隣の寺に住み着いていた猫のぴーちゃん。いつものように会いに行くと?/片岡健太(sumika)『凡者の合奏』

文芸・カルチャー

更新日:2022/7/20

 あなたは、身近にいる人との縁や繋がりのきっかけを考えたことはありますか?

 今回ご紹介する書籍は、人気バンドsumikaの片岡健太さんと、彼と関わる人々との記録を綴った人間賛歌エッセイ『凡者の合奏』。

 多くの絶望や数々の挫折を経験してきたなかでも、それ以上に人との関わりに救われた片岡さん。

「さまざまな人にとっての“sumika(住処)”のような場所になって欲しい」バンド名の由来にもあるように、sumikaの音楽はとにかく優しく、人への愛にあふれている。

 彼が織り成す、そっと背中を押してくれるような優しい言葉の源とは――?

「特別な才能があるわけじゃない」「1人では何もできない」「昔も今も常にあがいている」、凡者・片岡健太さんのすべてをさらけ出した一冊。オール本人書き下ろしに加えて、故郷の川崎市や思い出の地を巡った撮り下ろし写真も多数収録。また、『凡者の合奏』未収録写真を、ダ・ヴィンチWebにて特別公開いたします!

 家の隣のお寺に住み着いている、猫のぴーちゃんに毎日会いに行くようになって1年。いつものようにお寺へ行くと、ぴーちゃんは何やら苦しそうで…。

※本作品は片岡健太著の書籍『凡者の合奏』から一部抜粋・編集しました

凡者の合奏
『凡者の合奏』(片岡健太/KADOKAWA)

凡者の合奏
写真=ヤオタケシ

猫の恩返し

 小学校低学年の頃、僕は胃腸が弱かった。

 4時間目まではピンピンしているのに、給食を食べた後の5、6時間目には、お腹が痛くてうずくまってしまう。週平均で約4日間は、そんな調子であった。

 僕が通っていた小学校では、男子トイレの個室に鍵がかかっていると、その場に居ない人を探り当て、推理していくという魔女狩りのごとき習慣があった。バレたときには、「お前がうんこマンだろ!」と大声でアナウンスされ、2代目うんこマンが決まるまでは、任期を全うしなければならない。特に仕事はないのだが。

 話を戻そう。僕は学校が終わったら、一刻も早く家のトイレに行きたかった。放課後の学校に残り友だちと遊ぶという選択肢はなく、なるべく胃腸に刺激を与えないように、速やかに帰宅するのを日課としていた。用を足してしまえば、その後は膨大に暇を持て余していたので、僕は毎日、家の隣の寺に出かけた。

 寺には1匹の猫が住み着いていた。グレーに茶色の縞模様が入ったその猫は「ぴー」という珍しい声で鳴いたために、僕は勝手に〝ぴーちゃん〟と呼んでいた。前世が鳥だったのだろうか。ぴーちゃんは、猫のツンデレなパブリックイメージとは違い、デレ9割・ツン1割ぐらいの、大変人懐っこい猫であった。いつ行っても身体をすり寄せてくれて、肉球を全開にして僕の前で眠るほどだ。

 言葉責めで魔女狩りをしてくるような小学校の同級生よりも、言葉が通じないぴーちゃんと一緒にいるほうが、余程優しい気持ちになれた。そんなぴーちゃんに会いに行くようになって、1年の歳月が流れた。

 いつものように寺に行くと、ぴーちゃんが外で、寺の和尚さんを含め周囲に対して激しく威嚇していた。恐る恐る近付いてみると、ぴーちゃんは僕に対しては威嚇をすることなく、近くに行くのを許してくれた。間近で様子を見てみると、ぴーちゃんは何やら苦しそうだった。どうすれば良いか分からず慌てふためいていると、僕の目の前で、突然子猫が生まれた。僕は驚いて、少しだけぴーちゃんと距離を取った。とても小さく、弱々しい子猫を守るように、ぴーちゃんは出産後も周囲を威嚇し続けた。和尚さんの母親が、その後の様子を見守るということになり、夜になって僕は家に帰った。

『凡者の合奏』を楽天Kobo(電子)で読む >

『凡者の合奏』をAmazon(電子)で読む >


あわせて読みたい