「発達障害って知ってるかな?」大学のカウンセラーからついに告げられた事実/生きてるだけで、疲労困憊。⑥

文芸・カルチャー

公開日:2021/7/26

rei著の書籍『生きてるだけで、疲労困憊。』から厳選して全9回連載でお届けします。今回は第6回です。大学在学中に発達障害と診断された“陰キャ・オタク・非モテ”の発達障害会社員”。しんどい社会を少しでも楽に生きる…そんな考え方が詰まった珠玉のエッセイです。

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生きてるだけで、疲労困憊。
『生きてるだけで、疲労困憊。』(rei/KADOKAWA)

発達障害と診断される

 面接で苦手だったのが、「弊社は第一志望ですか?」という質問だ。

「何十社も受けて落ちた末のココだし……他に受かれば志望していなかった……」という感情が邪魔をして「はい!」と答えることに戸惑ってしまうのだ。

 正直は美徳ではあるが、言い方を変えると「社会の慣習や他者の求めに応じず、まず自分のルールを他者に強要しようとする」態度である。

 我を貫き通して成功を収める人間もいるが、私のような「とりあえず安定したサラリーマンになって、労働負担の少ない環境と飢えないぐらいの金が欲しい」という未来図を持っている場合は、良いか悪いかは別として「私は個人的な感情や思惑を排して貴方達のルールに迎合します」と示す方が無難である。この問題については、私は回数を重ねて、「慣れ」で多少はできるようになっていった。

●食用コオロギ事業の誘いによる謎の自信

 面接で落ちるにつれてどんどんと自分に自信がなくなっていく。何を言っても否定されるという不安から、就活は悪循環に陥っていった。

 こうした行き詰まりの状況を変えてくれたのは、コオロギくんの一言だ。

「就職できなかったら、食用コオロギ事業を一緒にやらない?」

 もちろん、コオロギ養育をやりたいわけではなかったが、安堵感が湧いた。

「別にこの面接に落ちてもコオロギがあるし」「お前は私のことを何も知らない。例えば私はコオロギで二重の意味で飯が食える」と謎の自信が湧き、落ち着いた態度で面接に臨むことができるようになり、一次面接は突破することが多くなった。

 人間は逃げ道が無くなるほど「失敗できない!」という焦りから、思い切るべき場面で思い切ることができなくなってしまう性質があると、この経験から悟った。

 失敗したら後がない状態において、人間はどうしても「絶対の安全」を追ってしまうし、絶対の安全というのは冒険せず変化を拒否しリスクを取らない=現状維持なので、現状が下り坂にあるならばそのコースは絶対に敗北へと続いてしまう。

 このジレンマを断ち切るには、逃げ道が必要なのだ。

 逃げ道があれば「まぁ失敗してもOK」の精神でよりアクティブに勝負に出られる。就活における私のそれはコオロギくんからの事業の誘いであったが、そんな誘いは稀であるので、就活に苦しんで自信を失いかけている人間には「何処でもいいので受かりそうな企業を受けて内定をとっておく」ことを推奨したい。

●大学のカウンセラーに「発達障害」を教えられる

 就活をじわじわと進めていた私だが、結局内定が出ることはなく、どんどんと落ち込んでいった。そんな私を見かねて、コオロギくんは大学のカウンセラーに相談することを勧めてきた。どうしていいのかわからなくなっていったのもあり、その提案に乗った。

 カウンセラーを訪ね、「とにかく就活はつらいし、借金は二百万円(奨学金)もあるし、将来に希望が見えなくてつらい」と正直に打ち明けた。するとカウンセラーは斜め上のことを聞いてきた。

「常同的で反復的な習慣や動作はあるか?」
「同一性や日常動作に融通がきかないほどの執着があるか?」
「集中度・焦点づけが異常に強く、固定された興味があるか?」

 おそらくは最初から私の言動で半ば確信していたのだろう。それらのことを聞き終わると、「発達障害って知ってるかな?」と口にした。

 カウンセラーから発達障害の説明を受け、最初に思ったのは「あっ、これは個性じゃなくて障害なんだ」ということである。

 私は自分の症状を性格的なものと捉えていたため、何ともいえない驚きがあったが、「自分は発達障害である」ということはすんなり受け入れることができ、「じゃあ障害者枠での就活を試みてみるか」とばかりに診断を受けるべく病院へ行った。

 ここで私はようやく正式にASDとADHDの併存という診断を下され、そのまま大学を卒業し、就労支援施設に通いながら、障害者手帳の到着を待つことにした。

●障害者枠でアッサリ内定

 約半年後、手帳ができたので障害者枠での就活を開始した。

 障害者枠での就職活動において私が真っ先に思ったのは「自分はそういう枠なんだ」というスティグマ感だった。面接では「志望理由」や「業界研究」等は全く聞かれず、代わりに苦手なことや得意なこと、頑張ればできることをザックリ聞かれるだけ。

 周囲の発達障害者達にはその扱いに耐えられず、障害を隠しての就労を試みる当事者もいた。面接会場で、落胆や憤怒を表に出す当事者も少なくなかったように思う。

 それも当然だ。彼等の大半は思春期以降に人生に支障が出始めて診断を受けた、いわば「障害者なり立て」である。生まれて初めて経験する「障害者としての特別扱い」が、彼らにとって衝撃的であるのは想像に難くない。

 その観点からすると、ある程度症状が安定していて、上昇志向が全くなく、卑屈でもなく、それでいてお客様みたいに扱われることに慣れている私のような人間は理想的な「障害者枠穴埋め要員」だったのだろう。

 今まで何だったんだ? と思う勢いでトントン進み、アッサリと就職が決定した。

<第7回に続く>

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