苦しい自分の人生を変えたい。でもどうすれば? 幸せに生きるための指南書『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』

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公開日:2022/4/21

 ロングセラーや話題の1冊の「読みどころ」は? ダ・ヴィンチWeb編集部がセレクトした『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』(岸見一郎、古賀史健/ダイヤモンド社)をご紹介します。

嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え
『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』(岸見一郎、古賀史健/ダイヤモンド社)

こんな人にオススメ

・人生に幸せが感じられなくて苦しい思いをしている人
・家族や友人、恋人との関係に悩んでいる人
・人生の目的や意味がわからない人

3つのポイント

・人生は「いま、ここ」からすぐに変えることができる
・すべての悩みは対人関係の悩みである
・幸福とは、貢献感である

<プロフィール>
岸見一郎(きしみ・いちろう)
1956年生まれ。哲学者。京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。専門の西洋古代哲学、とくにプラトン哲学と並行して、1989年からアドラー心理学を研究。日本アドラー心理学会認定カウンセラー・顧問。『アドラー心理学入門』など著書多数。

古賀史健(こが・ふみたけ)
1973年生まれ。ライター/編集者。1998年、出版社勤務を経てフリーに。書籍のライティングを専門として、多彩な分野で数多くのベストセラーを手掛ける。本書以外の著書に『取材・執筆・推敲』『20歳の自分に受けさせたい文章講義』などがある。

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 本書では、アドラー心理学に基づいて「人は変われる、世界はシンプルである、誰もが幸福になれる」と主張する哲人と、人生に悩む青年の対話が、全編にわたって繰り広げられる。青年は幼い頃から劣等感が強く、他者の目線を気にして、他者の幸福を心から祝福できず、いつも自己嫌悪に陥っていた。そんな青年にとって、哲人の主張は絵空事の理想論にしか思えなかったのだ。

第一夜 トラウマを否定せよ

哲人 つまり、ご友人には「外に出ない」という目的が先にあって、その目的を達成する手段として、不安や恐怖といった感情をこしらえているのです。アドラー心理学では、これを「目的論」と呼びます。
青年 ご冗談を! 不安や恐怖をこしらえた、ですって? じゃあ先生、あなたはわたしの友人が仮病を使っているとでもいうのですか?

 青年はひきこもりの友人を例に出し、人は自分を変えたいと思っていても過去のトラウマ体験などが不安や恐怖になって変わることができないと主張する。哲人はそれを「原因論」だとして否定。その友人は外に出ないという目的が先にあって、その目的を達成する手段として不安や恐怖をつくり出しているとする「目的論」を唱える。さらに、青年が自分のことを不幸だと感じているのは、自ら「不幸であること」を選んでいるからだと指摘する。自分を変えようとしないのは、そのままでいるほうが楽であり、安心であるからだ、と。

 哲人は言う。自分の性格を変えることは、難しく感じるかもしれない。しかし、自分の「ライフスタイル」については、いつでも変えることができる。ここでのライフスタイルとは、世界の見方であり、自分という人間の捉え方だ。哲人は続ける。自分の人生を決めるのは「いま、ここ」に生きるあなたなのだ。「勇気」を持って、ライフスタイルを選び直すのだ。

第二夜 すべての悩みは対人関係

哲人 何度でもくり返しましょう。「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」。これはアドラー心理学の根底に流れる概念です。もし、この世界から対人関係がなくなってしまえば、それこそ宇宙のなかにただひとりで、他者がいなくなってしまえば、あらゆる悩みも消え去ってしまうでしょう。
青年 噓だ! そんなものは学者の詭弁にすぎません!

 青年は、自分のことが嫌いだと言う。それに対して哲人は、青年の「目的」は「他者との関係のなかで傷つかないこと」だとし、自分を嫌い、自分の殻に閉じこもることによって対人関係での傷を避けているのだと喝破する。そして「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」という心理学者アドラーの言葉を紹介。人を苦しめる劣等コンプレックスは、他者との比較の中で生まれるが、それは「客観的な事実」ではなく「主観的な解釈」にすぎない。他者との比較、競争ではなく、今の自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があるというのが哲人の主張だ。

 ここでアドラー心理学の行動面と心理面のあり方についての目標を紹介する。

行動面の目標
①自立すること
②社会と調和して暮らせること

行動を支える心理面の目標
①わたしには能力がある、という意識
②人々はわたしの仲間である、という意識

 これらの目標は対人関係を軸にした「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」を乗り越えることで達成される。仕事関係、友人関係、そして恋愛、家族関係において、逃げずに向き合うことが必要だ、と哲人はいう。しかし、青年はこの話をすべて精神論にすぎない、具体的にどうすればいいのだと声を上げるのであった。

第三夜 他者の課題を切り捨てる

哲人 あなたは他者の期待を満たすために生きているのではないし、わたしも他者の期待を満たすために生きているのではない。他者の期待など、満たす必要はないのです。
青年 い、いや、それはあまりにも身勝手な議論です! 自分のことだけを考えて独善的に生きろとおっしゃるのですか?

