享年33歳の主人公が教えてくれる、かけがえのない日々の過ごし方『ライオンのおやつ』小川糸インタビュー

小説・エッセイ

2019/11/11

 もしも自分に癌が見つかり、余命宣告されたらどうするだろう? 癌と闘っている人の話を聞くたびに、そんな思いが頭をよぎることはないだろうか。小川さんにとっても「死」は大きなテーマで、今までの作品でも描かれてきた。「いつか、死そのものについて書きたい」と、ずっと温め続けてきた思いを形にした『ライオンのおやつ』は、小川さんの母親が癌を患ったことがきっかけで生まれた作品だ。

著者 小川糸さん

小川 糸
おがわ・いと●1973年山形県生まれ。2008年、『食堂かたつむり』でデビュー。同作品は映画化され、11年にイタリアのバンカレッラ賞、13年にフランスのウジェニー・ブラジエ賞を受賞。12年には、『つるかめ助産院』が、17年には『ツバキ文具店』がNHKでテレビドラマ化された。その他、『ファミリーツリー』『リボン』など著書多数。

 

「母に癌が見つかったとき、電話で『死ぬのが怖い』と訴えられたのですが、わたし自身は自分の死に対して恐怖を感じたことがなかったので驚いて、『人は誰でも死ぬんだよ』と言いました。ただ、一般的には母のように、自らの死に対して恐怖を抱いている人のほうが多いので、死ぬのが怖くなくなるような物語を書きたい、と思いました。結局、母の死には間に合いませんでしたが……」

 小川さん自身は、「いつ死が訪れても悔いはない」という。だが、「いざ死を前にするとどうなるかわかりませんよね」とも続ける。実際、それは誰にもわからないことで、経験してはじめてその人の本質が見えてくるのだろう。そして、死に向かう過程で選んだこと、経験したことのひとつひとつが〝人生の宝物〟になるのだ。

おやつとともにある思い出は、きっと心を潤してくれる

『ライオンのおやつ』では、余命を告げられた33歳の主人公・海野雫の〝人生の最後〟が丁寧に綴られている。舞台は、瀬戸内海に浮かぶレモンの島。幼い頃に両親を亡くし、育ての父である叔父とも離れて暮らす雫は、レモン島にあるホスピス「ライオンの家」を終の住処に選ぶ。そこで真っ先に雫の不安を和らげてくれるのは、マドンナという呼び名の聖母のような管理人と、穏やかに光り輝く瀬戸内の海だ。ホスピスでの生活がはじまると、毎朝出される365日違うお粥と、日曜日に出される入居者のひとりの思い出のおやつも、雫の楽しみのひとつになっていく。

「おやつは体にとってなくても生きていけるものかもしれません。『最後の食事』はすぐに思いついても、『最後のおやつ』はなかなか思い浮かばない方も多いと思います。だけど、人生の最後にもう一度食べたいおやつを思い出そうとすると、そこに結びついているのはたいてい幸福な記憶だと思うのです。自分の人生が幸せだったと気づけるきっかけになる気がします。お粥も心とおなかにやさしいから、この小説もお粥みたいな物語になるといいな、と。食べることは生きること。美味しいものを食べた時の幸福感や、次はあれが食べたいと楽しみにする気持ちは、生きる喜びにつながると思うんです」

 ふわふわと湯気が立つ小豆や百合根のお粥は、一口食べるごとに体の隅々まで滋養が行き渡っていく。入居者が選んだおやつには思い出という隠し味が込められている。そんな食べ物のひとつひとつに、ボロボロだった雫の心と体が癒やされていくのだ。その一方で雫は、ライオンの家へ行く前に旅立ちの時の衣裳を選び、レモン島で出会ったタヒチくんという青年には、自分が死んだらしてほしい、とあることを頼む。

「雫は、そばに身寄りがない厳しい状況にいます。旅立ちの服を自分で選ぶのも辛いことだけれど、今まで着られなかったお気に入りの服を奮発して買ったことで、一瞬でもワクワクできるって強いですよね。タヒチくんとの約束も雫にとっては心強いはず」

