刀根山家の問題に臨む明智小五郎。刀根山の本当の目的とは…?/松岡圭祐『アルセーヌ・ルパン対明智小五郎 黄金仮面の真実』⑤

文芸・カルチャー

公開日:2021/12/19

 松岡圭祐の書き下ろし文庫『アルセーヌ・ルパン対明智小五郎 黄金仮面の真実』を全5回連載でお届け! アルセーヌ・ルパンと明智小五郎が、ルブランと江戸川乱歩の原典のままに、現実の近代史に飛び出した。昭和4年の日本を舞台に、大怪盗と名探偵が「黄金仮面」の謎と矛盾を追った先にある真実とは!? ルパン、55歳の最後の冒険。大鳥不二子との秘められた恋の真相や、明智小五郎との関係を綴った『アルセーヌ・ルパン対明智小五郎 黄金仮面の真実』。は、全米での出版『シャーロック・ホームズ対伊藤博文』を凌ぐ、極上の娯楽巨篇です。

アルセーヌ・ルパン対明智小五郎 黄金仮面の真実
『アルセーヌ・ルパン対明智小五郎 黄金仮面の真実』(松岡圭祐/KADOKAWA)

 明智小五郎が入室するや、応接間のソファに座る四人が立ちあがった。

 四人はいずれも三十代、質のいいスーツに身を包んでいる。表情の変化は予想どおりだった。父親が呼びつけた素人探偵など、この豪邸の敷居をまたがせるにふさわしくない、そう思っていたにちがいない。いったいどんな輩だと値踏みするような目が、たちまち驚きのいろに変わった。

「どうも」明智は落ち着いた声を響かせた。「おまたせして申しわけありません。仕事が立てこんでいましたので」

 刀根山家の長男、式一郎が笑いだした。「これは面食らった」

 次男の裕次は神妙に挨拶した。「初めまして、明智さん。なんというか、あのう、想像とちがいまして」

「ええ」三男の亮三もうなずいた。「失礼ですが、日本人で……?」

 明智は苦笑した。「みなさんと同じ、純粋な日本人です」

 パリで仕立てたスーツのせいか、西洋人に見まちがえられることが多い。助手の文代によれば、顔の小ささと肩幅の広さ、脚の長さ、なにより長身でそう見えるという。どれだけ丁寧に櫛を通しても、天然に波打つ髪も、異国の生まれかと疑わせるらしい。木綿の着物によれよれの兵児帯を身につけ、四畳半に暮らしていたころは、烏の巣みたいな頭だとからかわれたものだが。

 もっとも身だしなみの変化は意識的なものだった。定職を持たなかった二十代、犯罪心理学の研究を趣味としていたころは、服装に無頓着でも問題なかった。だが三十になり、私立探偵を志す段になると、信用が重要になってきた。変に肩を振る歩き方や、頭を搔きむしる癖も矯正が必要だった。

 なけなしの金をはたいて、三年間の外遊にでかけたのが功を奏した。紳士としての作法や振る舞いは、あらゆる階層に接する探偵業に、けっして欠かさざるものといえた。何か月か軍隊経験もさせてもらい、落下傘降下や射撃訓練も受けた。明智はすっかり逞しくなっていた。