 哲人は、「他者からの承認」を得ようとする心を否定する。人間は、他者の期待を満たすために生きているのではない。そして自分と他者の間に境界線を引く手法として、「課題の分離」という考え方を披露する。対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むか、自分の課題に土足で踏み込まれることで引き起こされる。だから「これは誰の課題なのか?」を真剣に考え、自分の課題には誰も介入させず、他者の課題には自分も介入しないようにすればいいと。

 納得のいかない青年に対し、哲人は具体例を挙げる。青年の両親は、彼の就職先に反対していた。しかし、その「認めない」という感情に折り合いをつけるのは「親の課題」であって、青年の課題ではない。青年にできることは「自分の信じる最善の道を選ぶ」ことだけであり、他者の課題は切り捨てていいのだ。この「課題の分離」が対人関係の入り口となる。他者から嫌われることを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払ってこそ、自由な生き方を貫くことができる。つまり、「自由とは、他者から嫌われること」なのだ。嫌われることを怖れてはいけないのだ。

第四夜 世界の中心はどこにあるか

青年 子ども時代のわたしがどれだけ親からほめてもらいたかったことか! 大人になってからも同じです。上司からほめられれば、誰だってうれしく思う。これは理屈を抜きにした、本能的な感情です!
哲人 誰かにほめられたいと願うこと。あるいは逆に、他者をほめてやろうとすること。これは対人関係全般を「縦の関係」としてとらえている証拠です。アドラー心理学ではあらゆる「縦の関係」を否定し、すべての対人関係を「横の関係」とすることを提唱しています。

 哲人によると、対人関係のゴールは「共同体感覚」だという。共同体感覚とは「他者を仲間だと見なし、そこに“自分の居場所がある”と感じられること」である。このときの共同体は範囲を限定するものではない。家族、学校、会社、地域社会、国といった枠組みを超えて、常により大きなつながりを指す。物事に迷ったときには、目の前の小さな共同体にこだわるのではなく、より大きな共同体の声に耳を傾ければいい。たとえば、職場でトラブルが発生した際には、「職場」という共同体ではなく、「人間社会」というより大きな共同体の単位で自分の進むべき道を考える。理不尽な要求を突きつけられたら、正面から異を唱えてかまわない。それで関係が崩れてしまう程度の関係なら最初から必要ない。それを怖れて生きるのは、他者のために生きる不自由な生き方だ、と哲人は語るのだった。

 では、どうすれば「共同体感覚」へと進めるのか。青年の問いに対して哲人は、あらゆる他者と「横の関係」を築くことだと答える。たとえば親が子どもをほめる。上司が部下を叱る。これは対人関係を「縦」の軸で考えている証拠であり、縦の関係を前提にしているからこそ、他者の課題に介入してしまう。ほめるのではなく、叱るのでもなく、純粋な感謝の言葉を伝えること。感謝の言葉を聞いたとき、人は自分が他者に貢献できたことを知り、自分に価値があると思える。そして、人は、自分に価値があると思えたときにだけ、勇気を持てるのだ。さらに哲人は続ける。人は「わたしは共同体にとって有益なのだ」と思えたときこそ、自らの価値が実感できるのだ。

第五夜 「いま、ここ」を真剣に生きる

哲人 人生における最大の噓、それは「いま、ここ」を生きないことです。過去を見て、未来を見て、人生全体にうすらぼんやりとした光を当てて、なにか見えたつもりになることです。あなたはこれまで、「いま、ここ」から目を背け、ありもしない過去と未来ばかりに光を当ててこられた。自分の人生に、かけがえのない刹那に、大いなる噓をついてこられた。
青年 ……ああ!

 哲人は言う。人間は、なにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかが大切なのだ。そのためには、「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極めることだ。変えられないものに執着するのではなく、変えられるものだけに集中する。変えられるものを変える勇気を持つ。そして対人関係の基礎に「信頼」を置き、自分が他者になにをできるかを考え、実践する。このプロセスによって、人生の目標でもある共同体感覚を掴むことができる。哲人曰く、「幸福とは、貢献感」なのだ。

 だから人間は「特別な存在」である必要などない。「普通であることの勇気」を持とう。人生とは連続する刹那であり、「いま、ここ」を真剣かつ丁寧に生きることによってしか幸福を得られない。

 世界は、他の誰かが変えてくれるものではなく、ただ「わたし」によってしか変わりえない。そして世界は、また人生は、「いま、ここ」で変えることができるのだ。

文=橋富政彦

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