【話題の「ストゼロ文学」】金原ひとみ『アンソーシャル ディスタンス』の一篇を全文公開 連載第2回

文芸・カルチャー

公開日:2021/10/3

【第57回 谷崎潤一郎賞受賞】コロナ時代の恋愛を描き話題沸騰の金原ひとみの作品集『アンソーシャル ディスタンス』から、「ストロングゼロ」を特別全文公開。飲みやすいがアルコール度数の高い飲料に依存する女性を描き、「自分もこうなりそうで怖い」という声も多数、「ストロングゼロ文学」の代名詞にもなった作品です。

アンソーシャル ディスタンス
『アンソーシャル ディスタンス』(金原ひとみ/新潮社)

 私の酒量が増え始めたのはその頃だった。仕事のストレスもあるし、ほとんど外に出れなくなってしまった彼を支える重圧もあるのだろうと、私はアル中という言葉が常に頭のどこかに存在しているのを感じながら、見て見ぬ振りをし続けた。酒に酔って少しずつあらゆる感覚が麻痺し、理性と冷静さを欠いていく自分を自覚しながら、それでもそれ以外の道を選ぶことはできなかった。

 朝起きてまずストロングを飲み干す。化粧をしながら二本目のストロングをたしなむ。通勤中は爆音で音楽を聴きながらパズルゲームをやり、会社に着くとすぐにメールや電話の連絡作業をこなす。昼はコンビニで済ませてしまうか、セナちゃんや他の同僚と社食や外食に行き、食事中あるいは戻る前にビールかストロングを飲む、午後は基本的には原稿かゲラを読み、夜遅くなる時はファミレスや中華料理屋で夕飯がてら、あるいはコンビニの前で酒を飲み、帰宅の電車やタクシー内でもパズルゲームをやり、帰宅後一分以内にストロングを開け意識が混濁するまで飲んでからベッドに入るかソファでそのまま寝付く。最近は最寄駅に着いた瞬間耐えきれずコンビニで買ったストロングを飲みながら帰宅することが増えた。最初はストロング一本だった寝酒が二本になり、三本になり、次第に二杯目からは焼酎やワインに切り替えるようになり、一人で出入りするようになったバーでウィスキーに手を出しその味を覚えてからはウィスキーも家に常備するようになった。この生活の中で、私がシラフでいる時間はほとんどなく、睡眠時間以外でお酒を飲んでいないのは会社にいる時間と移動時間だけと言っても過言ではなかった。

 以前は、担当している本のことが常に頭の中にあった。寝ても覚めてもずっとそのテーマについて考え続け、本や映画、日常生活のあれこれをその視点から眺めていた。でも今、私は考え続けることができない。原稿に集中できるのは原稿を読んでいる時だけで、文章から目を離した瞬間、脳は安物のラクトアイスのように端から溶け始め、酒とパズルゲームしか受け付けなくなってしまう。それこそ、今まで何について考えていたのか次の瞬間忘れている時もあるほどに、文章に触れ合わない私は空っぽだ。そして空っぽなままできるパズルゲームをやり、ライフがなくなってしまうと回復するまでTwitterを延々スクロールする。友達や美容、面白動画、かわいい動物動画、ファッションや恋愛こじらせ系アカウントばかりをフォローしている空っぽなアカウントだけを見る。仕事関係用のアカウントを見ると情報の許容量を超えた脳みそがパンクしてしまうから、そっちはもう二ヶ月以上開いていない。