 刀根山家の四男、康太郎だけは依然として、ふてくされた態度をしめしている。

「金がありゃ舶来物の服が着れる。兄さんたちと同じだろ」

 三男の亮三が咎めるようにいった。「康太郎、失礼だぞ」

「なにが失礼だよ」康太郎はソファに身を投げだした。「妾の子の俺が末弟に加わるのが、よっぽど癪なんだろ、兄さんたち。悪いけど親父がきめたことだからな」

 長男の式一郎は眉をひそめた。「父上を親父と呼ぶな」

 次男の裕次だけは、穏やかな物言いで場を鎮めようとした。「まあまあ、兄さん。亮三も。これからは四人で仲よくやってかなきゃならない。公平にいきましょうよ」

 亮三は納得いかないという顔になった。「公平っていうけど、裕次兄さんが康太郎に鍵を貸しても、俺は貸す気はないからな」

 式一郎も同意した。「俺もだ」

 四男の康太郎は鼻で笑った。「親父は俺にも自前の鍵をくれるっていってるぜ?」

「なんだと」式一郎が裕次を睨んだ。「おい。康太郎にねだられても、絶対におまえの鍵を貸すなよ。ふたりだけで父上の財産に手をつけるのは許さん」

 裕次が戸惑いのいろを浮かべた。「兄弟のうちふたりの合意があれば、蔵を開けていいって取り決めが……」

「康太郎は別だ。おまえが康太郎と仲がいいのは知ってる。だからといって蔵の中身を勝手にするな。康太郎は俺たちとはちがう」

 ドアが開いた。和服姿の初老が姿を現した。「なにを騒いどる」

 刀根山宗久、この屋敷の主にして、四兄弟の父親だった。明智に手紙を寄越した依頼人でもある。刀根山は明智に目をとめ、深々と頭をさげた。

「明智先生」刀根山が恐縮ぎみに告げてきた。「このたびはお恥ずかしいところをお目にかけまして」

「いえ」明智は控えめに応じた。「かえってご説明いただく手間が省けたかと」

 式一郎が康太郎を睨みつけた。「見ろ。お客様にみっともない姿をさらしたぞ。おまえのせいだ」

 康太郎がソファから跳ね起きた。「明智先生。やり手の探偵なんだって? 俺が殺されたら誰のしわざなのか、いまのうちに見当をつけといてくれよな。財産分与を渋ってるのは、まず式一郎兄さん、次が亮三兄さん。ふたりの共犯もありうるぜ」

 亮三の額に青筋が浮きあがった。「康太郎!」

 刀根山が一喝した。「静まれ! おまえたちはみんな私の息子だ。必要に応じ、家の資産を持ちだす自由もある。ただし兄弟のうちふたりの合意が必要だ」

 式一郎が声高にいった。「問題はそこです。明智先生。僕たちは蔵にかかった南京錠の鍵を、各自二本ずつ与えられています」

「ほう」明智はささやいた。「鍵を二本ずつ……」

 すると刀根山がドアに向かいだした。「こちらへどうぞ、明智先生」

 明智は刀根山につづき廊下にでた。ここに案内してくれた使用人が、部屋の外に待機しているかと思ったが、誰もいなかった。

 四兄弟が明智の後をついてくる。みな黙々と歩いた。絨毯のそこかしこに、なにか重い物が置いてあった痕跡が見受けられる。書斎の襖は開いていた。なかに書棚がのぞく。本の背に『鐘淵紡績株と日本郵船株』『東京株式取引所株式相場』とある。

 和洋折衷の屋敷は、廊下の行く手が縁側につながっていた。午後の陽射しが日本庭園を照らす。そこに立派な蔵が建っている。正面の鉄扉は閉ざされ、三つの南京錠がかけてあった。

「あれです」刀根山が蔵を指さした。「銀行はどうも信用できかねまして、全財産をあそこに保管しとります」

 ああ、と明智は思った。南京錠を一個買えば、鍵は二本ついてくる。三つの南京錠に対応する鍵が、それぞれ二本ずつ、合計六本あることになる。

 三兄弟が各自で持つ鍵は二本ずつ。刀根山は三つの南京錠のうち、一番目と二番目の鍵を、長男に渡したのだろう。二番目と三番目の鍵を次男に、三番目と一番目の鍵は三男に持たせた。三兄弟のうち、誰と誰の組み合わせであろうと、ふたりが合意すれば三種の鍵が揃う。そこまではうまく考えてある。

 三つの南京錠。従来はそれで均衡がとれていた。ところが兄弟がひとり増えたため、いざこざが生じたようだ。

 式一郎が康太郎に食ってかかった。「おまえ、裕次を丸めこめば、あの蔵から好きなだけ小遣いを奪えると思ってるな。とんでもない誤解だぞ」

 亮三もうなずいた。「そうとも。俺や式一郎兄さんの同意なしに、勝手が通じると思うなよ」

 康太郎が嘆いた。「親父。なんとかしてくれよ。鍵をくれるのはいいけどさ。こんな兄貴どもと、いちいちぶつかりあうのはご免だよ」

 刀根山がため息をついた。「明智先生。ご覧のとおりです。親馬鹿とおっしゃられるでしょうが、私は財産を息子たちの好きにさせたい。しかしあくまで息子たちだけでやりくりしてほしいのです。親の私が口だしするのも気が引ける」

 明智はすっかり萎えていた。富豪が警察を頼らず、私立探偵に連絡してくる場合、理由はふたつ考えられる。警察にも明かせない重大な醜聞が絡んでいるか、それとも警察が相手にしない些細な揉めごとかだ。今回はあきらかに後者だった。

 とはいえ落胆をあらわにするのは失礼にあたる。明智は刀根山にきいた。「南京錠をあとひとつ増やして、四兄弟に一本ずつ鍵を渡しては?」

「いや、四人全員の合意が必要となると、少々融通がきかなすぎではないかと。兄弟のうち過半数の賛同があれば、蔵を開けられるというのが民主的だろう、そう思いましてな。だから三兄弟だったときにはふたりの合意。四兄弟になってからは……」

「四人中三人の合意で蔵が開く。そうしたいわけですか」

「ええ。でもなかなかうまくいきそうもなくて、困っておったのです」

「よろしいですか。刀根山さん。南京錠をあと三つお買い求めください」

「……合計六つですか」

「そうです。鍵は二本ずつついてきますから、ぜんぶで十二本になります」

「それらをどうすれば……」

「式一郎さんに一番目、三番目、五番目の鍵を渡してください。裕次さんに二番目、三番目、六番目の鍵。亮三さんに一番目、二番目、四番目の鍵。康太郎さんに四番目、五番目、六番目の鍵を預けるんです」

