【又吉直樹新連載】家賃2万5千円のアパートに住んでいた頃に買った花瓶の15年後/月夜に踊り小銭を落として排水溝に手を伸ばす怪人①

文芸・カルチャー

更新日:2021/10/20

 周囲になじめない、気がつけば中心でなく端っこにいる……。そんな“陽のあたらない”場所にしか居られない人たちを又吉直樹が照らし出す。名著『東京百景』以来、8年ぶりとなるエッセイ連載がスタート!

 家賃2万5千円のアパートに住んでいた頃に7千円の黒い花瓶を買った。お店で目にした瞬間それだけが特別なものであるように感じ絶対に欲しいと思った。花瓶を両手で持つと見事に私の手に納まり、生まれた時から持っていたかのように馴染んだ。手触りも重さも形も、黒を引き立てるための控えめな土色の線もすべてが良かった。

 ルイ・アームストロングがトランペットを手にした瞬間は、聖徳太子が木簡を手にした瞬間は、ルパン三世がワルサーP38を手にした瞬間はこのような感覚だったのかも知れない。

 だが、7千円の花瓶は自分の暮らしには不釣り合いなほど高い。計画的に貯金をしてから買った方がいいのではないか、でもお金が貯まった時にはもう売れているかもしれない。迷った私は店の片隅で花瓶を手に持ったまま動けなくなった。

 後から聞いたのだが、そこを偶然通り掛かったチュートリアルの徳井さんと綾部がガラス張りの店内で花瓶を手に停止している私を目撃していたらしい。二人が近くのカフェでコーヒーを飲み、もう一度店の前を通るとまだ私が同じ場所で花瓶を手に持ったまま固まっていたらしい。自分ではどれくらいそうしていたのか分からないが30分くらいは花瓶を手に持っていたのかもしれない。結局、その日のうちに花瓶を購入した。

 店員さんに、「プレゼントですか?」と聞かれ、自分のための花瓶であれだけ悩んでいたことが急に恥ずかしくなり、「はい」と嘘を吐いてしまった。店員さんは、「喜ばれると思いますよ」と笑顔を浮かべてラッピングまでしてくれた。恰好良い花瓶と素敵な店員と嘘つきの客。

「もう喜んでいます。家に帰って自分にあげるのです。あなたが綺麗に仕上げようとしているこのラッピングですが、実は僕が家に帰って自分で開けるんですよ。紙を破かないように両手を使ってテープを丁寧に剥がします。ラッピングさえもきっと返品できますよ。この花瓶を置く僕の部屋ですが、どんな部屋だと思いますか? 居酒屋の二階にある古いアパートでして、風呂もエアコンも無いんです。トイレは共同なんですよ。トイレ掃除は僕がやるんです。それで家賃を5千円安くして貰っているんです。窓を開けても空なんか見えず、隣家の汚い壁です。はっきり言って、この花瓶は僕の部屋だと浮きますよ。僕の部屋にある本と服とCDを廊下に出してしまったら、もう部屋にはろくなものが残らないんです。僕も含めてその部屋をぎゅうっと小さく纏めて花瓶の形にしてもこの黒い花瓶には敵わない。わかりますか。そんな花瓶が部屋にあったら嬉しいじゃないですか。花瓶だけでも嬉しいのにそこに花を飾れるんですよ。そうか、花瓶は花の家なんですね。僕の家は古いアパートだから、この花瓶では暮らせない。どんな花がこの花瓶で暮らすことになるのでしょうね。楽しみで仕方がありませんよ」と考えているうちに綺麗に包装された花瓶を店員さんから受け取った。帰りに花屋で梅の花を買った。桃だったかも知れない。あの夜、花瓶に生けた梅を眺めていた私がどれだけ幸福だったか。

 それから15年後にそんな大切な花瓶を友人が割った。その頃、友人は店をやっていて私もよくその店に出入りしていた。「カウンターに花が無いとあかんで」と私が提案すると、「なるほど」と友人は花を置くことを快諾した。後日、その花瓶を私が店に持って行き、友人が毎週その花瓶に花を生けるようになった。私はよくその花瓶の前の席に座り酒を飲んだ。15年経つうちに家には花瓶が増えていたけれど、その花瓶に対する思い入れが特別に強かったので、それを友人に託したのだ。ある夜、その店に行くとその花瓶ではなく形だけがよく似た濃い灰色の花瓶に花が飾られていた。照明が暗い店なので、その花瓶だけが仄かにぼやけていた。いつもあったはずの必要な密度がそこに無かったのだ。その瞬間、私はすべてを了解した。

 どえらいことしてくれてるやん、と思ったがもう大人だし大切な友人なのでそんなことは言わない。「あれ、花瓶割れたん?」といつもより高めの声で聞いてみた。友達は同じくらい高い声で、「そうやねん」と答えた。

「そんな薄い花瓶で騙せると思ったん?」
「いや違うやん。あとで言おうと思っててん」
「おまえが割ったんやな?」
「俺というか、花の重みで倒れたというか」
「おまえやな」
「まぁ、そういう考え方もできるんかな」
「花瓶割ったのに、さっき楽しそうに笑ってたんや」
「いや、それはええやん」
「最後、どんな感じやったん?」
「なにが?」
「花瓶の最後。立派やった?」
「まぁ、そうやなぁ」
「そっか」

 というような会話を友人と交わした。花瓶はいつだって壊れる可能性があるものだし、長く大切に使ってきたし、店に勝手に持って来たのは私なのだからこれ以上友人を責めることはできない。この友人とは中学からの付き合いで花瓶を割ったという内容の文章でなければ親友と書くくらい関係が深い。花瓶を割られた人と割った人とではどちらがつらいのだろうか。友人も言いにくかっただろう。「また好きな花瓶買ってくるわ」と私が言うと、友人は「うん」と申し訳なさそうな態度が出過ぎないように言った。もう責めない。もう責めないぞと思うのだけれど、つい注文する時に「あっ、花瓶割った人。おかわり」などと言ってしまう。友人は「誰が花瓶を割った人やねん、マスターや」と応える。その夜くらいは花瓶のことを考えていたかったのかもしれない。好きだった花瓶の葬式に流す曲はエレファントカシマシの「月の夜」。

(ここで掲載する原稿は、又吉直樹オフィシャルコミュニティ『月と散文』から抜粋したものです)

<次回は11月の満月の日、19日の公開予定です>

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又吉直樹(またよしなおき)/1980年生まれ。高校卒業後に上京し、吉本興業の養成所・NSCに入学。2003年に綾部祐二とピースを結成。15年に初小説作品『火花』で第153回芥川賞を受賞。17年に『劇場』、19年に『人間』を発表する。そのほか、エッセイ集『東京百景』、自由律俳句集『蕎麦湯が来ない』(せきしろとの共著)などがある。20年6月にYouTubeチャンネル『渦』を開設