自主性やハングリー精神を養い、心を強くする。そのために適切な環境とは?/心を鍛える

ビジネス

公開日:2022/4/19

 仕事や私生活にかかわらず何かと窮屈になった現代社会、不安やストレスに悩みを抱えながら生活している方は多いのではないでしょうか。

 今回ご紹介する書籍は、IT業界の盟友でもある、堀江貴文さんと藤田晋さんが自身のキャリア、生い立ち~未来のことまでを語り合う一冊です。ストレスがつきまとう現代に、大切なのは「頭の良さ」よりも「ハートの強さ」。心を鍛えるとはどういうことなのか?

 『心を鍛える』で、IT業界を牽引する2人の経験から、強く生きるヒントを学んでみませんか。

※本作品は堀江貴文、藤田晋著の『心を鍛える』から一部抜粋・編集しました

心を鍛える
『心を鍛える』(堀江貴文藤田晋/KADOKAWA)

「あらゆる渇望」が心を強くする

堀江貴文

堀江貴文

 20年来のつきあいになる藤田さんから、共著の声をかけていただいた。まさかのオファーだったが、万感の思いを噛みしめている。

 思えば、藤田さんとの出会いのときも、「1週間足らずで、クリック型の広告を表示させるシステムを新規に作る」という、とんでもないムチャ振りだった。

 いい意味での「腐れ縁」的な関係が、濃淡はあれども連綿と続いてきた事実に、今さらながら驚いている。

 

 最初に内輪話を暴露しておこう。

 今回、「新しく本を出す」ということで、ベテランのカメラマンに撮影をしてもらった。とはいえ、50代を目前にした男2人が、恥ずかしげもなく向かい合い、ポーズを取る……。あなたには、その〝照れ臭さ〟がおわかりだろうか。

 僕が今まで出してきた50冊以上の本の中で、これほど「やりにくかった表紙撮影」はない。そこまでした本なのだから、あなたにはぜひ最後まで読み進めていただきたい。決して損はさせないことを、お約束しよう。

 そもそも本書を手に取ってくれたあなたは、僕というよりはむしろ、藤田さんのほうに強い興味があるのではないか。だから〝藤田さんの経営者としてすごい点〟や〝人として素敵な点〟を僕の知る限り、お伝えしていこうと思う(笑)。

 

 実際、僕は藤田さんの経営手腕、マネジメント能力に日頃から舌を巻き続けている。

 企業を創り上げただけではない。存続させ、拡大させ、常に新しいサービスや価値を世の中に発信し続けているその姿勢は、驚嘆に値する。

 具体的に言うと、「ABEMA」というスマホ時代の新たなプラットフォームを成長させてきた一方で、「CA Tech Kids」(小学生向けプログラミング教育事業)や「Makuake」(クラウドファンディングサービス)など、社会貢献度の高い事業も多く手がけている。公営競技の投票サービス「WINTICKET」にも挑戦している。

 また、2021年に発表されたサイバーエージェントのパーパス(存在意義を明文化したもの)には共感しかない。

「新しい力とインターネットで日本の閉塞感を打破する」(同社・パーパスより)

 

 このメッセージは、未来志向であると同時に、普遍的な価値を持っていると思う。

 もし、「インターネットと初めて出会った大学生の僕」が見せられたとしたら、強く賛同しただろう。そして、タイムマシンがあるならば「パソコンと初めて出会った中学生の僕」にも、このパーパスを伝えたい。そして、こう耳打ちしてやりたい。「その画面の先には、輝かしい未来が広がっているから安心しろ」

 インターネットと出会う前の僕は、それほど退屈で、孤独だったのだ。

 

 そろそろ、僕の生い立ちをお話ししていこう。多くの著書で明らかにしてきたことだから、ご存じの方も多いだろうが、おつきあい願いたい。

「すでに何度も読んだ」という方は、幼少期から僕が抱き続けてきた孤独感や閉塞感に、思いを馳せてみてほしい。「楽しく生きていくには、こりゃ、心を強くするしかない」という外的な要因のオンパレードなのである。

 1972年10月29日、僕は福岡県八女市の片田舎に生まれた。両親と父方の祖母との4人暮らしで、父親は典型的なサラリーマン。高校卒業後、地元のトラック販売会社に就職した人だ。趣味は野球観戦。休日には遊園地などにも連れていってくれる、なんの変哲もない普通の父親だった。

 とはいえ、「父と過ごして楽しかった」「父と気持ちが通じ合った」というような瞬間は、あまり記憶にない。

 野球で巨人が負けると機嫌が悪くなり、肩をもむよう命じられたとき。それをイヤがって反論すると、「せからしか!」(「やかましい」という意味の福岡の言葉)と平手打ちされたり、庭の木に縛りつけられたり……。マイナスの思い出のほうが多い。

 

 また、母親の厳しさは父親以上のレベルだった。

 僕が物心ついたときから、受付事務や経理など、勤め先をいくつか変えながら働き続けていた〝ワーキングマザー〟だったが、激しい性格の人で、独断で物事を決めたり進めたりするようなところがあった。

 たとえば小学1年生のとき。放課後に突然、柔道の道場に連れていかれ、好きでもないのに週3日通うことを強制されたのは、特につらい思い出だ。柔道がイヤすぎて練習をサボったときには、家から閉め出されたことすらあった(そのときは深夜営業をしている喫茶店のドアの前でうずくまっているところを、店にいた大学生が運良く見つけてくれて、家の中に入れるよう母親を説得してくれた)。

 

 実の親をディスりたいわけではないのだが、僕は両親に対して「同居人」という感覚しか持てなかった。正直に言うと、寂しかった。家族の温かさに飢えていた。

 衣食住こそ満たされてはいたけれど、大きな楽しさや喜びを周囲から与えてもらったことがほとんどない。そんな幼少期を僕は過ごした。

 しかし今にして思うと、そんな境遇は両親からの最高のギフトだったかもしれない。

「他人に期待をしすぎない」「欲しいものを獲得するために自発的に動く」という姿勢が、否応なく育まれた気がするからだ。

 

 さらに言うと、日々のつまらなさに拍車をかけたのが「文化や遊びの欠落」だ。

 当時の僕の家は八女市の山間部にあり、住宅はまばら。友達の家に遊びに行くにも徒歩で最低30分はかかる。近隣に店や文化的な施設があるわけもない。

 家の中も、文化の香りとは無縁だった。まともな本棚もない中、読み応えのある本といえば百科事典くらい。小学生だった僕は、それを耽読した。

 面白いことなど何もない家の中で、百科事典だけが知的欲求を満たしてくれる、ただ1つの扉だった。つまり当時の僕は、外界の情報を貪欲すぎるほど追い求めていた。

 皮肉な話だが、クソつまらない家だったからこそ、僕のハングリーさが必然的に育まれたのかもしれない。心を鍛えるためには、「適度に不足気味くらいの環境」が、もしかすると良いのかもしれない。

 もちろん「我が子は、文化的に恵まれた環境で、デジタルネイティブに育てたい」という親御さんも多いだろう。しかし僕は「〝飢えまくる状況〟こそ、自らつかみ取りに行く強さを養う」、そんな真理がある気がしてならないのだ。

 

 もし、あなたが子育て中だったり、お子さんを持つ予定があったりするならば、将来の「お金」のことを心配しすぎないほうがいい。それよりも「与えすぎずに育てて、自主性やハングリー精神を養い、心を強くすること」をおすすめしたい。

<第3回に続く>


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