死にたいと思うのは、生きたいと願うからではない。どうにもならない何もかもを、ぶっ壊したいからだ。/真夜中乙女戦争⑤

文芸・カルチャー

公開日:2022/1/25

2022年1月21日公開の映画『真夜中乙女戦争』。原作は、10代・20代から絶大な支持を集める新鋭作家Fによる初の小説『真夜中乙女戦争』(KADOKAWA)だ。名言だらけ、とSNSで拡散され続ける本作より、本連載では、「第一章 星にも屑にもなれないと知った夜に」と「第二章 携帯を握り締めても思い出はできない」を全5回で紹介。映画とあわせて「最悪のハッピーエンド」を確認しては?

真夜中乙女戦争
『真夜中乙女戦争』(F/KADOKAWA)

 大きなお世話じゃ、と意地汚いほど擽ったそうに笑ってから、こいつは同じ学科に所属する女性の顔面偏差値が控えめに言って絶望的であること、今週は飲み会、来週は宅呑み続きで眠れないこと、レッドブルを飲み過ぎると今度は眠れなくて困ること、それでも英語の資格の勉強は昨日から始めていて再来月には受けることなどを、いかにも楽しそうに語り始めた。

 四月に急いで作った人間関係は長続きするはずがない。なぜなら、四月に急いで人間関係を作るような人間に碌な人間がいないからだ。どうでもいい人間が春の勢い任せにどうでもいい人間と連絡先を交換する。それまでは良い。が、五月の連休明けにはなんとなく互いに疎遠となり、それから数年間、キャンパスで互いにすれ違う度、かつての軽率を思い出して気まずい目に遭う。そんなことは私でも目に見えている。

 どうせ佐藤もそうなる。いや、なれ。なっちまえ。と呪うだけに、こいつだけはそうならないかもしれないと思えた。いずれにしても佐藤はどこの会社に行ってもどこの老人ホームに行っても同じことをやる。そしてちょっと毒舌でちょっと可愛い、それでいて、ちょっと機転の回る、たとえば誰かの相談相手としての立ち位置をいとも簡単に獲得するだろう。

 どいつもこいつも死ねばいいのに、と思いかけ、そっくりそのままそれが自分に向けるべき台詞かもしれないと思えば、大量の油を吸った唐揚げから味という味がなくなり、急速に喉の渇きを覚えた。

 大学の講義はそれにしても全く面白くない、W大学はさっさと倒産しろという私の間抜けな呪詛に「マジか」「まあな」「わかる」「それな」とそれ以上に間抜けな相槌を打ちながら、佐藤は私たちの前を通り過ぎる有象無象の学生の集団から、ただの一秒でも話したことのある知り合い未満の知り合いがいないか相変わらず探しているようだった。私なんかより遥かに自分の友達として相応しい相手を血眼で探しているようだった。気づかれないとでも思っていたのだろうか。いや、無意識でやってるんだ、彼は。その無邪気さに目眩がする。携帯でも同じことをしているに違いない。適当に周りにハートをばら撒いているに違いない。

 ここから見える周りの人間も佐藤と同じことをしているのかもしれない。だからいつまで縦にスクロールしたってキラキラしたインスタの写真は途絶えることを知らず、フェイスブックにはBBQを囲むギラギラした笑顔が溢れ返り、ツイッターには自虐的な、あるいは自虐が公然とできる程度には恵まれた人生が溢れ返る。どれもこれもどこにも辿り着けないまま電子の屑となり、検索結果の遥か向こう側に消える。すべては繰り返す。

 男にも女にも好意にも私の絶望にも、個性なんてなくて当たり前だ。平安時代に死んだ人間がこの現代に蘇れば終わらない絵巻ができたと喜んだだろうか。すべては更新され、同じような出来事を繰り返す。私がいても、いなくても。

 一人暮らしをするとポルノ鑑賞及び自慰行為がやり放題だから最高で、自由とは、いついかなる時でも自慰行為ができ、性的絶頂に達し得るということだ、という持論の展開にも飽きた佐藤は、『マイルブローン』は買っとけよ、あれはおまえみたいな迷える子羊の聖書みたいなもんやから、といきなり真面目な顔をして語り出し、私はそれに曖昧に頷いた。大学の講義の内容や単位取得難易度、百千のサークルの情報一切がその一冊にまとめられているらしい。この忠告だけに飽き足らず「で、どこのサークルに入るつもりやねん」と彼が切り出すので「言わへん」「なんで」「言いたくない」と無益な問答を繰り返していたら「まあええけど早く決めや。やりたいことやらできることの前にやらなあかんことは山ほどあるし、自分から動かんかったらなんもないねんから。友達がいない奴から単位が取れない、卒業できない。それで脱落していくねんで」と、彼はこの私でも初めて納得できる真実らしい真実を言った。

 脱落、と口にする時、確かに佐藤は楽しそうに微笑んだのを私は鮮明に覚えている。

 どうしてこいつはこんなに要領が良いのだろう。推薦入学が決まる前からそうだった。私が東京に来たことに絶望していた十日間で、彼は完全に都内の私立大学の一年生になっていた。先ほどの蝿は、いつのまにかその背中から飛び去っていた。

