ミステリー好きの高校生・香澄と幼なじみの夜月。ふたりは今晩の宿である「雪白館」へ向かうが…/密室黄金時代の殺人 雪の館と六つのトリック②

文芸・カルチャー

公開日:2022/3/4

第20回『このミステリーがすごい!』大賞・文庫グランプリ受賞作。鴨崎暖炉著の書籍『密室黄金時代の殺人 雪の館と六つのトリック 』から厳選して全5回連載でお届けします。今回は第2回です。三年前に起きた日本で最初の“密室殺人事件”。その判決を機に「どんなに疑わしい状況でも、現場が密室である限り無罪」が世間に浸透した結果、密室は流行り病のように社会に浸透した。そんななか、主人公の葛白香澄は幼馴染の夜月と一緒に、10年前に有名な「密室事件」が起きた雪白館を訪れる。当時は主催者の悪戯レベルだったが、今回はそのトリックを模倣した本物の殺人事件が起きてしまい――。あなたは、この雪白館の密室トリックを解くことができるか!? 雪白館へ到着した香澄と月夜は、メイドの迷路坂と支配人の詩葉井に出迎えられる。けっこうな広さのある雪白館は、この2人で切り盛りをしているという。宿泊する部屋を一通り物色した香澄がロビーへ向かうと、そこには他の宿泊客たちがいて…。

密室黄金時代の殺人 雪の館と六つのトリック
『密室黄金時代の殺人 雪の館と六つのトリック』(鴨崎暖炉/宝島社)

 タクシーを降りて一時間ほど歩くと、見えてきたのは橋だった。長さ五十メートルほどの木製の吊り橋。森を両断するように左右に深い谷が走っていて、その両端を繋ぎとめるように頼りなく木の橋が架かる。谷底までの深さは六十メートル程。両岸はどちらも切り立った崖のようで、人間が上り下りするのは、まず不可能に思われた。

 谷底を覗き込んだ夜月が、「うわっ」と声を上げる。

「これ、落ちたら確実に死んじゃうね」

 彼女は当たり前のことを言う。でも確かに落ちたら死ぬので、僕らはおっかなびっくり橋を渡った。橋を渡り終えて、そこからさらに五分ほど歩くと、未舗装の山道の向こうに白い塀が見えてきた。随分と高い塀だ。二十メートルほどはあるだろうか。

 塀の中央には門扉があった。開いているので、そこを潜る。門扉の傍には監視カメラがあって、そのレンズが来客である僕たちのことを捉えていた。

 そう─、来客だ。塀の中にあったのは庭で、その中央には目的のホテルが建つ。白色の塀よりも一際白い白亜の洋館。『雪白館』はその名の通り新雪の色の建物だった。

 塀に囲まれた庭は広く─、庭というよりも館の周囲の土地を壁で囲っただけという印象だった。庭木は少なく、地面も剥き出しの黒土で、花壇の類も見当たらない。

 館の玄関の前まで歩くと、そこでメイド服を着た金髪の女が煙草を吸っていた。年は二十歳くらいで、髪の毛は肩までの長さ─、地毛ではなく染めているようだ。かなりの美人ではあるが化粧っ気はなく、さばさばとした印象を受ける。メイドは僕たちの姿に気付くと、ポケットから携帯灰皿を取り出し、名残惜しそうに煙草を消した。

「予約されたお客様ですか?」

 メイドは素っ気ない口調で言った。「はい、予約した朝比奈です」と夜月は言う。メイドはこくりと頷いた。

「お待ちしておりました。中へどうぞ」

 メイドは、本当にお待ちしていたのか怪しくなるような口調で言った。全体的に愛想が足りない。いや、足りないのは愛想ではなく、やる気なのかもしれないが。

 玄関の戸を潜り、雪白館の中へ入る。玄関から延びた短い廊下を行きながら、メイドは思い出したように告げた。

「私はこのホテルでメイドをしております、迷路坂知佳と申します。何か御用がございましたら、何なりと申し付けください」

 彼女は、そう定型句のように言う。完全に業務口調なので、本当に申し付けて良いのか心配になってくる。

「迷路坂さんか」と夜月が呟くのが聞こえた。「メイドのメイロ坂さんか」どうやら、語呂合わせであるらしい。夜月は人の名前を憶える際に、語呂合わせをする癖がある。

 玄関から続く短い廊下を抜けると、そこにはロビーが広がっていた。元々は個人の邸宅だったとは思えないくらいに広く、中規模なホテルのロビーとサイズ的に遜色はない。ロビーにはテーブルとソファーがいくつか並べられていて、そこでは数人の客たちがコーヒーや紅茶を楽しんでいた。テーブルにはケーキの皿も置かれていて、どうやら喫茶店のように軽食のサービスもあるらしい。壁際には大きなテレビもあった。

 僕と夜月はまずはフロントでチェックインを済ませることにした。フロントにいたのは三十歳前後の女性で、髪型はショートカット。セーターの上から黒いエプロンを付けていて、どことなく喫茶店の店主のような印象を受ける。落ち着いた大人の女性だ。日常の謎を持ち込むと解決してくれる美人の女店主のよう。