「ま、まってください。おい式一郎。筆記具を……」

「よろしければ、のちほど一覧を書いてお渡ししますよ」

「ありがとうございます。でもそのようにすれば、望ましい状況になるのですか」

「はい。四兄弟のうち、どなたでもお三方が合意した場合のみ、六つの南京錠の鍵が揃います」

 亮三が目を瞠った。「なら康太郎と裕次がつるんだとしても、俺か式一郎兄さんが同意しなきゃ……」

「ああ」式一郎が微笑した。「ふたりじゃ絶対に駄目なんだ。四人のうち三人が合意したときだけ、蔵を開けられる。さすが明智先生、評判にたがわぬ頭脳の持ち主だ」

 裕次も納得の表情になった。「それなら公平だよ」

 康太郎は立場が弱まったのを敏感に察したらしい。ふいに態度を改め、腰を低くしていった。「兄さんたち……。なあ。なるべく一緒に話しあう機会を持とうよ。刀根山家の仕来りにも、俺はまだ疎いしさ」

 式一郎は表情を険しくしたものの、抑制のきいた声で応じた。「そうだな。話しあいが肝心だ。お互いわかりあえることもあるかもしれん」

 亮三が不満げな顔になった。「式一郎兄さん。でもさ……」

 だが式一郎は片手をあげ、亮三の抗議を制した。亮三も苦い顔で口ごもった。

 長男と三男が矛をおさめた理由はあきらかだ。彼らが蔵を開けたいときも、裕次か康太郎、いずれかの同意が必要になる。あるいは長男と三男で仲たがいしたときには、次男と四男、両方の協力を得ることで蔵を開けられる。

 四人のうち三人の合意が絶対条件。互いに苦々しく思おうとも、兄弟を無下にはできない。四人全員が仲よくしなければならないというよりは、いくらか精神的な負担も少なくて済む。これでいちおうの平和が保たれる。

 刀根山が顔を輝かせた。「明智先生。やはり素晴らしく聡明であられる」

 こんなことなら電話で済ませられた。探偵の仕事というより大岡裁きだ。明智は浮かない気分で踵をかえした。「納得していただけたようなので、これで失礼します」

「ああ、明智先生。おまちを。玄関までご一緒させていただきます」刀根山が横に並び、明智に歩調を合わせてきた。「どうもつまらぬ依頼を差しあげてしまい……」

「いえ」明智は歩きながらいった。「震災から六年が経ち、治安もよくなっていますからね。小さなご相談でもお受けします」

 いつもというわけではない。ただお茶の水に引っ越した直後ゆえ、明智は実入りを必要としていた。開化アパートの二間のうち、客間兼書斎を探偵事務所らしく飾りつける必要がある。私立探偵としての体裁を整えんがため、貯金を切り崩してばかりいた。大きな事件が起こらない昨今、日銭を稼ぐためにも、労力を惜しんではいられない。

 刀根山がおずおずと告げてきた。「ぜひともまた相談させていただきたいことが、山ほど……」

「株の変動を予測するための、企業秘密の調査ならお断りします。倫理的に問題がありますので」

「なっ」刀根山の表情が引きつった。「なぜそんなことを……。私はなにも申しあげておりませんぞ」

「ご子息らは三兄弟のころも、互いにいがみあい、蔵を開けるに至らなかった。でもこのところ仲よくなってきたので、妾の子を迎えたんでしょう。蔵を開けられては困るからです。察するになかは空っぽですね」

「明智先生。なにをおっしゃるんですか」

「これだけのお屋敷なのに、主のあなたご自身が、私を玄関に送ろうとしている。さっき私を案内した使用人は、あなたの日雇いにすぎず、もう帰らせたんでしょう。奥様も里帰りなさってる。あなたの投資の失敗に愛想を尽かしたからです」

「失礼ですぞ。いったいなにを根拠にそんな……」

「柱時計や調度品などが消えたことが、絨毯の痕からうかがえます。書棚には株取引に関する本。あなたの着物の着こなしが充分でなく、奥様の存在が感じられない」明智は刀根山を見つめた。「事実を伝えたほうが、ご子息らの労働意欲につながるかと」

 刀根山は愕然とした顔で立ちどまった。明智はかまわず廊下を歩いていった。

 やがて後方から刀根山が怒鳴った。「南満州鉄道への投資は今後も伸びるはずだ!」

 明智は思わず鼻を鳴らした。振りかえりもせず歩きつづける。昭和四年。満州における特殊権益など、もはや安泰ではない。世界にでればわかる。井のなかの蛙にはなにも見えない。

<続きは本書でお楽しみください>

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