七月隆文『100万回生きたきみ』/特別試し読み #4

文芸・カルチャー

公開日:2021/10/16

4

 朝。自分が目覚めたのがわかった。

 いつもは諦めの名残がはじめに浮かぶ。

 けれど今日は……芽吹こうとする種みたいな、むくむくとした喜びがこみ上げてくる。

 起きて、すぐにスマホを見た。

 いっけんありふれたその順序が、美桜にとってはかつてないものだった。

 充電も忘れ枕元に放置したことも、灯る通知のランプに心躍ることも。

 三善光太。本名そのままのアカウント。

『おはよう。筋肉痛どうだった?』

 彼からの新しいメッセージにきゅんとなる。

 その上には、昨夜交わしたなんでもないやりとりという楽しい時間の残り香。そこで明日筋肉痛になるかもしれないという話をしたのだ。

 一晩放置したせいで、バッテリーが三十パーセントを切っている。あせって充電ケーブルを挿し、返事を打つ。

『ちょっと痛いかも』

 語尾にかわいい絵文字をつける。昨夜のうちにあっさり使えるようになった。ちょっと大げさだけど、知らない自分をみつけたような気持ちだった。

 すぐに既読がつく。彼がいるのだと感じてうれしくなる。

『大丈夫?』

『うん』

『よかった。じゃあ学校で』

 学校。

 学校へ行けば、今日も三善くんに会えるのだ。

 なんて素敵なことなんだろう。

 

 いつもの国道沿いの舗道を自転車で走る。

 十月本来の過ごしやすい朝。

 ペダルが軽い。

 けれど学校に着きたいと逸る心にはとても追いつかない。そのもどかしさにさえ、幸福を感じた。

 書店だったリサイクルショップを過ぎ、

 おっぱいばばあが出るという都市伝説のあったお城のようなホテルを過ぎ、

 川の橋の信号で止まった。

 坂の下に校舎が見える。

 もうすぐ彼との新しい一日が始まる。

 美桜はなんだかたまらなくなって、スマホを取り出す。

『私、100万回生きてきてよかった』

 こみ上げた思いを、どうしても今すぐ伝えたくなったのだ。

 送信ボタンに親指を重ねたとき、突然――腕に力が入らなくなった。

 手から滑ったスマホが地面に落ち、液晶がひび割れた。

「………、…」

 全身から力が抜けていき、膝が折れる。立っていられなくなり、自転車ごと横倒しになった。

 まわりで同じく信号待ちしていた生徒たちが数秒の間を置いて、騒然となる。

 その声や姿が美桜から遠のき、感じられなくなっていく。

 死ぬ。

 はっきりとした予感が刻まれた。いや、ただ死ぬだけではない。

 

 もう、よみがえらない。

 

 自分がここで終わることを。永遠に消えてしまうことを。なぜか冷たく理解した。

 ――なんで。

 口にしようとして、もはや声すら出せない。

 ずっと望んできたことだった。100万回の生に倦み、ただ苦痛もなく消えることを空想してきた。

 どうして。それが今、叶ってしまったのか。

 ――いやだ。

 美桜は暗く閉ざされていく視界をにじませる。

 ―――いやだ………。

 ばらばらに壊れて散っていく魂が、最後に彼の名を呼んだ。

<続きは本書でお楽しみください>

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