 もうずっと、自分のことを把握できていない。私は今、自分は何をしたいのか、何を求めているのか、何が嫌で何がいいのか、何が好きで何が嫌いなのか、何も分からないままバスタブに浮く髪の毛のように使い古されたお湯の中に意味なくたゆたい、人々にうとましがられるだけの存在だ。魂の抜けたダッチワイフのように求められるままに応え、少しずつ彼や彼を嫌いになり、それでも求められれば応えたいし何か力になりたいと根拠不明な原動力によって走り回っている。ここのところ本の刊行ペースが早く、行成の不眠のせいで私も受動不眠になっているし、裕翔は週に二度も三度も誘ってくるし、仕事と付き合いの合間合間に行成の薬をもらいに行ったり、外に出れない行成のためにご飯を作りだめしたり、前は行成がやっていてくれた洗濯や掃除も、今では完全に自分一人で担っていた。このままじゃ近いうちに破綻する。もうずっと、そんな漠然とした危機感がある。それでも私は自分がどうしたいのか分からない。行成を捨てたい訳ではない、行成と別れて裕翔と付き合いたい訳ではない、二股を継続したい訳でもない、どうしてもお酒が飲みたい訳ではない、仕事が嫌な訳ではない、安定が欲しい訳ではない、でもバイトもできなくなってしまった行成を介護し養い続けるのも本意ではない。今の私は全て否定形だ。こうだという肯定も、こうしたいという希望も一言も浮かばない。何かあるだろう、何か一つくらいあるだろう。そう考えている途中で私の思考は途切れ気づくと酔っ払っている。考えればきっと分かるんだろうけど、今はストロングを飲んでるから無理。いつも思考のゴールはそこだ。お酒が抜ければ、一度ゆっくりスマホもストロングもないところで自分と向き合って考えれば、自分の望み、今後の展望は見えてくるはず。そう思うけど、そんな機会は今の生活の中では完全に失われていた。

 

「今日、遅くなるから冷凍のピラフかカレー食べといて。今チンして、この辺に置いとこうか?」

「うん」

「どっちがいい?」

 眉間に皺を寄せて、考えることが苦痛そうな行成に「じゃあピラフにするね」と言うと彼は解放されたように皺を解き無表情に戻った。彼にとって、私は自動販売機のような存在なのかもしれない。そして私にとって、行成は鳥かごの中で飼っている鳥のようだ。毎日毎日ご飯を用意され、食べては寝て、起きては食べての繰り返し。家から出ずにフィーディングされ続けた行成は、薬の副作用もあってか明らかに太ったけれど、どうであっても自力で動けない人を飢えさせるわけにはいかないのだ。レンチンすらできない日もある行成のために、帰りが遅くなる時はこうしてレンジで解凍しておいた食材を、ベッドの近くに置いておく。冷めていても彼は気にしない。餌が温かくても冷たくても鳥が文句を言わないように、彼は何の主張もしない。彼の生きている世界に、私はもう存在していない。彼はもう、私の名前を忘れてしまったかのように、私の名前を呼ばない。向き合う時間が減ったな、一年前はその程度に思っていた。今はもう、彼の目が私の姿を捉えているその瞬間にも、彼の中に私が存在していないことがありありと分かる。だから裕翔の会社の主催する出版記念パーティに出席していた時、以前外で吉崎さんと一緒にいるところに出くわしてちらっと挨拶をしただけだったのに、人混みの中で「桝本ますもとさんだよね?」と声をかけてきて、「桝本美奈さん」とフルネームを付け足した裕翔と、私は寝たのかもしれない。

「行ってきます」

 寝室を出る前に言うと、うん、と小さい声が辛うじて聞き取れた。振り返って、行成を覆う掛け布団をじっと見つめる。分かっている。彼には治療が必要だ。自分でどうにかするなんて、無理なのだ。でも病院に行きたがらない彼を無理に連れて行ったり、入院させたりするのは抵抗がある。現在の精神医学に関しては私自身疑問に思っているところもあるし、精神薬の薬害について調べ始めると、やはり行成の言葉を引用して調子の悪いふりをすればしただけドサドサ薬を処方する精神科医に対して不信感は募る一方だった。

 彼を連れて二ヶ所の精神科、ネットの口コミを読み漁って探したカウンセラーにも二ヶ所かかった。どんなに栄養アンプルを刺しても枯れゆく植物のように、彼はどこに行っても回復しなかったどころか、どんどん生きる力を喪失していった。ご両親に現状を伝えた方がいいんじゃないかとさりげなく提案したこともあったけれど、それは止めて、と彼は力を振り絞るように言った。心配をかけたくないのだろうと、あまり触れないようにしてきた。でもそうやって彼を刺激しないように、例えば親や友達の話を避けたり、あれしようこれしようという未来の話を避けたり、社内で聞いた面白い話や下らない話を避けている内、私たちの会話は今日遅くなるかどうか、ご飯をチンするかどうか、そろそろお風呂に入った方がいいんじゃないか、くらいしかなくなってしまった。そしてそんな会話すら、どんどん減少の一途を辿っている。もう十ヶ月以上セックスをしていないし、最後の何回かは彼が途中で萎えて棄権で終わっていた。その頃からキスもしていない。この関係に現存するスキンシップは、発作的なパニックを起こした彼の背中を撫でることと、寝返りの際に期せずして体のどこかが触れることだけだ。

