歴史的な大義名分ではなく、惚れた女のために命を懸ける『夜汐』東山彰良インタビュー

新刊著者インタビュー

2018/12/7

 台湾を舞台にした青春小説『流』で直木賞を受賞しブレイクした、東山彰良。最新長編『夜汐』は、自身初となる歴史モノだ。

著者 東山彰良さん

東山彰良
ひがしやま・あきら●1968年台湾生まれ。2003年、第1回「このミステリーがすごい!」大賞銀賞・読者賞を受賞した『逃亡作法 TURD ON THE RUN』でデビュー。15年、『流』で第153回直木賞を受賞。16年、『罪の終わり』で第11回中央公論文芸賞受賞。17年、『僕が殺した人と僕を殺した人』で第69回読売文学賞を含む3賞を受賞。

 

「新しい版元さんと組む初めての仕事だったので、冒険がしたかったんです。模索した結果、過去の日本を舞台にした小説は今まで書いたことがなかったぞ、と。僕は西部劇が好きなんですが、西部劇って時代の変わり目を描くことが多いんですよ。昔は当たり前だった価値観が新しい時代の到来によって淘汰されていく、“時代の変わり目の悲しみ”を描くジャンルだと思っている。その考え方を日本の歴史に当てはめてみたら、明治維新直前の幕末という時代が浮かんできたんです」

 時は文久3年、蕎麦屋の曲三親分のところで世話になっている亀吉が、品川の長屋でひっそり開いた花会(賭場)で物語は幕を開ける。どこで情報が漏れたのか、ガキどもが殴り込み、その場にあった500両をかっさらっていった。裏で糸を引いていたのは、甲州に名を轟かす祐天仙之助一家の下っ端やくざ、蓮八だ。怒り心頭の曲三親分が、蓮八のために雇った殺し屋の名は、夜汐。その男はまるで夜の汐のようにひっそりと標的に忍び寄り、仕事を終えるといつの間にか消えている……。

「殺し屋を書いてみたくなったのは、『ジャッキー・コーガン』という小説(ジョージ・V・ヒギンズ)がきっかけです。映画ではブラッド・ピットが演じていた、殺し屋の造形が冷酷無比でかっこよかった。そこに悪魔のイメージを加えたのは、僕が昔から好きな音楽、ブルースの影響ですね。ブルースってアフリカからアメリカに連れてこられた黒人たちの労働歌が発祥なんですが、“悪魔と取引をしてでも今の現状を変えたい”という心情を吐露するような音楽なんですよ。殺し屋に悪魔の顔を持たせることで、“自分の命と、掛け替えのないものとの取引”という要素を取り入れられるんじゃないかと思ったんです」

 登場人物たちは時に夢の中で、時にオオカミの姿をした夜汐と、会話を交わし命の猶予を交渉する。現実と空想の境目が混じり合うマジックリアリズム的な手法は、他の歴史小説にはない魅力を放つ。歴史小説を専門にしていないからこその、自由闊達な発想が本作の魅力なのだ。

「小説にやくざもいっぱい出したんですが、頭の中で思い描いていたのは『ゴッドファーザー』に代表されるイタリアン・マフィアでした。だからみんな冗舌なんですよ、中身はイタリア人だから(笑)」
 

惚れた女のためならば悪魔に命を差し出せる

 一方で、「幕末と言えば?」という読者の期待にも応えてくれる。新選組の存在だ。近藤勇、土方歳三、沖田総司、山南敬助……。本作には、著名な志士たちが大挙登場する。

「編集者に『幕末なら新選組が出てきますよね!』と言われて、そこから勉強を始めたんです(笑)。資料を読んでいて引っ掛かったのが、新選組は結成当初、モラトリアムの時期があるんですね。有名な池田屋事件くらいからは斬り合いが激しくなっていくんだけど、そこに至るまでにはほぼ何も活動せず、だらだらと酒を飲んで暴れているだけの時期があった。この時期ならば、歴史の大きな流れを変えずに、自分の好きなことが書けるんじゃないか、と。まるっきりフィクションの人物を、歴史の隙間に1人ぐらい潜り込ませられるんじゃないかなと思ったんです」

