好きなラジオの仕事に就きたい。目標が出来たことでバイトも続いた。そして、人生が大きく動き出す…/アフタートーク

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公開日:2021/10/14

アフタートーク

著:
出版社:
KADOKAWA
発売日:

 才能がない。社会になじめない。暗い。無駄に背が高い。服がダサい。腐っていたぼくに残るのは、ラジオへの情熱と無色透明の個性――。

「オードリーのオールナイトニッポン」「星野源のオールナイトニッポン」など、数々の名番組に関わった、オールナイトニッポン元チーフディレクター・石井玄(ひかる)さんの初エッセイ『アフタートーク』。 「ラジオ制作や会社員にまつわる仕事論」「学生時代にラジオに救われてから業界を目指すまでの道のり」など、ラジオへの情熱と志を余すところなくつづった10年間の集大成。ラジオファンのみならず、モチベーションを高めたい社会人、これから働く学生にも読んでもらいたい作品。

※本作品は石井玄著の『アフタートーク』から一部抜粋・編集しました。

アフタートーク
『アフタートーク』(石井玄/KADOKAWA)

やりたいことを仕事に

 大学生活は相変わらずほとんど授業にも出ず、ラジオを聴いたり、本を読んだり、TVやDVDを見たり、ゲームをしたりして過ごしていた。常にギリギリの単位数で進級を果たしていた。死ぬとか生きるとかそういうことで悩むことはなくなっていたけれど、果たしてこれから自分はどうやって生きていくのだろう。大学を出たら、親の世話になり続けるわけにもいかない。だがバイトも続かない、学校もまともに行けない、そんな人間に務まる仕事が世の中にあるのだろうか。3年生の後半にもなると、就職活動のためにスーツで来る学生が多くなる。さすがのぼくでも焦ってくる。どうしようもない大学生活を送っていたぼくにも、友達が5人出来た。今も連絡を取り合うし、たまに会ったりもする。彼らはぼくを見捨てずに遊びに誘ってくれたり、授業のノートを貸してくれたり、学園祭やスポーツ大会などの行事へも誘ってくれた。彼らがいなかったら、途中で大学は辞めていただろう。みんなは他にも友達がいたので、向こうにとってぼくは大勢の中の一人だが、ぼくにとっては唯一の友人たちだ。

 彼らはとても優秀で、早々に自分の進路を決めてバリバリに就職活動をしていた。ぼくはそんな中で一切就職活動をしていない。偉そうに言っているが、出来なかったのだ。スーツも持っていないし、就職活動の指導をする学校主催のセミナーにも出ていない。セミナーがあることすら気づいていなかった。そんなぼくに対しても友人たちは寛容で、「玄は何とかなるでしょう」と言ってくれていた。ちなみに、その友人のうちの一人に大手出版社の小学館に就職して、今も少年サンデーの編集部でマンガの編集者をしている小倉がいる。先日、ニッポン放送の吉田尚記アナウンサーが発起人でニッポン放送にも縁のある「マンガ大賞」という大きな賞を小倉が担当している『葬送のフリーレン』という作品が受賞した。ぼくは何もしていないのだけど、何とも誇らしい気持ちになった。優秀で寛大な友人に恵まれたことが、大学で得た数少ない財産だ。

 みんなが次々と就職を決めていく中で、ぼくは留年することも視野に入れ始めていた。卒業に必要な単位はギリギリ。ちょうど大学から警告を受けていた。追試を受けないと卒業出来ないと言われた。ここで覚悟を決めて、留年すればいいものを、ぼくは追試を受けに行った。どうしたらいいか答えが見つからなかったし、追試を受けてもどうせ受からないと思っていた。ところが、試験は受けてみるものである。単位がとれてしまった。卒業するつもりがなかったのに、うっかり卒業してしまったのだ。卒業式にもちゃっかり出た。みんなが4月からの未来に夢を抱く中、ぼくはこれからどうするのか一切決まっていなかった。

 

 2008年4月、22歳。ニートになった。

 家から出ることもなくなり、毎日、ラジオを聴いてゲームをしてTVを見て映画を見て本を読んで過ごしていた。バイトもしない、勉強もしない、完全なニートである。ニートなのにお家でエンタメに触れ続けていると、毎日が楽しくて、うっかりこのままでも良いのではないかと思ってしまう。だが、いつまでも家にいるとさすがに優しい親も、我が子の将来がどうなるのか気にし始めていた。それとなく、これからどうするかを聞かれることも多かった。

 そんなとき、ヒントになったのが二人の兄である。ぼくは男3兄弟の末っ子だ。

 二人の兄は他から見るとかなり変わっている。

 7つ上の一番上の兄、匠は、学生時代に岡本太郎に心酔し、岡本太郎記念館に入り浸って、岡本太郎の養女である敏子さんになぜか気に入られ、スタッフのように出入りするようになる。渋谷の駅にでかでかと飾られている岡本太郎の作品「明日の神話」がメキシコで見つかったとき、全く関係ないはずなのに、兄の匠は引き揚げ作業のためにメキシコに渡り、修復プロジェクトに参加している。全然意味がわからない。岡本太郎からの影響でアートの世界に片足を突っ込みながらも、専門は考古学。大学は考古学を専攻し、博士号までとっている。今も縄文時代を研究している。岡本太郎と縄文土器関連で本も出している。興味のある方は石井匠で検索をお願いします。