 私たちはどこに向かっているのだろう。目的もゴールもなく、楽しいから好きだからという理由で継続していたはずの関係は、今やもう何がそれを成り立たせているのか理解不能なものになってしまった。化粧をしながら飲んでいたストロングの残りを飲み干すと、家を出て鍵を閉めた。この鍵は私が帰宅するまで解錠されることがない。一人で住んでいた頃よりも私は一人で、もっと言えば鬱でアル中だった。

 

 もう一本ストロングを飲んでから出社しようとコンビニに寄って気がついた。冷凍コーナーに並ぶアイスコーヒー用の氷入りカップにストロングを入れれば、会社内でも堂々とお酒が飲める。こんな画期的なアイディアを思いつくなんて、私はすごい。久しぶりに自分を褒められた瞬間だった。氷入りカップとストロングを二本買い、出社したらトイレでストロングを氷カップに移し替え、入りきらない分はトイレで飲み干してしまう。ストローを挿したカップを持ってデスクに戻れば最高の職場が完成する。何飲んでるのと聞かれたらレモネードか炭酸水と言えばいいのだ。一杯目がなくなると、即座にトイレに舞い戻り二本目のストロングをカップに投入した。質が良いのか氷もなかなか溶けない。「完全アル中マニュアル」、というタイトルの新書を誰かに書いてもらうのはどうだろうと思いついて久しぶりに気持ちが盛り上がる。「アル中力」「アル中が一戸建て買ったってよ」「転生アル中」タイトルを考え、お酒好きな著名人を思い浮かべながら企画書の草案を書いていると、向かいの席の真中まなかさんに「販売の三瀬みつせさんからお電話です」と言われ、座り直して受話器を取る。

「お電話代わりました、桝本です」

「三瀬です。桝本さんいい加減にしてくださいよ。何度言ったら送ってくれるんですかカバーのダミー、何日も前からメールしてるんですけど」

「ダミー? あ、すみません遅くなってしまって。すぐにお送りします」

 あれ、返信してなかったっけと体中が焦りにひりつきながら平謝りして電話を切る。メールの履歴を見てみると、確かに四日前と昨日メールが来ていた。二通目のメールを見た瞬間、ヤバいと思って慌ててスマホで返信を書き始めた記憶はあるけれど、どうしてそれが送られずに保存フォルダに保存されたままだったのかについての記憶は一切ない。ダミーを三瀬さんに送信すると、私は過去のメールを見返し始めた。他に何か重要な連絡を見落としていないか確認するが、要返信のものには概ね返信してある。でも数日前にも同じようなことがあった。何だったっけ。あれ、何だったっけ。自分の確認不足で起こったはずのミスを思い出せないことに、更に焦りが増していく。そうだ、編集会議の日程を決めるための連絡を忘れていたせいで、皆の予定は出揃ってるのにいつまでも決められないと編集長から催促の連絡がきたんだった。あとそうだ、先週校閲からのメールに返信した時、向こうからの質問事項を完全スルーして今後のスケジュールのことだけ書いてさっさと返信してしまい、「ご返信ありがとうございます。質問事項へのご返答もお待ちしております」と若干卑屈な感じでリマインドされた。思い出せば出すほど恐ろしくなってきて、自分が社会生活をまともに送れていないことを痛感する。桝本さんは連絡が早くて、メールにも即座に返信するから、受信フォルダに常にメールが溜まっていない状態に整理整頓されてるんですよと隣の席の同僚に編集部の飲み会でバラされ、桝本さんは仕事が早くて助かるわと編集長に褒められていた、あの頃の私はもういない。あの健全で明るくて前向きだった彼がいなくなってしまったように、仕事のできる私もいなくなってしまった。

 二本目のストロングを飲み終えた頃、久しぶりに人に怒られたという事実に意外に滅入っている自分に気がついた。呆れ半分といった感じで、怒られた内に入らないような言い方ではあった。でも、お前はゴミだ存在する意味がないと否定された気分だった。

 

 やっぱここにして良かったなあ。裕翔は嬉しそうにメニューを見ながら言った。熟成肉の店の予約が取れなかった彼は、食べログのブックマークの中から肉寿司のお店を選んだのだ。あれこれ迷った挙句、肉刺し盛り合わせ、雲丹うに載せ肉寿司、梅ささみ、お新香盛り合わせ、クリームチーズの酒盗和えを頼んだ。

