念願のアメリカ移住後の、夢のようなできごと/堀米雄斗『いままでとこれから』

スポーツ・科学

公開日:2022/4/13

東京2020オリンピックでスケートボード男子ストリート初代金メダリストとなった、プロスケートボーダーの堀米雄斗。『いままでとこれから』(KADOKAWA)は、ロサンゼルスで撮り下ろした練習風景やプライベート写真に加え、今までの生い立ちからスケートに対する想いを、本人が飾らない言葉で綴ったフォトエッセイ。
スケボーが大好きな下町生まれの少年は、どうやってアメリカでプロスケーターとなり、金メダリストになったのか?

※本稿は『いままでとこれから』(堀米雄斗/KADOKAWA)から一部抜粋・編集しました。

いままでとこれから
『いままでとこれから』(堀米雄斗/KADOKAWA)

待ちに待ったアメリカ移住

思っていたよりも孤独な新生活

高校でアメリカのデッキカンパニーのスポンサーがついたり、大会で結果を残せたりしたことで、アメリカへ移住する環境が整い、卒業後は予定通りアメリカへ移住することができた。場所は、憧れのプロスケーターが多く住んでいる街、ロサンゼルス。アメリカへ向かう出発の日は、行き慣れていたこともあって全然緊張はせず、とにかくワクワクしていた。最初はロサンゼルス市北部の街、バンナイズにあるミッキー・パパの家へ居候することに。リビングの端っこの3畳くらいに、マットレスを置いただけのスペースを間借りしてそこで生活をすることになった。まず大変だったのは食事。ご飯をどこで食べればいいのかわからず、毎食困った。少しして近所に〈デルタコ〉というファストフード店を見つけ、毎週火曜日は“タコチューズデー”で安くなるので、お金を節約するためによく通った。車もないので自分一人じゃ動けず、ミッキーがパークへ行くときについていき、一緒に滑っていた。最初はパークでスケーターに話しかけられても英語が話せず、もともと人見知りということもあって、家でもパークでも結構孤独な時間が多くて辛かった。でもそのうちとりあえず自分の名前を言って、何を話されても「OK」って答えていたら、「あいつ何もわからないのに、とりあえず“OK”って言うぞ」ってみんなにウケるようになった。それからは少しずつ友達もできるようになったし、孤独を感じてもスケボーができることが楽しかったので、日本に帰りたいと思うことはなかった。さらにアメリカのセクションやレールはサイズが大きく、パークの作りも日本とは違うので、アメリカサイズに慣れてくると新しいトリックを作ることができ、技のクオリティが高くなってきた。実はこの頃に覚えて、まだ出していないトリックもいくつかある。

いままでとこれから

憧れのストリートリーグ

スケートボードの世界最高峰のコンペティションといったら、やっぱり「ストリートリーグ(SLS)」(世界中のトッププロが集まる、スケートボードの最高峰の世界大会「STREET LEAGUE SKATEBOARDING」。通称「SLS」)で、小さい頃からずっと画面越しに見ていていつか出たいと夢見ていた。そんな憧れのSLS出場のチャンスが、移住後に思ったよりも早く訪れた。それはアメリカに移住してから初めて出たコンテスト、ブラジルのリオデジャネイロで4月に開かれた「Oi STU OPEN 2017」で優勝した後のできごとだった。ここで優勝したことで、SLSの創設者で元プロスケーター、TVの司会者としても有名な俳優のロブ・ディアデックの目に留まった。「この日本人、SLSに出したらおもしろいんじゃないか」と、ロブ・ディアデックが推してくれたことでSLSに招待され、5月下旬にスペイン・バルセロナで行われた「SLS プロオープン」に出場できることになった。戦ったのはSLSで20回以上優勝経験がある絶対王者のナイジャや、憧れのシェーン・オニール(アメリカ在住、オーストラリア出身のトッププロスケーター。チームライダーとして堀米が所属するデッキカンパニー〈APRIL SKATEBOARDS〉を立ち上げた人物)など数々のトッププロスケーター。ここで初めてナイジャとシェーンと競い、結果は1位のナイジャ、2位のシェーンに続きまさかの3位! 3位を獲れたことで、6月のミュンヘンで行われた「SLSワールドツアー」にも出場できることになり、そこではナイジャには負けたものの、2位を獲ることができた。しかしその後は予選落ちで、SLSリーグ戦での好成績を収めた上位8人が出場できる「SLS スーパークラウン」に出場することはできず、実力不足を実感。こうして2017年は満足する結果ではなかったけれど、移住してすぐに憧れのSLSに出場して結果を残せて、夢のような年になった。SLSはいままでの大会とはまったく違う緊張感があって、滑る前と技を決めた後の大歓声はどの大会よりも大きく、あのときの空気感は本当に忘れられない。そして2018年からは、もっと夢のようなできごとが続くことになる。

