困憊。
『生きてるだけで、疲労困憊。』(rei/KADOKAWA)

おもちゃは与えられず1人だけで留守番。ネグレクトだったのかもしれないが別にいい

 幼少期、私はおもちゃを買ってもらえなかった。欲しいおもちゃも特になかった。こう書くと「?」と疑問に思われる方も多いだろうが、私みたいな人間にとっては普通のことである。

 特に欲しいおもちゃがなかった理由として、幼児のコンテンツに触れていなかったことがあげられる。アンパンマンや仮面ライダーといった、幼児が熱狂するキャラクターを当時の私は知らなかった。

 幼稚園にグッズを持ってきている人間がいたため、キャラクター自体は認知していたはずだが、動いているところをしっかり見たのは大人になってからが初めてである。

 私が唯一親からもらったそれらしいものは、スティーヴン・キングの本。父親が読み終わったものを与えてもらえていただけだが、時間を潰せる唯一のものとして、ずっと眺めていた記憶がある。おかげで、活字を読むのが好きになった気がする。

●私抜きで出かけてしまう家族

 家族は、私をのぞいた3人だけで出かけてしまうことも多かった。それに対して、さみしいとか悲しいとかいう感情は湧いていなかったと思う。

 買い物にも一緒に連れて行ってもらえなかった記憶がある。この状況は大学生になって実家を出るまで続いた。基本的に、私はずっと1人で留守番だった。

 傍から見ると「放置されている」「ネグレクトだ」と感じるかもしれないが、私としては気楽だった。過干渉の親に勉強を強要され、とんでもない結果を招いた友人がいたこともあり、「干渉しない親のもとで育ってよかった」と今でも心底思っている。

 私の母親は、夜更かしとお菓子を食べることくらいしか注意しなかった。お菓子に関しては全く買い与えてもらえなかったが、自分で買って食べるのはOKだった。食べ方等も特に指導されたことはなく、全て見様見真似で覚えた。

●確かにネグレクトのような気もするが実感なし

「客観的に見るとネグレクトかもしれない」とは確かに感じる。しかし、当時はこれが普通だと思っていたし、今でも自分ごととしてはその感覚のままだ。トラウマや心の傷になっている感覚は一切無く、わだかまりも全く無い。

 家族については印象が薄く、ほぼ何も知らない。

 母親のことでわかるのは「昼間は働いており、性格は明るくも暗くもない」ということくらい。喋れるようになってから現在に至るまで、それほど会話がなく、好きなものや嫌いなものは全く知らない。父親は働いていたが何の仕事かは知らない。本をくれていたため、おそらくスティーヴン・キングが好き。ニュースをよく見ていたので割と真面目なタイプだと思われる。妹は、共通点が全くないので何もわからない。強いて言うなら、幼少期は外に行きたがる傾向があったように思う。

 家族のことでわかるのはこの程度。18年間同じ家に住んでいたけれど、私が持っている家族の情報は、本当にこれが全てなのだ。他の一般的な人間はもっと家族のことを知っていると言われても、そうなんですかという印象である。

 現在では、冠婚葬祭以外で家族と会うことはない。揉め事があったわけでもなく、ふっと会わなくなった。しかし、それに対しても、やはり何の感情も湧かないのだ。

<第3回に続く>

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