「それにしても都会の絵の具に染まりやがったなおまえ」

「今度木綿のハンカチーフ買ってやるよ」

「世界に一つしか症例がない難病にでも罹って憤死でもしとけおまえは」

「K大学の医学部と合コンするのもありかもな」

「K大学に社会の格差と厳しさを叩き込まれてこい」

「はいはい。んじゃ、お疲れ」

「疲れてへんわ」

 私と別れ、十三時開始の講義に向かってキャンパスの中へと戻っていく佐藤が、南門の前に突っ立っていた別の茶髪の男と女の二人組に早速声を掛けている。思わず目線を外し、咄嗟に私は了解した。履修科目を決めるように、その日彼は誰とどこでなにをするかも決めていて、この私を呼び出したのは、単なる近況報告がしたかっただけではなく、そうする自分の正しさを確信したかったからだ。私以外の知り合いを、彼はもう無数に作っているに違いない。

 一人になることが嫌で嫌で仕方ない彼も、そんな彼の前でどんどん一人にならざるをえない私も、最初は同じだった。そして誰といたって一人になれるような普通の大人に、いつかなるし、なれるものだと信じていたはずだった。でも、そんな大人なんて、どこにもいないのだ。もしかしたら大人なんて抽象物は存在しないのかもしれない。

 四月の空、その青をもう一度見上げる。その狂暴な純度に殺されそうになる。

 純白な日差しを全身で反射する、これから何年も通うことになる校舎は聳え立つ廃墟に見え、肋骨がウエハースのように音を立てて軋んでいく気がした。

 誰からも好かれるような奴はたった一人ででもいいから私が嫌うしかないように思われた。

 冷めた白米と唐揚げを片手にそのまま呆けたように石段に身体を預けていると「あ、お一人ですか」とどこまでも爽やかな微笑を浮かべた、二年三年と思われる白シャツの男女が私に声を掛けてくる。きっとサークルの勧誘だろうと、緩みそうになる頰に力を入れながら「まあ」と返せば、男の方がそのまま次のようなことを語り出した。即ち「宇宙も君も僕も粒子で構成されていて、その粒子は常に振動している。この世には楽しいことしかないと思って動く粒子には、楽しそうに動く他の粒子が寄ってくる。この世に不幸しかないと思い込んでいたら不幸の粒子が向こう側からやってきてしまう。これは量子力学に基づいた引き寄せの法則である。人間の脳の五パーセントは意識で構成されているが、九五パーセントの無意識は宇宙と接続されている。我々はその宇宙と接続することで、自分の運命をコントロールし、未来を決定することができる。神様は存在しなくても宇宙は存在する。我々がこうしてここで出会ったのも無論運命である。もしこの話に興味があったら今夜十号館でやるセミナーに同席しろ」というのである。私はこの時、どんな表情をすればよかったのだろう。

 死にたいと思うのは、生きたいと願うからではない。

 どうにもならない何もかもを、ぶっ壊したいからだ。

 今すぐミサイルか、あるいは隕石が、東京に墜落してきて欲しいと私が望めばちゃんと墜落してくれるのだろうか。絶望する暇も逃走する暇も泣き叫ぶ暇も、何らの会話や回想や感傷に浸る暇もなく、それが、空の青を真っ二つに切り裂いて落下してくる光景を想像する。きっとそれは真夜中に墜ちてくるものではない。このようなだらしない真昼間に、神の悪戯のようにして墜ちてくるに違いない。時候の挨拶のような軽さで、東京を破滅させるに違いない。あるいはこうとも考えられる。私も教授も佐藤もこの男女も、神の悪戯の一環でこの地球上に落下させられた玩具で、玩具同士こうした仕様もない衝突を繰り広げるのを神は遥か上から見下ろし、紅茶を啜ってショートケーキにフォークでも突き刺しているのだ。

 が、たとえこの瞬間、隕石が墜ちてきたとしても、地下鉄は動く。コンビニも会社も、通常通り営業を続ける。すべては繰り返す。どこにも逃げ道はない。

 世界がどう始まろうが、どう終わろうが、私の本番は始まることもなく消滅するように思われた。そして隣に誰がいてもいなくても、私はきっと嘆き、怒り狂い、一人きりだった。

 宇宙に無意識で接続できる男と女に訊き出されるまま私たちは電話番号を交換した。

「行けたら行きます」と微笑みながら別れた一秒後、彼らの電話番号を着信拒否にした。

 携帯に通知が山ほど来ている。GUの割引セール。アマゾンのお勧めの商品。ゾゾタウンの古着入荷情報。未読のまま一件一件消去していると、唯一、人間からのLINEもあった。「学校楽しいか、ちゃんと行っとる? 友達できた?」「友達もできたし授業もおもろい」「よかった、なんかこっちから送ってほしいもんとかあるか」「ううん、大丈夫」「ほんまに?」「うん、ほんま」「ほんでバイトは見つかったん?」「なんとかなるし、なんとかするから、大丈夫やでお母さん、ほんまに」「そう。身体だけは気をつけや」というメッセージに「うん」と返して、会話を切り上げた。

<続きは本書でお楽しみください>

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映画『真夜中乙女戦争』
1月21日(金)全国ロードショー
原作:F『真夜中乙女戦争』(角川文庫) 脚本・監督・編集:二宮健 出演:永瀬廉、池田エライザ、柄本佑ほか 配給:KADOKAWA
東京で一人暮らしを始めた大学生の“私”(永瀬廉)は、やりたいことも将来の目標も見つからない中で、いつも東京タワーを眺めていた。そんなある日、「かくれんぼ同好会」で出会った不思議な魅力を放つ凛々しく聡明な“先輩”(池田エライザ)と、謎の男“黒服”(柄本佑)の存在によって、“私”の日常は一変。そして“私”は、壮大な“東京破壊計画=真夜中乙女戦争”に巻き込まれていく。

(C)2022『真夜中乙女戦争』製作委員会


公式サイト:https://movies.kadokawa.co.jp/mayonakaotomesenso/