おしゃれに興味がないから、プライベートも「スーツ」が一番/生きてるだけで、疲労困憊。⑨

文芸・カルチャー

公開日:2021/7/29

rei著の書籍『生きてるだけで、疲労困憊。』から厳選して全9回連載でお届けします。今回は第9回です。大学在学中に発達障害と診断された“陰キャ・オタク・非モテ”の発達障害会社員”。しんどい社会を少しでも楽に生きる…そんな考え方が詰まった珠玉のエッセイです。

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生きてるだけで、疲労困憊。
『生きてるだけで、疲労困憊。』(rei/KADOKAWA)

脱オタなんて意味がないから私はプライベートでもスーツを着る

 昔はオタクというと服装がダサいイメージがあった。私個人の体感としても2000年代はいわゆる「さえないオタク」は多かったと思う。そうしたオタクが多いからこそ、2004年に『電車男』が流行った際は「脱オタ」と称する「服装や見た目に気を遣ってオタクを脱出しよう!」というムーブメントが起こったりもした。

 しかし令和の世では、「お洒落な一般人もオタク文化を楽しむようになった」「金をかけなくてもお洒落できるようになった」「一般人もオタクも服に金をかけなくなった」ことが重なり、オタクと一般人の見た目の差は無くなりつつある。

 とはいえ、未だにアナログな見た目のオタクがいることは事実であり、また私自身はおそらくアナログな見た目をしているので、そのことについて書き記そうと思う。

●不細工のお洒落は「借金返済」

『電車男』による「脱オタ」ムーブメントは私の周りでも巻き起こった。

 だが私は「どうせ無駄だ」と確信しており、波に乗ることはなかった。周りの結果を見るにそれは正しかった。彼らの脱オタはプラスを生むことができなかったのだ。

 お洒落をしてリターンが得られるのは、美男美女ないし普通の容姿の人間だけである。不細工がお洒落をしたところでリターンは何もない。例えば美男美女がお洒落をすれば、容姿が向上したことで人から褒められたり、自身の姿を見て満足できたりするだろう。我々のような不細工がお洒落をして「普通に不細工」から「ちょっと不細工」に容姿レベルが向上したとしても、人から褒められることはないし、急にモテ始めることもないし、自身の姿を見て満足することもできない。私の周囲の「脱オタ」ムーブメントは、「脱オタは意味がない」ことが判明しただけで終わった。

 美男美女のお洒落が「自分の持っている資産に磨きをかける投資」だとすれば、不細工のお洒落は「負債を少しでも減らそうとする借金返済」。それならば、確実に幸福が得られるオタクコンテンツに課金するべきだとオタク達が判断するのも無理はない。

 アナログオタクの服装がさえない理由は単純に「金をかけてないから」である。

 基本的に、我々オタクは趣味以外でのケチりようが凄い。服装等の一般社会向けコンテンツに課金しても、「恋人ができる」「カッコイイと褒められる」等のリターンが得られる確率が低いことをアナログオタクは理解している。

「見た目に課金しない」は、オタクの合理的な生き方であり、選択と集中の実践だ。

●スーツだけで生きていくのがいちばん

 では、どうすればいいのか? 私も延々悩んだものだが、我々のような不細工には「制服」や「スーツ」というアイテムがあることに気づいた。制服やスーツとは良い悪いは別にして、ファッションの「一応の正解」であり、それを着ていればとりあえずダサくはならない。お洒落できない人間は、トライ&エラーを繰り返し、感性を鍛えて流行をキャッチするのではなく、予め決められた制服やスーツ等の「TPOにあまり左右されないファッションの完成形」を追求すべきである。

 私は仕事でも私事でもスーツを着ている。部屋着とスーツの2種類しか持っていない。電車を乗らずにすむ外出は部屋着で済ませ、それ以外は全てスーツ。スーツ4セット、部屋着3セットで済んでいる。

 スーツは全て『洋服の青山』等で店員から勧めてもらったものを、高すぎたり安すぎたりしなければ、そのまま購入している。プロに言われるがまま購入する方が、自分で選ぶよりもミスがない。

 スーツを着ていれば、「自分のお洒落は間違っているかもしれない?」と心配しなくても済むし、自分で選んだ私服を着ていくよりも良い印象を与えていると感じる。

 この方法の良い所は金や手間がかからないところであり、趣味にリソースを割きたい我々オタクにはピッタリのファッションだ。

<続きは本書でお楽しみください>

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