「母は毒親であり、毒親でなかった」殺したいほど憎んだ母親を許せるようになりました

暮らし

2018/5/13

『ワタシの母は、毒親でした。』(加藤なほ/ギャラクシーブックス)

近ごろは「毒親」という言葉が一般的に使われるようになり、自分の親は毒親だと自覚している子どもも多い。しかし、果たして自分の親は本当に毒親として当てはまるのだろうかと考えさせてくれるのが『ワタシの母は、毒親でした。』(加藤なほ/ギャラクシーブックス)だ。本書には6年もの月日を経て、親子関係を取り戻していく加藤氏の姿が描かれている。

 毒親をモチーフにした本は数多く発売されているが、他の毒親本と本書の違いは、加藤氏が自身の心と向き合ううちに、憎んでいた母親のことを「毒親であり、毒親でなかった」と思えるようになったところにある。

 母親という存在は、娘の目に完璧な人間であるかのように映ってしまうことも多いが、母親だって不完全な人間だ。保育士のような育児のスペシャリストでもないため、時には自分の子どもに対して適切ではない行動で愛を示してしまうこともある。しかし、娘はこうした母親のミスを許せず、「お母さんなのだから、もっと○○してほしかった」と求めてしまう。

 そして、母のほうも娘に対し、自分なりの理想像を抱いてしまうため、違う道に娘が進むと、無理な要求をしてしまうことがある。こうした理想像の食い違いは親子の溝を生み出す原因にもなる。実際に加藤氏も生きづらさのもとを生み出した母親を殺したいほど憎んでいたそうだ。

わたしは母を、私の理想の母という枠に押し込めていただけで、母も1人の女性であり人間。わたしの理想のとおりになるのは、難しかっただけだということ。同じように、母はわたしを理想の娘に育て上げようとしたということ。

 本書内のこの言葉には「母は毒親であり毒親ではなく、わたしは毒娘であり、毒娘ではない」という加藤氏の強い想いや、母への許しが込められている。

 幼少期に苦痛に感じる行為を受けると、親のことを毒親だと思いたくなる。しかし、親も、毒親になりたくてなっているわけではないのかもしれない。心に傷を与えた相手を許すには膨大なエネルギーがいる。だからこそ、自分の心を守りながら、大人の視点で毒親のことを考えていく勇気も必要なのかもしれない。

■インナーチャイルドを癒せるのは自分だけ

 毒親によって幼少期に深い傷を負わせられると、生きづらさを抱え、アダルトチルドレンになってしまうケースも多い。アダルトチルドレンとは、虐待を行う親を持っていたり、アルコール依存症のような家庭問題を抱える家で育ったりして、心に大きなトラウマが残っている人のことを指す。こうした家庭は機能不全家庭とも呼ばれ、アダルトチルドレンは成長しても対人関係が苦手であったり、完璧主義であったりすることが多いとされている。

 実際に加藤氏も周りの友達にうまく馴染めなかったり、DVをする彼氏と共依存状態に陥ってしまったりして、人生に絶望していた。そんな加藤氏に救いの手を差し伸べたのが、名古屋でセラピストとして活躍している阪東朝康氏だった。加藤氏は阪東氏の力を借りながら、自分の中で傷ついたままになっていた幼少期の自分(インナーチャイルド)と向き合うことができ、自信をつけられるようになっていった。

 アダルトチルドレンは、親の期待に合わない自分自身を無意識のうちに何度も排除しながら生きてきている。そのため、自己評価の基準が他人の手にゆだねられており、いくら頑張っても自分で自分を褒めたり認めてあげたりすることができない。しかし、こうした想いを抱えながら生き抜いてきた自分自身は、もう十分頑張ってきたのだということを胸に留めておいてほしい。一生懸命生き抜いてきた過去があるのだから、親からダメという烙印を押された幼少期の自分を愛してあげてもいいのだ。人はみな、幸せになるために生まれてきたはず。それは心の中で泣いたままのインナーチャイルドにもいえることなのではないだろうか。

 毒親に自身を否定され続けると、自分には価値がないように思えてしまう。しかし、自分の幸せは自分のものさしで決めていけばよい。完璧な人生や他人のための人生を望んでしまう方はぜひ本書をきっかけに、自分が幸せに笑える道を探してみてほしい。

文=古川諭香