 4つ上の2番目の兄、亨は、高校時代にアートを志し、国内最難関の東京藝術大学を目指した。二浪したところで見事合格し、東京藝術大学美術学部工芸科に進んだ。学生時代から作品を発表し、ロンドンにも留学している。さらにこちらも藝大で博士号をとっている。今は現代アートの作品を発表していて、全国各地、世界各地で個展をやっている。興味のある方は石井亨で検索をお願いします。

 二人とも正直言ってかなり変わっている。

 ちなみに、子どものころからアートや美術の話がよく出る家ではあったが、ぼくは一切興味がなかった。小・中学校では石井兄弟は有名で、写生会や美術の授業で金賞を連発していた。3番目のぼくはどれだけ絵がうまいのだろうかと、先生たちから期待されていたが、兄二人に反してとんでもなく下手で先生方を失望させた過去がある。美術の成績は10段階で4とか3だった。二人の兄は書道教室にもしっかり通い、字もうまい。ぼくは、書道教室に通い始めたころ、左利きだったのに、書道は右手で書くものだという教えに反抗し、かたくなに左手で書いたため破門になった。今も悪筆である。

 3兄弟そろって幼少期からボーイスカウトに入っていた。兄二人はきちんと高校生まで所属して、日本スカウトジャンボリーと呼ばれる大きなボーイスカウトの大会にも参加していた。ぼくは小学校高学年ごろから参加をしなくなり、中学生になるころには全く参加をしなくなってやめた。キャンプで虫が出るのが嫌いだったからだ。

 

 そんな兄二人の背中を見ていたから、自分に才能がないことを思い知っていた。コンプレックスというよりも、最初から自分には出来ないものだと決めつけていた節があり、二人のようになりたいともなれるとも思っていなかった。兄二人に共通するのは、とにかく好きなことを突き詰めて仕事にしているという点だ(この時点で仕事にはなっていなかったが)。「好きなことで、生きていく」。今で言えば、YouTuberのようなことを実現している人が間近に二人もいたのだ。

 ぼくも好きなことをやろうと考えた。二人の兄のように才能があるわけではないが、自分もそんな風に好きなことを仕事にする人間になりたいと考えた。

 

 ぼくが好きなこと。それは、「お笑い」と「ラジオ」だった。

 初めは、血迷ってお笑い芸人になろうと考えた。ラジオで聴いていた芸人さんのように毎週喋れたらどんなに楽しいかと考えたからだ。養成所に通おうと決心したものの、一人で行く勇気がない。自分自身が面白いと思ったことはない。誰か面白い人とコンビを組んで入りたいと思った。養成所は人力舎だ。おぎやはぎさんや、アンタッチャブルさんのラジオを聴いて、人力舎は先輩が優しいと話をしていたので、ここしかないと考えていた。

 高校時代の友人、岡ピーを誘った。ラジオもお笑いも好きだし、ハガキ職人としてメールも採用されていたし、何なら一人で漫才のネタを書きためていたのを知っていたからだ。が、あっさりと断られた。当たり前だ。久しぶりに連絡をしてきたかと思ったら「お笑いを一緒にやろう」は意味がわからなすぎる。他にも数人誘ったが断わられた。一人で入って相方を探すということも出来たが、勇気がなく、早々に芸人になることをあきらめた。今思うと養成所に入らないで本当に良かった。のちに芸人さんと仕事をするようになって、こんなに面白い人たちのようになれるわけがないと思ったからだ。勝手に妄想して断念したお笑いの道は何もしていないのと同じだが、今も芸人さんをリスペクトしているのは、自分に置き換えて想像し、身の程を思い知ったからだと思う。舞台上でネタをやったり、マイクの前でトークするなど、絶対に出来ない。

 

 じゃあ、ラジオで喋る方じゃなくて、作る方をやろう。

 そう思ってラジオの制作スタッフを目指すことにした。そのままニートの状態から就職をするのはとても無理だと思い、父親からのアドバイスで、まずは放送の専門学校に入ることにした。「ラジオ」「専門学校」で検索して一番上に出てきた東放学園専門学校に願書を出すことにした。何とも安易だが、TBSラジオのJUNKの枠でCMが流れていたことも決め手になった。この学校に入ったらJUNKのスタッフになれると考えたのだ。そんな簡単な話ではないのだが、とにかく、人生で初めて夢に向かって一歩を踏み出した。今までのダメさ加減を考えるとこの一歩は大きな進歩だ。

 専門学校に通う学費を貯めるため人生で初めて本気でバイトをしようと決心した。ラジオのスタッフになる。明確な目標が出来てからは、あれほど出来なかったバイトが続くようになった。目標が出来たことで、多少嫌なことがあっても続けられたのだ。

 バイトの内容は「ゲームのデバッグ」。ゲームをテストプレイしてバグを見つけて報告するバイトだ。大学時代、ニート時代、ゲームをいくらやっても平気だったので、このバイトにしてみた。バイトの仲間は、ぼくと同じようにコミュニケーションに難がありそうな人が多く、無用に話しかけて来たりしないし、チームリーダーの社員の方もそういった人の扱いがうまく、何とも居心地が良かった。バイトが出来ないのではなく、目標がなかったこと、合わない人と仕事をすること、好きでもないことが出来ないだけだった、と気づいた。

 初めて、社会に溶け込めるかもしれないと実感した。これで何とか生きていける。ラジオは天職だ、と自分に思い込ませた。ラジオに関わる人も全員いい人であるはずだと決めつけた。

 目標が出来たことで、人生が大きく動き出した。

<続きは本書でお楽しみください>

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