美しい海を眺めながらタヒチくんとデートしているときの雫は、誰よりも幸せそうで笑ってばかりだ。隣の島へ渡る長い橋も、二人で車で走っていると天国へ続く長い道のように見えるほど……。そんな雫の言動は、死が生の延長線上にある自然なものだということを強く意識させる。

「自宅で家族を看取っていた時代は、死を身近なものとして感じていたと思います。今は逆に、死が日常から遠ざけられていて、不気味なものとして扱われるようになっていますよね。だから、そのベールをはがしたら怖くなくなるんじゃないかと思いました。それに、特に余命がわかっている場合は、生から死へと穏やかに進みながら、その日の天気や食べ物や人との会話によって感情も変化するはず。死を怖がって怯えるだけじゃなく、その日その時の素直な気持ちを受け止められたらいいんじゃないかなっていう思いもありました」

亡くなった友人から学んだ、最後まで人生を楽しむこと

 この小説を書いている間、小川さんが住むベルリンで知り合ったシングルマザーの友人が癌で亡くなったことも、作品に少なからず影響を与えたという。

「死は誰にでも必ず一回だけ訪れるものなので、当然私もまだ経験していません。経験してわかった時にはもうそれを書くことはできないのが残念ですが、だからここに描かれている死は今の私が想像した「死」の姿です。亡くなった友人はまだまだ死ぬつもりはなく、私がホスピスの物語を書いていると言うと、なんでも聞いて、と明るく言ってくれていました。本人も周りもこんなに早く逝ってしまうとは思っていませんでしたが、彼女は、最後まで人生を楽しむことと命の儚さを教えてくれました」

 ターミナルケアを専門とする医師に取材したことも、作品には活きている。

「みんなが静かに死を迎えるわけではなく、最後まであがく人もいると聞きました。それもまた人間の本質ですよね」

 雫も、まだ生きたいという思いと、死を受け入れようとする思いの間で、葛藤し続ける。同時に、だんだんと自由がきかなくなる体と反比例するように、心は研ぎ澄まされ、見るもの感じるものすべてがより鮮明になっていく。

「ホスピスにも、ジタバタしたり、泣いたり、笑ったりする人間味あふれる日常があります。元気な時に比べるとできることが減っても、残ったものを大切にすることで幸せを感じることもできますし、むしろ死を身に迫ったものとして意識するからこそ、感じられる感謝や幸せもあると思います」

 小川さんには、その医師への取材の中で、特に印象に残っている言葉があるという。

「人は生きている限り変わることができるという言葉です。とても実感がこもっていて、印象に残りました」

 作中にも、過ちに気づき、懺悔するような思いで改心する人物がいる。人はいつでも、たとえ死の間際であっても変わることができる。生きてさえいれば。

 必ずしも余命が判明していないだけで、今生きている人すべてにいずれ必ず訪れる死。それを意識してみることで、日々はより愛おしいものになる。死が目前になかったとしても、本来、すべてのことは人生の〝ギフト〟なのだと気づかされる。雫に残された時間はわずかだが、物語から浮かび上がってくるのは生きることの喜びに他ならない。

 日曜日、ライオンの家の「おやつの時間」にみんなで食べるおやつは、入居者がリクエストした「もう一度食べたい思い出のおやつ」の中から一つが選ばれる。

 雫はなかなかリクエストできずにいたのだが、最後に決めたのは、幸せだった思い出が詰まったものだった。その思い出は、残された人たちにも、素晴らしいギフトとして心に刻まれるのだ。

取材・文=樺山美夏 写真=冨永智子

(あらすじ)
癌を患い余命宣告された雫は、瀬戸内海の島にあるホスピスを終の住処に選ぶ。そこでは毎朝お粥が出され、日曜日には入居者たちの思い出のおやつをみんなで食べる「おやつの時間」があった。穏やかな瀬戸内の自然のなかで日々を過ごし、他の入居者や犬の六花、心惹かれる人と出会うことで、雫は自分を解放していく。