いままでとこれから

アジア人初のSLS優勝

SLSの初出場から1年後の2018年5月、「SLS プロオープン」ロンドン大会に出場した。この大会の前、3月に開催された「Tampa Pro」(四半世紀以上の歴史を誇る、スケートボード界では最も長いプロコンテスト。スケートパークの聖地、「Skatepark of Tampa」で毎年開催される)では10位という悔しい結果だったので、絶対に勝ちたいと思っていた大会だった。新しい技で攻めて決勝に進んだとき、難しい技が決まれば優勝が近づくけれど、失敗すれば優勝はできないという窮地に立たされた場面が訪れた。そのとき、怪我で欠場していたナイジャと、調子が悪く予選落ちしていたシェーンに呼ばれ、「確実に勝ちに行った方がいい」というアドバイスをもらった。本当は難しい新技で攻めようとしていたけれど、2人のアドバイス通り、確実に決まる技を選んだ。そしてそれが功を奏して、SLSでアジア人としては初めて、念願の優勝を果たすことができた。ずっとスマホでナイジャとシェーンの活躍を見ていた大会で、2人のアドバイスのおかげで優勝できて、さらにアジア人としても初ということが本当に嬉しかった。でも気持ち的にはまだまだトッププロを追う側。次は接戦ではなく、圧倒的な1位を獲れるようにしたいと思った。

いままでとこれから

アンドリュー・ニコラウスとの出会い

初優勝したSLSのロンドン大会で、僕の人生に欠かせない人、アンドリュー・ニコラウスに出会った。出会ったのは宿泊していたホテル。隣の部屋に、SLS出場者で顔見知りだったダショーン・ジョーダンとその彼女、そしてアンドリューが宿泊していた。アンドリューはスケーターでスケボーオタク。コーチのような立ち位置で、ダショーンをサポートするために一緒にロンドンに来ていた。夜アンドリューたちの笑い声がすごくうるさかったので、部屋同士が繫がっている内側のドアをめっちゃ叩いたら、あっちはもっと叫び始めて、なんだか楽しくなってそんなやり取りを続けていた。しばらくして、彼らと顔見知りではあったので「僕だよ、雄斗だよ」って言ったら、アンドリューが部屋に訪ねてきて、「ダショーンは彼女といるから、1日でもいいので泊めてほしい」とお願いされた。OKすると、1日どころかそれから毎日、5日間くらい僕の部屋でアンドリューは過ごし、トランプで大富豪を教えてあげたりいろいろ話をしたりした。当時英語はあんまり話せなかったけど、アンドリューは話が上手でおもしろくて優しく、頑張ってコミュニケーションを取ってくれた。

その後アメリカに戻ってしばらく経って、足を怪我したときに、たまたま連絡を取っていたアンドリューが「いい接骨院があるよ」と病院を紹介してくれた。それがきっかけでアンドリューの家に行くようになり、一緒に住んでいたダショーンとも仲良くなった。当時アンドリューはチノというところに住んでいて、僕が住んでいた家よりもたくさんのパークに行けて、有名なスケートパーク「ベリックス」にも行ける距離だったので、9月頃から一緒に住むことになった。毎日パークに行ってスケートしていたけど、ベリックスに通うには結構遠くて、少ししてからL.A.市内のエルモンテに、アンドリューとダショーンと引っ越すことになった。それからアンドリューにはマネージャーのような感じでサポートをお願いして、パークまで運転してもらったり、身の回りのことや生活の手助けをしてもらったりした。アンドリューは本当にスケボーが大好きなので、トリックのアイデアも提案してくれて、ずっと2人でスケボーの話ばかりしていたなぁ。僕にとってはスケーターの先輩兼アメリカのお父さんみたいな存在で、今は別々に住んでいるけれど、「インスタに載せた服、ダサくない?」とか、くだらないことでも頻繁に電話がかかってくる(笑)。

いままでとこれから

<続きは本書でお楽しみください>

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