「校了お疲れ」

 文芸編集者である彼もきっと忙しいだろうに、私にかけた言葉は晴れやかだった。文芸編集者にしては屈託がない人で、もっと言えばこんなに屈託がないのに何故文芸にいるのだろうと思わせるタイプだ。カウンター席はやけに近く、落ち着かない。美味しい、とか、ちょっと飲んでみる? などの言葉の拍子に隣の彼と目が合うと、私はどこか困ったまま目を逸らす。恥ずかしいわけではない。私は裕翔の顔が好きではないのだ。

 気付いた時には面食いだった。初めて男の人に恋愛感情を抱いた時にはもう面食いだった。顔を妥協して付き合えばすぐに顔が好きでない人と一緒にいることに悶々とし、耐えられなくなって数ヶ月で別れることになった。行成は、そういう意味で特別だった。私は彼の顔が大好きなのだ。裕翔は別段不細工というわけではない。でもどこか雰囲気で誤魔化している系の顔だ。私が好きなのは、行成のように誰がどう見ても格好いいと言う正統派の美形なのだ。自分の顔見てから物を言えと人は思うかもしれない。でも駄目なのだ。自分と釣り合うような男では駄目なのだ。私は自分が心底美しいと思える顔でないとその人のことを心から求めることができない。裕翔に手を伸ばしてしまったのは、行成との関係に抱いているむなしさからであって、そうでなければ私が男として認識できない社内の九十九パーセントの男と同じように、心に僅かな風さえおこさない無害な男の一人に過ぎなかったはずだ。いやむしろ、言ってみれば裕翔も未だ無害な男でしかない。心も乱されなければ恋い焦がれることもなく、セックスをしてもキスをしてもどれだけ多くの面積を触れ合わせても、肌が離れた瞬間にはなんでこの人と触れ合っていたんだろうと思うような男でしかないのだ。それでも向こうが求めてくるから、そして私も気を紛らわしたいから、という軽はずみな敷居越えがあって、そこから惰性で進行し続けてもう半年だ。最初の内は、彼の存在に救われた。くだらない話をして、美味しいもの食べてお酒を飲んで、ホテルで抱き合う。それだけで行成との関係の中で満たされていなかった部分がなあなあに満たされた。でもお互いそれなりに需要が一致していたはずの私たちの関係は、裕翔が吉崎さんと別れてから明らかにバランスが崩れてしまった。

「彼は、相変わらずなの?」

 控えめな言葉と、強い視線のアンバランスさに、また目を逸らしてハイボールのグラスをぐっと傾ける。

「うん。通常運転」

「よくやってるな、ミナは。すごいよ」

 すごいのだろうか。よく分からない。私は今、自分の行動原理がよく分からないのだ。自分が行成の面倒を見ている意味も、別れないでいる意味も、付き合い続けている意味もよく分かっていないのだ。

「なんか、最近そっちから呼び出してくれないね」

 裕翔はやはり軽い口調で言う。硬いカブのお新香をバリバリ頬張りながら眉間に皺が寄る。少し前までは定期的に自分から呼び出していたということだろうか。この数ヶ月、自分から裕翔を呼び出した記憶が、全く蘇らない。こっちから呼び出してたっけ? とは聞けず「そう、かなあ」ともごもご疑問形で言うけれど、裕翔は「忙しかったんだろうし、もちろん構わないんだけど」と恐らくこちらに気を遣わせないように微笑んだ。LINEの履歴があれば見返すところだけれど、行成に見られたらという不安から裕翔とのトークは全て消去している。実際には行成は、私が外でどんな仕事や人付き合いをしているかなど、もう異世界の出来事のように感じているのだろうから、トークを見たところで何とも思わないのかもしれない。と言うより、ベッドに潜りっぱなしの行成が私のお風呂中や睡眠中にいそいそとスマホを覗き見するとも思えない。彼が闘っているのは全く別の次元のもので、彼はもう私との関係にわずらわされることはない。そう思いながらも敢えて消去している私は、自分はまだ行成と恋人同士であるという既成事実にすがりたいだけなのかもしれない。それでももう、行成との関係も裕翔との関係も、断ち切ることなど永遠にできない気がする。裕翔と関係を持って半年、求められるままに主体的な意思がないままここまできてしまった。

<第3回に続く>

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