 実際、彼女はこのホテルの支配人であるらしい。この館は、彼女とメイドの迷路坂さんの二人で切り盛りしているのだとか。

 彼女は詩葉井玲子と名乗った。「支配人のシハイさんか」間髪入れずに夜月が呟く。

 詩葉井さんは、柔らかな笑みを浮かべて言った。

「朝比奈様、葛白様、本日は雪白館にようこそいらっしゃいました。豊かな自然と美味しい料理─、そして推理作家の雪城白夜が残した密室の謎解きを。私たち雪白館のスタッフは、皆様を全力でおもてなしいたします」

 詩葉井さんはどこか照れくさそうにそんな口上を述べると、フロントに置かれたパソコンのキーを叩く。どうやら、部屋番号を確認したらしい。「宿泊場所は御二方とも西棟の二階になります。朝比奈様が204号室、葛白様が205号室ですね」

 そして一度フロントの奥の部屋に引っ込むと、二本の鍵を手に戻って来た。長さ十センチほどの銀色の鍵だ。すらりとしたデザインで、持ち手の部分に部屋番号が刻印されている。彼女は僕と夜月に一本ずつ、その鍵を手渡した。

 受け取った鍵を確かめていると、詩葉井さんは冗談めかして言う。

「無くさないでくださいね。合鍵はございませんので」

 言われて、僕はもう一度鍵を見る。鍵の先端はかなり複雑な形状をしていた。おそらく、複製は不可能だろう。

 僕は鍵をポケットにしまう。そして「205号室」と自分の部屋番号を呟いて、気になっていたことを詩葉井さんに訊ねた。

「あの、西棟というのは?」

 僕の部屋は西棟の205号室。でもこの館に来たのは初めてだし、外観もさっき少し眺めただけだから、正直この建物の構造がよくわかっていなかったりする。

「ちょうど、ここにパネルがございます」

 詩葉井さんはそう言って、フロントの後ろの壁に飾られたパネルを指差した。建物を俯瞰した図が描かれている。雪白館の見取り図のようだ。

「この雪白館は、四つの建物から構成されています」と詩葉井さんは言った。「まず私たちが今いる─、このロビーのある建物を中央棟と申します。中央棟は一階建てです。そして中央棟の東西には、それぞれ東棟と西棟が─、中央棟の北側には食堂棟がございます。食堂棟はその名の通り、食堂がある棟ですね。朝昼晩の食事はすべてここでお出しします」

 見取り図によれば、東棟と西棟と食堂棟(北棟)は、それぞれ扉や渡り廊下で中央棟のロビーと繋がっているが、逆に東西北の三つの建物はそれぞれ直接繋がってはおらず、各棟を移動する際には、必ず中央棟のロビーを通らなければならないようだった。例えば、西棟から東棟に移動する際には、必ずロビーを通る必要がある。

「その認識で合っております」と詩葉井さんは柔らかく笑う。「言わば中央棟が、他の三つの建物を繋ぐジョイントの役割を果たしているというわけですね。加えてこの雪白館には裏口の類が一切ございませんので。窓もすべて開閉が不可能な嵌め殺しか、格子が嵌まっていて人の出入りができないタイプの窓です。唯一庭に出ることができる経路は中央棟にある玄関のみですが、今申し上げました通り、この館には裏口の類はございませんから、庭を通って他の棟に移動することができない造りになっております」

「ふーん、不便ですね」と夜月が言った。「何で、そんな構造になっているんだろ」

「さぁ? 推理作家の考えることは私には」詩葉井さんは曖昧な笑みを浮かべた後で、見取り図を指差して続ける。「ちなみに、各棟を繋ぐ渡り廊下は屋根と壁に囲まれた構造です。吹き曝しではございませんので、そこから外に出ることもできません」

 詩葉井さんの言葉に僕は頷く。つまり渡り廊下とは言っても、実際は室内にある廊下と変わらないということだ。

 僕は見取り図を見て訊ねた。

「この建物は?」見取り図には、四つの棟の他にもう一つ建物があった。小さい建物で、西棟の北側からぴょこっと飛び出ている。渡り廊下で繋がっているようだ。

「ああ、これは離れです」と詩葉井さんは言った。「雪城白夜が執筆に使っていた部屋の一つです。通称、缶詰部屋。アイデア出しに困った際には、彼はここに籠って林檎を齧っていたそうです」

「何故、林檎を」と夜月。

「アガサ・クリスティーのエピソードにそういうのがあるんだよ」と僕は言った。お風呂に浸かりながら林檎を齧ると、いいアイデアが浮かんでくるというやつだ。そのエピソードを聞くたびに、ほんまかいなと思ってしまうが。

 とにかく、雪城白夜の缶詰部屋か。それはぜひとも見てみたいが。

「残念ながら、今は客室として使っておりますので、お見せすることはできません」と詩葉井さんは申し訳なさそうに言った。「今日もご予約が入っておりますので」

 なるほど、それは残念だ。ちなみに、離れも渡り廊下で繋がっているから、そこに移動するには西棟を経由する必要がある。

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