 それが、蓮八だ。江戸で事件を起こした蓮八は、将軍護衛のため京都に滞在している新選組の根城に潜り込む。無邪気で屈託がない沖田に気に入られ、バカ話を交わす仲となるが、やがて新選組の重大な戒律を破ってしまう。脱走だ。何故そんなことをしたのか? 愛した女ともう一度、会うためだ。かくして野を越え山を越えて東へと向かう、過酷な徒歩の旅が始まる。実は本作、中盤はロード・ノベルなのだ。

「蓮八が夜汐に付け狙われ、新選組に追われながらも、女の暮らす江戸へと向かっていく道のりは、この小説の見せ場だと思っていました。地図を開いてざっくりルートを決めて、グーグルマップで山道の画像を調べたりしながら、蓮八と一緒に旅をしていった感覚ですね。僕が今まで書いてきた作品も、主人公が移動していくことが多いんですよ。一つの場所から別の場所に行けば、誰かに出会ったり、不思議な出来事に遭遇したりする。移動によって葛藤が生じ、葛藤によってその人が磨かれていく。旅のつれづれにいろんなことがあって、出発前には思いもよらなかった何かを悟っていく。そういう物語が、個人的に好みなんです」

 だが、この時代において、現代人のように趣味で長旅をする人間はイメージしづらい。蓮八が旅をしなければならなくなった、切実な理由が欲しかった。それが、愛だった。

「僕が今まで読んできた歴史小説の主人公たちの多くは、歴史的な大義名分というか、世の中をどうにかするために自分の命を懸けるわけなんだけれども、そんな奴だけじゃないよなって思うんです。そんなことはどうでもいい、俺は惚れた女に会いに行くんだ。そういう個人レベルの動機でもって、京都から江戸まで命懸けの旅をする」

 幕末という時代は、日本史上に燦然と輝く“時代の変わり目”だ。それゆえに起こった社会的な事象を書き込みつつも、主人公の造形には、どんな時代にあっても“変わらない”心情を採用したのだ。

「自分の命を投げ出してまで、後世に残る大きな仕事をするヒーロー像も確かにかっこいいんです。でもこの主人公は、死ぬのが怖い。怖いんだけれども唯一、惚れた女のためならば、悪魔にだって命を差し出せる。たぶん、僕自身がそっち側の人間だからだと思うんですよ。時代が変わったからといって、自分の感覚から掛け離れたものを書く必要はない。身の丈に合ったものを書きたかったし、時代が変わっても何も変わらない、人間の本質の部分に少しでも近づきたかったんです」
 

デビュー作に匹敵する“がむしゃらな熱量”

 物語の隅々に殺し屋・夜汐の気配を漂わせながら、序盤は「新選組と下っ端やくざの青春モラトリアム」として始まり、中盤は「愛した女に会うためだけに命懸けの旅路を歩む男のロード・ノベル」へと転調し、終盤でさらなる大きな変貌を遂げる。“生きること”の悲しみと喜びの両方に触れて、泣けて、熱くなる。本作は確かに、これまでとはガラッと作風を変えている。だが、こんな物語はやっぱり、東山彰良にしか書けなかった、と断言できる。

「僕は今年でデビューして15年になるんです。作品を書き続けていくと技術的には少しずつうまくなっていると思うんですけれど、その代わりに、第1作を書いた時の小説に対する初期衝動みたいなものは、少しずつ失われてしまっているんじゃないかって危惧があったんです。今回、時代モノに挑戦してみたのは、その初期衝動を再現したいと思ったからかもしれません。自分にとってあまりにも未知の分野に入っていくことで、作家として討ち死にするかもしれない。そういう状態に自分を追い込んだことで、第1作を書いた時と同じような、がむしゃらな熱量が自分の内側から湧いてくるのを感じていたんですよ。この作品は、もしかしたら時代モノとしては欠けている部分があるかもしれないし、粗いところもあるかもしれないけれども、デビュー作に匹敵する熱量を持って書くことができた。そのことは、自信を持って言えます」

取材・文=吉田大助 写真=海山基明