飼い主を最期の時まで信じながら、ガス室で死んでいく犬たちの現実

社会

公開日:2016/7/8


『犬たちをおくる日——この命、灰になるために生まれてきたんじゃない』(今西乃子/金の星社)

 本書を読みながら、何度も泣いた。涙ぐむのではなく、子どものように涙を流した。人を疑うことを知らない犬たちのまっすぐな瞳と、それをおもちゃのように扱い、ゴミのように捨てていく感情の壊れた人間たちのコントラストが凄まじく、激しく心を揺さぶられた。

 ペットを飼うとは、どういうことか。ただかわいく、何となく側に置いて楽しむおもちゃだと思ってはいないか。自分の都合を中心に据えるのではなく、「ペットの幸せ」を優先して考えられているか。――そんな、当たり前なのに見落としがちな「ペットと人との関係」について、深くリアルにえぐった本が『犬たちをおくる日——この命、灰になるために生まれてきたんじゃない』(今西乃子/金の星社)だ。愛媛県動物愛護センターで働く職員の毎日の業務を中心に描きながら、その中でペットたちの命がどのように人間に扱われ、人はペットの命とどう向き合うべきかをまっすぐに読者に訴えかける本である。

 愛媛県動物愛護センター。県内の野犬や飼えなくなった犬・ネコ、保護された子犬、子猫などがここへ集められる。譲渡会により飼い主が見つからなかった命は、全てここで殺処分されることになる。獣医師の資格を持ちながら、殺すことを仕事にしなければならない職員。動物たちの最期がせめて安らかであるよう、黙々と収容室の床を磨き上げる職員。週に2回、殺処分のために処分機へ誘導された犬たちへ向けてガス注入ボタンを押し、その命が消える瞬間をモニターで見つめる。どんな作業も、ボタンひとつで終わる。

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 飼育放棄をしてセンターにペットを連れて来る人間の理由はどれも勝手極まりない。世話ができない、しつけができない、飽きた、バカだから――。そして、これまで飼ってきた犬をゴミのように収容室へ放り込んでいく。ある親子は、一度捨てた犬と記念写真を撮るためだけにセンターへやって来て、悲しそうな犬に明るく手を振りながら帰っていく。犬たちは、それでも飼い主が再び自分を迎えに来てくれると信じている。ガス室で息絶えるその瞬間まで。

 犬たちが、最期の時まで飼い主を信じていることは、掲載された多数の犬たちの写真を見ればよくわかる。その瞳はどれもまっすぐに澄み、曇りなく輝いている。疑うことを知らない瞳だ。殺処分された犬たちの顔も、恨みに歪んだものではないという。それはまるで、最期の時まで信じることが苦しまない方法だと知っているかのようだ。本書には、殺処分されていく犬たちの様子も包み隠さずリアルに描写される。軽い気持ちで飼い、無責任に捨てていく人間の罪がどれだけ深いものかを思わずにはいられない。

 愛媛県動物愛護センターでは、捨てられるペットを減らすための啓発活動を県民に向けて行っている。センターの業務内容をオープンにし、譲渡会では殺処分される犬たちの様子をビデオで参加者へ見せる。また、ペットのしつけなどの相談に応じ、避妊・去勢手術の重要性を広めるなど、職員のさまざまな努力により、処分される犬の頭数は減少しつつあるという。

 ペットショップに並ぶ可愛い子犬や子猫達。あくまで表面的に、可愛いペットと暮らしてみませんか?という明るい空気で満たされている。しかし、ペットショップをこのひたすら明るい空気で満たすことは間違いだ。愛護センターが譲渡会でビデオを見せるように、飼えなくなったペットがどんな最期を迎えるのかを、人間は飼い始める前に知っていなくてはならない。必要とされない命がどう扱われるのか、よく理解してからでなければ、命を預かってはいけないのだ。

 ペットを飼うとはどういうことか。命を幸せにするとはどういうことか。――そんなことを、深く痛切に感じさせてくれる一冊である。

文=あおい