罪名は詐欺罪。ペット探偵の男の手口「眠らない刑事と犬」③/道尾秀介『N』

文芸・カルチャー

公開日:2021/10/7

道尾秀介氏が「読む人によって色が変わる物語をつくりたい」と挑んだのは、読む順番で世界が変わる1冊『N』(集英社)。 全6章を読む順番の組み合わせはなんと720通り! 本連載では、そのうちの1章「眠らない刑事と犬」の冒頭を全4回で試し読み。

N
『N』(道尾秀介/集英社)

「仕事がなくなったの?」

 路地に踏み出し、江添の背中に声をかける。驚くかと思ったが、彼は無反応で、数秒経ってからようやく大儀そうに振り返った。前髪のあいだから、からからに乾ききった目がわたしを見る。

「あなた、ペット探偵の江添正見さんよね」

 彼は答えず、手元に目を戻して罠の片付けをつづける。よく見ると、ポールの先端に取り付けられたまな板には、ペットボトルの蓋が逆さに貼りつけてある。そこに入っているまだらの粒は、たぶん昨日買った「鳥の餌・お米MIX」だろう。

「鳥を捜してくれって頼まれてたんじゃないの? あの鳥はこの家から逃げ出した。あなたは飼い主から鳥の捜索を依頼されてた。でもせっかく罠を用意してここにやってきたのに、鳥はさっきの高校生の肩にとまって、彼はそのまま家に入っていった。鳥が無事に飼い主のもとに戻ったから、あなたの仕事はなくなった。違う?」

 さっきの二人が誰なのかはわからない。おそらくは、たまたま迷い鳥を見つけ、追いかけながら飼い主を捜していたのだろう。すると鳥はこの家の庭木にとまり、どうしたことか高校生の肩に飛び移った。彼は仕方なく、鳥を肩にのせたままインターフォンを押した。家の人はそれを見てドアを開け、中に招じ入れた。

「べつに違わねえけど――」

 ようやく江添が口をひらいた。しかし両目は自分の手元に向けられたままだ。

「あんたは?」

「警察です」

 今度こそ驚くかと思ったが、微動だにしない。

「警察の世話になるようなこと、した憶えねえけど」

「してるって噂なの」

 罪名で言うと、おそらく詐欺罪。

 署に相談の電話があったのは先月のことだ。代表番号にかかってきた電話が刑事課に回され、わたしがそれを受けた。相談者は、かつて江添に依頼して飼い猫を見つけてもらったという二十代の女性だった。彼女によると、「ペット探偵・江添&吉岡」は不正なやり方で金儲けをしているのではないかというのだ。

 ペット捜索業者の料金体系は様々だが、基本契約の三日間で五万円から六万円ほどのところが多い。彼らは前払いで料金を受け取り、ペットの捜索ならびにチラシやポスターの作製や配布などを行う。最初の三日間で見つからなければ、以後三日ごとに料金が加算されていく。捜索対象となるペットは犬と猫が多いが、ときに鳥やフェレットやハムスターやプレーリードッグなどの捜索も依頼されるという。ペットの捜索にはどうしてもある程度の日数がかかるので、最終的な料金は二十万円を超えることもあるらしい。しかし、大切なペットが戻ってきた嬉しさで、たいていの依頼者は喜んでそれを支払う。「ペット探偵・江添&吉岡」の料金体系もやはり同様で、最初の三日間が五万八千円。その期間で見つからず、さらに捜索をつづける場合は、三日ごとに同じ料金を振り込むという仕組みだ。

「はっきり言っちゃうと、以前あなたに仕事を依頼した人から、警察に相談があったの。それが誰だかは教えられないけど、捜索対象は猫だった」

 その猫は、ある朝、飼い主が玄関のドアを開けた際に逃げ出してしまったらしい。彼女は周囲を捜し尽くしたが見つからず、インターネットに載っていた業者に捜索を依頼した。それが「ペット探偵・江添&吉岡」だった。江添は依頼を引き受け、基本料金の五万八千円を受け取って捜索を開始した。

 彼女の飼い猫は雑種だが、両目の上に、どう見ても極太の眉毛にしか思えない模様が入っていた。それがかなり特徴的だったので、案外すぐに見つかってくれるのではないかと彼女は期待していたという。しかし、一週間が経っても発見の報は入らなかった。彼女は三日ごとに追加料金を振り込みつづけていたが、やがて九日目を迎えたとき、とうとうあきらめた。翌日になれば料金が二十万円を超えてしまうので、金銭的にもう無理だと判断したらしい。彼女は江添に電話をかけ、捜索を打ち切ってほしいと伝えた。江添は了承し、役に立てなかったことを丁寧に詫びて電話を切った。ところがその三十分ほど後、今度は江添のほうから電話があった。たったいま猫を発見したというのだ。彼女は心から感謝し、江添がケージに入れて連れてきた飼い猫と再会を喜び合った。

<第4回に続く>

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